いつも、一歩が出ない
やってみたいな、と思うことがある。
これをしたら、たぶんいいんだろうな、ということも、どこかでわかっている。
それなのに、その一歩が、どうしても出ない。
そういうこと、ありませんか。
気持ちはあるんです。
興味だって、ちゃんとある。
でも、いざとなると、足が止まってしまう。
「やったほうがいいんだろうな」と思いながら、「まあ、いいか」「また今度で」と、先延ばしにしてしまう。
そうやって過ごしているうちに、時間だけが、どんどん経っていく。
気づいたら、「ああ、今更遅いな」と思っている。
そして、それが、小さな後悔になって、積もっていく。
私も、ずっとそうでした。
新しいことが、こわい
新しいことをするのが、私はずっとこわかったんです。
30代になっても、40代に近づいても、こわかった。
思えば、10代の頃も、20代の頃も、ずっとそうでした。
田舎で育って、ここを出ていきたいという気持ちは、山ほどあったんです。
それなのに、なかなか出られなかった。
「ここを出たら、こわいことになる」と、どこかで思っていたんですよね。
誰かにそう言われたわけでもないのに。
30代の後半になっても、まだこわかった。
こんな怖がりの私だったけど、離婚をして、何とか生きていかなきゃならなくなって
一瞬恐がりを脱却して、それはそれは無謀な行動に出たこともあるけれど…
50代になって、いろいろ問題が起きて
カウンセリングを受けに、奈良から大阪へ出ていく。
その時にはまた『怖がり』は復活していた。
電車で初めてのところへ行く…
ただそれだけのことなのに、すごくドキドキしながら乗っていた記憶があるんです。
通り過ぎていく車窓の風景を、知らない土地だなあ…と思いながら、ぼんやり眺めていた。
あの感じ、今でも覚えています。
今もその名残があって、どこかへ行こうとすると、めちゃくちゃ調べないと動けない。
約束をするのが、なんだか重い。
スマホもあるし、調べる手段もいくらでもあるし、最悪なんとかなるだろうとは思っているんです。
それでも、「さあ、行こう」とは、なかなかならないんですよね。
おもしろいのは、まったく動けないわけじゃない、ということなんです。
行かなければならない用事があれば、わりと頑張れる。
好きなもののためなら、出かけることだってある。
でも、よくよく考えると、その好きなことのためですら、よっぽどのことがない限り、遠くまで足を運ぼうとはしないんですよね。
自分の意思で、興味を持って、ワクワクしながら、知らない場所へ飛び込んでいく。
そういう動き方が、どうしても苦手なんです。
これって、私に、そういう能力がないわけじゃないんですよね。
本当に動けない人なら、好きなことのためにも動けないはずだから。
そうじゃなくて、「なんとかなる」と確認できるまで動きたくない、に近いんじゃないかなと思うんです。
こわさの正体
では、何がそんなにこわいんでしょう。
私は自分の事を面倒くさがり屋だと覆っていました。
ずっと、場所がこわいんだと思っていました。
新しい環境、知らない土地。
でも、よくよく見ていくと、こわいのは場所じゃないみたいなんです。
こわいのは、その場所で、何も知らない自分、うまくできない自分が、さらされてしまうこと。
新しい環境って、ただ場所が変わるだけじゃないんですよね。
ちゃんとできるか、浮かないか、馴染めるか、無知が露呈しないか、変な人だと思われないか。
そういう、自分という存在そのものが試される感じがある。
だからこわがりって、「危険がこわい」というより、「無力な自分がばれること」がこわいんじゃないかなと思うんです。
恥ずかしい、という気持ち
ここで、「恥ずかしい」という言葉が入ってきます。
私、最近気づいたことがあるんです。
こわさは、一人でも成立するんですよね。
暗いところがこわい、高いところがこわい。
誰も見ていなくても、こわい。
でも、恥ずかしいは、一人では成立しないんです。
恥ずかしいには、必ず「見ている誰か」がいる。
誰も見ていないところで、恥ずかしいとは思わないですよね。
ということは、「人と同じことができなくて恥ずかしい」と感じているとき、私たちは必ず、誰かの視線を借りてきているということなんです。
その場所にいる本物の他人じゃなくて、頭の中に「私を見て、評価する誰か」を、あらかじめ連れて歩いている。
そして、おもしろいのは――この頭の中の評価者って、たいてい本物の他人より、ずっと厳しいんですよね。
実際の周りの人は、私が何かを知らなくても、そんなに気にしていない。
みんな自分のことで精一杯ですから。
でも、頭の中の評価者だけは、私の「できないこと」を、一つも見逃してくれない。
なぜなら、それは他人の目を借りた、私自身の目だからなんです。
ぐるぐる回ってしまうもの
そして、こわさと恥ずかしさは、こんなふうに回りはじめます。
経験がない。
だからこわい。
こわいから動かない。
動かないから、経験が積めない。
