「どうせ…」という言葉の奥に
心理のお話
あの頃の夜空
私が36歳のとき、7歳の娘と5歳の息子を連れて離婚しました。 そのときの私は、「どうせこんな自分には、もう何もできない」
「どうせろくな人生じゃない」
と、どこかで人生をあきらめていたように思います。 小さな子どもを二人抱えたシングルの女性に、世間は冷たかったと記憶しています。
生活を丸ごと背負えるほどの収入を得る仕事先は、そう簡単には見つかりませんでした。 面接に行けば、
「お子さんが熱を出したら、辞められるんでしょう?」
「休むことも多くなりますよね」
そんな言葉を、当然のように投げかけられました。 36歳という年齢も、
「物覚え、若い子より悪いでしょう?」と、遠回しに線を引かれる理由になりました。 私はそれまで、イラストレーターという少し特殊な仕事をしていて、でもその収入だけではとてもじゃないけど生活できそうになくて……
事務職も接客業も経験がありませんでした。
それでも、この二人の子どもを育てていかなければならなかった私は……
「どうしよう」
そう思い詰めたとき、ふと頭に浮かんだのが「住み込みの新聞配達」でした。当時の給料は18万円ほど。
家賃も光熱費もかからない。
それで生きていくしかない、そう決めました。
夜中の2時に新聞が届き、そこから朝刊を仕分けして、広告を入れて、配達に出る。今くらいの季節だったと思います。吐く息は白く、鼻の頭も真っ赤になり、グローブをはめていても指先は凍るように冷たい。
でも空だけは驚くほど澄んでいて、オリオン座が夜空にくっきり浮かんでいました。

配達の途中、バイクを止め、公園のブランコに腰掛けてしばらく星を見上げていました。
規則正しく並んだ星たちを見つめていると、とてつもない虚しさに襲われました。
私の人生、このまま終わってしまうのかな。
「どうせ、どんなに頑張ったって何にもならない」そんな言葉が、頭の中をぐるぐるしていました。でも、これだけたくさんの星に見守られていると感じたとき、
「もうちょっと頑張れるかもしれない」
という気持ちが、ほんの少しだけ湧いてきたんです。
諦めではなく、守るための言葉
「どうせ」という言葉に、悲しみや絶望を感じます。自分の事を「どうせ…」と言わなければならない状態は本当につらいですよね。
私もずっとそうでした。 でも、私はそこから抜け出すことができました。
それは無理に前向きになったからではなく、
一生懸命に生きようとしている自分の「けなげな姿」に寄り添った時からでした。
心理学的に見れば、「どうせ」はこれ以上傷つかないために心が選んだ「盾」のような言葉です。
自分を責める必要はありません。
今日まで、その言葉で自分を守りながら、あなたは必死に生き抜いてきたのです。
自分を責める必要はありません。
今日まで、その言葉で自分を守りながら、あなたは必死に生き抜いてきたのです。