「正しい・間違い」の前に、なぜ私たちは「極端」に振れてしまうのか
最近、世の中の空気がとても「極端」に揺れ動いているのを感じます。
一人の人を、ある場所では「救世主」のように崇め、別の場所では「絶対悪」のように叩く。
そんな様子を見ながら、私はふと考えていました。私たちは、いつから一人の人間に「100点満点」を求めるようになってしまったのだろう、と。
「あの人は完璧であってほしい」
「ずっと100点であってほしい」
そんな期待を、誰かに無意識に向けてしまうことがあります。
それは一見、強い支持や信頼のように見えます。でも、私の目には、そこに少しの「危うさ」も映っています。
もし本当に、一度も間違わず、すべてを正しく判断し、誰の助けも必要としない人がいたとしたら…。
それはもう「人間」ではありません。
私はそれを、全知全能という意味での「神の位置」と呼んでいます。
神の位置に上げると、自分の思考が止まる
誰かをその位置に置いてしまうと、私たちの「思考」は止まってしまいます。
なぜなら、相手を神の位置に置いた瞬間、「あの人が言うことなら、全部正しいはずだ」と、自分の判断を相手に預けてしまうからです。
これは、心理学では「依存」の一種と考えます。
自分で考えて決めるという「責任」から逃れられるので、実はとても楽なことでもあるんです。
自分の外側に「正解」を求めて、誰かの意見に乗っかってしまう。
それは、自分の人生の手綱を、誰かに渡してしまっているのと同じことかもしれません。
今のメディアやSNSで見られる「極端な熱狂」や「激しい攻撃」も、実は根っこは同じではないでしょうか。
「あの人を支持していれば安心だ」という熱狂も、「あの人さえいなければ良くなる」という攻撃も、どちらも「一人の人間に100点か0点かを押し付けている」という点では、相手を人間として見ていないのかもしれません。
「不完全な一人の人間」として見る勇気
本来、人は誰もが不完全です。素晴らしい強みもあれば、誰かに助けてもらわなければならない弱さもある。
だからこそ、私たちは「横の関係(対等な関係)」で繋がることができます。
誰かを神の位置から降ろし、不完全な一人の人間として見たとき。はじめて、「あなた自身の素晴らしい価値」も正しい場所に戻ってきます。
「あの人はあそこが素晴らしい。でも、ここは私とは考えが違う。じゃあ、私はどうしたいかな?」
この「不一致」を恐れないこと。誰かの意見に乗っかるのではなく、自分の中に「グラデーション」を持つこと。それが、本当の意味での自立です。
あなたという「細胞」が、自分で考えること
私は、人間一人一人が、自分の体の細胞のようなものだと思っています。
全体を動かす脳の役割をする人もいれば、現場で手を動かす細胞もいる。
脳がどんなに素晴らしい指令を出しても、一つひとつの細胞が「自分の意志」で正しく機能しなければ、体は健やかには保てません。
だから、そこに役割の違いはあっても、命としての優劣はありません。
あなたは素晴らしいのです。あなたはあなたの考えで生きて良いのだと思います。
大切なのは、「誰かの言葉を自分の言葉だと思い込まないこと」です。
たとえ、あなたの意志が、誰かにとっては「自分勝手」に見えたとしても。あなたが自分の目で見て、納得して選んだことなら、それはあなたの人生において、とても価値のある一歩です。
今日のあなたは、誰かの「正解」に飲み込まれていませんか?
そして、自分の思考という素晴らしい力を、眠らせてしまっていませんか?
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