過去がどうしても理解できない、と思ったとき
私たちは、自分が育った世界を「これが普通だ」と思って大人になります。
空気みたいなものですから、普段は疑いもしないんですよね。
誰かを信じていいのか。人はどれくらい裏切るものなのか。愛されるってどういうことなのか。
そういう感覚の土台は、物心がつく前から、まわりの大人たちの姿を見ながら、少しずつ心の中に作られていくものなんだと思うんです。
ところが、その土台が、人によってずいぶん違うことがあります。
たとえば、まわりの男性たちがみんな、どこかに裏を持っていた世界。
優しさには必ず下心がある。好きだと言ってくる人ほど信用できない。大切にされた記憶よりも、利用されたり、傷つけられたり、見捨てられたりした記憶の方がずっと多い世界。
そんな場所で育った人にとっては、それが異常ではないんですよね。
それが普通なんです。
人間ってそういうものだと思っている。
男の人ってそういうものだと思っている。
だから本人は、自分が荒れた世界にいるとも思っていない。
むしろ、「世の中ってこんなものだよね」と思いながら、その中で一生懸命生きてきたんです。
そう考えると、その人がしてきた選択も、その世界の中ではちゃんと筋が通っているんですよね。
外から見ると、「なんでそんな人を選ぶの?」と思うようなことでも、その人の中では自然な流れだったりするんです。
だって、その世界しか知らないんですから。
ところが、ある日。
その人が、まっすぐな世界で生きてきた人と出会うことがあります。
約束を守る人。
嘘をつかない人。
責任から逃げない人。
誠実に向き合おうとする人。
そんな人が、自分を好きになってくれた。
すると何が起きるかというと、まず疑うんですよね。
これ、当たり前だと思うんです。
今まで出会ってきた人たちがみんな裏切ったり、利用したり、どこかに裏を持っていたのなら、「この人もきっと同じだろう」と思うのは自然なことです。
だから試すんです。
本当に大丈夫なのか。
いつ豹変するのか。
どこで見捨てるのか。
どこまで信じていいのか。
それは意地悪でも駆け引きでもなくて、その人が生き延びるために覚えてきた、自分を守る方法なんだと思うんです。
ところが、その人はなかなか裏切らない。
いつまで経っても裏を見せない。
見捨ててもおかしくない場面でも、見捨てない。
怒っても、逃げない。困っても、向き合おうとする。
そして、「どうしてそうなったの?」と理解しようとする。
私はね、ここが一番大事なところだと思うんです。
その誠実さは安心なんです。
でも同時に、とても怖いものでもあるんですよね。
なぜかというと、その人が今まで信じてきた「人間とはこういうものだ」という世界そのものを崩してしまうからです。
だって、目の前のこの人が本物だと認めてしまったら、今まで自分が立っていた地面が揺らぐんです。
今までの人生で信じてきたルールが揺らぐ。今までの常識が揺らぐ。
だから怖い。
相手が怖いんじゃないんです。
相手を信じた瞬間に、自分の人生を見直さなければいけなくなることが怖いんです。
そして、ここにはもう一つ切ないことがあります。
その人の過去は、何も変わっていないんです。
出会う前も、出会った後も。
起きた出来事は同じです。
でも、まっすぐな人が隣に来た瞬間、自分の過去が急に違って見え始めるんです。
今までは周りも同じような世界だった。
だから傷も埋もれて見えていた。
でも隣にきれいな物差しが置かれると、自分の過去がはっきり見えてしまう。

私は大切にされていなかったんだ。
私は傷ついていたんだ。
私は利用されていたんだ。
そんなことが見えてしまう。
だから、「なんであんなことをしていたんだろう」と思う。
「自分でも気持ち悪い」と言う。
でも、それは過去が急に悪くなったからじゃないんです。
その過去を測る物差しが変わったからなんですよね。
出会った相手が、その人にとって新しい物差しになったんです。
だから隠したくなる。
見捨てられたくないから。
ちゃんとした人だと思われたいから。
その物差しに少しでも近づきたいから。
でも、ここに苦しいねじれがあります。
隠すことで関係を守ろうとするのに、隠すことが相手の信頼を傷つけてしまう。
守りたいからやっていることが、守りたいものを壊しかける。
だから全部は言えない。
でも黙ってもいられない。
少し出してみる。
相手の顔を見る。
また引っ込める。
そして心のどこかで、「こんな私でも大丈夫?」と聞いている。
私は、ああいう言動って、そういう確認作業なんじゃないかなと思うんです。

ここまで読んでくださった方の中には、相手の過去がどうしても理解できない、そんな経験をされた方もいらっしゃるかもしれません。
でもね。
理解できないのは当然なんです。
あなたはその世界で生きてきていないから。
むしろ、「どうしてそんなことをしたの?」と思うこと自体が、あなたが違う世界で生きてきた証なんだと思います。
そして、あなたが真剣に理解しようとしているのに、相手がうまく説明できないのも、意地悪ではないんです。
その人自身が、自分の過去をうまく言葉にできていないこともあるんですよね。
言葉にするたびに、「あの頃の私は何をしていたんだろう」と思ってしまう。
だから苦しい。
あなたが誠実であればあるほど、その苦しさは大きくなることもあります。
誠実さが、そのまま相手の痛みに触れてしまうことがあるんです。
でも、忘れないでいてほしいことがあります。
その人が変わり始めたのは、あなたという物差しに出会ったからかもしれないということです。
出会った頃のその人と、目が覚めた今のその人は、もう同じではないかもしれません。
だとしたら、一番大切なのは、過去の真相を最後の一片まで知ることではなくて、
「出会った頃の君と、今の君は違うんだね」
ということを、わかっていてあげることなのかもしれません。
真相は知るかもしれない。
知らないままかもしれない。
でも、たぶん本当に問われているのはそこではないんですよね。
「全部わからなくても、それでもここにいる」
もしくは…
「全部わかっても、それでもここにいる」
そう決められるかどうか。
違う世界で生きてきた人を好きになるというのは、もしかしたら、そういうことなのかもしれません。
「あなたと出会えて良かった」

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