経験が積めないから、まわりとの差が開いていく。
差が開くと、「みんな知っているのに、私だけ知らない」が、だんだん本当のことになっていく。
そして、その差が固定されると、今度は「動いたら、無知がばれる」という新しいこわさが生まれて、ますます動けなくなる。
最初は、ただ「経験がないからこわい」だったのに。
回しているうちに、「無知がばれるのがこわい」という、別のこわさが上に乗ってくるんですよね。
同じ「こわい」でも、中身が変わってしまっている。
そして恥が入ってくると、やっかいなことが起きます。
本来、新しいことって、「できなくて当たり前」から始まるものですよね。
でも恥のレンズがかかっていると、できない状態が、そのまま「さらされている状態」になってしまう。
だから、経験を積むその過程そのものが、毎回、小さく恥をかく過程になってしまうんです。
すると、どうなるか。
恥をかきたくないから、経験を積むことを、つい避けてしまうんですよね。
でも、避けているあいだも、年齢だけは、ちゃんと重なっていく。
だから、年齢と経験値の差が、どんどん開いていってしまう。
若い頃なら、「知らなくて当然」で済んだことが、年を重ねるほど、「その年で、それも知らないの」に変わっていく気がして。
そうやって、いつのまにか、「もう、恥をかける年齢じゃない」とまで、思いこんでしまうんです。
恥をかくことが、どんどんこわくなる。
だから、ますます動けなくなる。
「今更遅い」の正体
ここまで来て、ようやく見えてきたものがあります。
「今更遅い」とか、「こんな年なのに」とか。
私たちはこの言葉を、変えられない事実みたいに思っているんじゃないでしょうか。
でも、「遅い」って、何に対して遅いんでしょう。
それは、「何歳までにこうするものだ」という、いつのまにか決まっていた順番に対して、遅い、ということなんですよね。
何歳までに就職して、何歳までに結婚して、何歳までに――そんな順番。
そして、ここでようやく、さっきの後悔の正体も見えてきます。
やりたいことがあったのに、一歩が出せないまま時間が過ぎて、「今更遅い」になってしまう。
その後悔の奥には、たぶん、こんな思いがあるんじゃないかなと思うんです。
自分は、みんなが当たり前のように通ってきた道を、どうも通ってこなかったみたいだ、という感覚。
それは、人によって、ぜんぜん違う形をしています。
仕事のことだったり、結婚や家族のことだったり、学びのことだったり。
人には言いにくい、その人だけの「通ってこなかった道」が、きっとあると思うんです。
でも、その「順番」って、どこから来たんでしょう。
自分で決めたものじゃないですよね。
いつのまにか、まわりから受け取って、自分の中に置いていたものなんです。
だから、「今更遅い」というのは、事実としての遅さじゃないんです。
誰かが決めた順番に照らした、借り物の遅さ。
私たちは、借りてきたものさしで自分を測って、勝手に「遅れている」ことにしてしまっている。
そんなことが、起きているのかもしれません。
縛りは、もう外にはないのに
私は子どもの頃、「あそこは危ない」「日帰りで帰ってきなさい」と、よく言われて育ちました。
たぶん、親の不安だったんだと思います。
その不安を、私はそのまま受け取って、引き継いでしまった。
でも、今はもう、そんな縛りはどこにもないんですよね。
横で「危ない」と言う人もいない。
それなのに、私はまだ、自分で自分に「危ない」と言い続けている。
外の縛りはなくなったのに、内側の見張り役だけが、残って働き続けているんです。
ここまで書いてきて、思うんです。
こわさも、恥も、「今更遅い」も、ぜんぶ、外側にある動かせないものだと思っていたけれど――本当は、内側に置かれた、借り物だったんじゃないか、って。
育ちは変えられません。
過去も変えられません。
でも、頭の中に連れて歩いている評価者には、気づくことができる。
借りてきたものさしは、置いていくことができる。
問題の置き場所が、手の届かないところから、手の届くところに、少しだけ動いてくる。
止まっているあなたへ
やりたいことがあるのに、一歩が出せなくて、止まってしまっている人へ。
私は、あなたに「大丈夫、動けますよ」と、言いたいわけじゃないんです。
そんな簡単なことじゃないのは、私自身がよく知っているから。
ただ、一つだけ。
今あなたを止めているものが、もしかしたら、あなたが連れて歩いている誰かの視線や、誰かが決めた順番なのかもしれない、ということ。
それに気づくだけでも、肩の力が、ほんの少し抜けることがあるんじゃないかなと思うんです。
あ、また私、頭の中に審査員を連れてきたな。
あ、これ、誰かが決めた順番で自分を測ってたな。
そうやって気づけるようになると、ふしぎなもので、世界の見え方が、少しずつ変わってきます。
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