親を「愛せない」のではない。関係性を「理解」した私が出した答え
「親を愛せない自分は冷たいのではないか」
「もっと歩み寄るべきではないか」
そんな罪悪感のループの中で、ずっと息苦しさを感じている方へ。
今日は、私がたどり着いた一つの「家族の形」についてお話しさせてください。
1. 「愛」ではなく「構造」として理解する
私は長い間苦しんでした想いがありました。
それは、親の事を大切にしていない=親を愛せていない自分はなんて冷たい人間なんだ。
その思いはとても長い間私を苦しめていました。
他のご家庭のように、和やかに、愛を持って接することが出来ないのです。
愛が無いわけではないんです。ただ、世間一般の穏やかな暖かい時間を持つことがすごく難しい私たち親子だったと思います。
そんな自分の両親との関係を「親に愛されなかった」という被害の物語ではなく、
一つの客観的な事実として理解することに気が付いてから、私の心は楽になっていったので
一つの考え方として、同じように親との関係性に悩んでいる方へのメッセージとして書いてみたいと思います。
私の両親は、生活の基盤(お金や食事)は整えてくれました。
けれど、私の感情や喜びに心を寄せ、
共に時間を過ごすという関わりは、ほとんどありませんでした。
意地悪をされたわけでも、明確な虐待があったわけでもありません。
ただ、最初から「親子として心を通わせる回路」が存在しなかった。
ただそれだけのことだったのだ、と思えるようになりました。
「私愛されていなかったわけではない。」「その能力が無い人たちだっただけなんだ」
そう理解したとき、長年の霧が晴れるような感覚がありました。
2. 突きつけられていた「二択」の正体
振り返れば、私はずっと過酷な二択を突きつけられて生きてきました。- 自分を犠牲にして、親の世話をし続ける人生
- 世話をしない自分を「冷たい人間だ」と責め続ける人生
私の心には「母はどう思うだろう」という視線が深く、鋭く突き刺さっていました。
現在、母は老人施設で寝たきりの状態になっています。
施設に入所した当初、私は何度も面会に足を運んでいました。
けれど、母の無表情な顔や、時に寝たふりをするような様子を目の当たりにするうち、少しずつ足が遠のいていきました。
「母が大好きだった自分の家で、最期まで過ごさせてあげられなかった」
「施設に入れたことを、母は恨んでいるのではないか」
そんな罪悪感と、そうしてあげられなかった自分を責める気持ちが、さらに私を病室のドアから遠ざけました。
母の沈黙や拒絶のような態度に触れるたび、私の中の「母はどう思うだろう」という古い傷が、また痛み出していたのです。

3. 「等価交換」という名の誠実さ
今の私は、親が私に関わってきたのと「同じ密度、同じ距離感」で関わることを選びました。
施設費用の支払いといった現実的な責任は果たしますが、頻繁な面会や感情的な交流は持たない。
これは冷たさではなく、受け取ったものをそのままお返しするという、非常に公平で誠実なスタンスです。
世間がいう「理想の親子」という物差しで見れば、薄情に見えるかもしれません。
でも、顔を合わせればお互いの中に残った「親とは、子とは、こうあるべき」という刃が刺激され、
傷つけ合うだけだと分かっています。
4. それでも心が痛むあなたへ
理屈で納得し、現実的な選択をしていても、ふとした瞬間に心が痛むことがあります。
「周りからどう思われるだろう」
「お母さんは、今の私を見て何を思っているだろう」
そんな恐れが消えないのは、あなたが冷たいからではありません。
あなたが自分の人生と、親という存在に対して、逃げずに誠実に向き合おうとしている証(あかし)です。
「温か私が欲しくて仕方のなかった暖かい関係性はもう手に入らない」という事実を確定させたことへの、 弔いの痛みなのかもしれません。
最後に
心から応援しています。
I support you wholeheartedly.
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#May all living things be happy!
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