今、講座で扱った心理学的なトピックを動画にまとめています。
その流れの中で、あらためて「依存」と「自立」について書いてみようと思いました。
一方で、自立と聞くと、しっかりしていて、誰にも頼らず、一人で立っていることのように見えやすいかもしれません。
けれど、実際の人の心って、そんなに単純ではないんですよね。
依存があること自体が問題なのではなく、
依存の仕方が苦しくなっていたり、
依存したい気持ちをまるごと否定してしまっていることのほうが、私は問題になる事が多いんじゃないかなと思うんです。
人は、誰かに頼りながら生きる部分を持っています。
安心したい。わかってほしい。助けてほしい。受けとめてほしい。
そういう気持ちは、とても自然なものなんです。
たとえば、本当は助けてほしいのに「そんなのはだめだ」と思ってしまう。
本当は甘えたいのに「しっかりしなければ」と力が入ってしまう。
そうすると、表面上はとても自立して見えるのに、内側では強い孤独や我慢を抱えている、ということが起きたりするんです。
むしろ、自分の中に依存したい気持ちがあることを知っていて、
それを恥ずかしがりすぎず、無理に消そうともしないことが大切なるだろうな?と思っています。
そして、必要なときには助けを求めたり、誰かに委ねたりしながらも、自分の足でも立っていこうとすること…
そのほうが、本当の意味での自立に近いんじゃないかなと思うんです。
自立と依存は、反対語のように見えて、
本当は切り離せないものなのかもしれません。
依存を知らないままの自立は、どこか固くなりやすい。
自立を持たない依存は、不安定になりやすい。
だから人は、そのあいだを行ったり来たりしながら、自分なりのバランスを覚えていくんでしょうね。
安心して頼れた人がいたのか。
頼ったとき、受けとめてもらえたのか。
逆に、頼ることで傷ついた記憶があるのか。
そういう体験が、その後の人間関係の土台になっていくことは少なくないんです。
だから、依存が強い人を見るときも、
自立が強すぎる人を見るときも、
私は「この人はこういう性格なんだ」とはあまり思わないんですね。
そうではなくて、
この人は、何を怖れているんだろう。
何を守ろうとしているんだろう。
どんなふうに生き延びてきたんだろう。
そんなふうに見ていきたくなるんです。
私たちはよく、「もっと自立しなきゃ」と思います。
でも、その前に見てあげたほうがいい心もあるんじゃないかな?って思ったんです。
本当は頼りたかった気持ち。
本当は誰かに支えてほしかった気持ち。
でも、それが叶わなくて、一人で立つしかなかった心。
だから、自立とは、依存を切り捨てることではなくて、
依存も含めた自分を知りながら、自分の人生を引き受けていくことなのかもしれません。
↓三好成子の講座や、これまでのブログを動画にまとめたYouTube動画を作っています。
三好成子のYouTubeサイトです。
※ Zoom利用メニューにはWi-Fiなど通信環境が必要です。
※ 対面は2時間枠のみ・前払い制・キャンセル規定あり。
※ 料金は税込。最新の空き状況は予約ページでご確認ください。
>>三好成子のWEB予約ページはこちらです。
※初回無料カウンセリングは予約センターへのお電話で承っています。
【カウンセリング予約センター】
TEL:06-6190-5131
受付時間:12:00〜20:30(月曜定休・祝日の場合は翌日代休)
◆私あてのメッセージは、お問い合わせフォームからお気軽にどうぞ。