相手をギャフンと言わせたい心理
最近、いろんな場面で
「相手をギャフンと言わせたい」
そんな言葉や空気を感じることがあります。
それ自体が悪い、と言いたいわけではないんですけど…
もうちょっと言葉を変えたり、受け入れたりする方が上手く行くのになぁ?
なんて思ったりしています。
悔しい思いをしたり、理不尽さを感じたりしたとき、
「わかってほしい」「間違っていると言いたい」と思うのは、
とても人間らしい反応だと思うんです。
ただ、その気持ちが前に出すぎたとき、
少しずつ、何かがズレ始めるような気がしています。
もともと「正しさ」というものは、
この世界を少しでも良くするために使われるはずのものだったと思うんです。
どうすれば困る人が減るのか。
どこを調整すれば、もう少し生きやすくなるのか。
違う立場の人の話を聞いた上で、
「じゃあ、どこを落としどころにしようか」と考えるためのもの。
ところが、何か強い悔しさや恐れが重なると、
正しさは、いつの間にか
「相手を打ち負かすための道具」に変わっていきます。
「私は正しい」
「相手は間違っている」
ここまでは、まだ議論の入り口です。
でもそこに、
「負けたくない」
「ギャフンと言わせたい」
という気持ちが強く混ざってくると、
正しさは、世界のためのものではなく、
自分を守るための武器になっていきます。
この状態に入ると、
世界はとてもシンプルになります。
自分は100%正しい。
相手は100%間違っている。
本来なら見えるはずの
「相手にも一理あるかもしれない」
「自分の考えにも限界があるかもしれない」
そんな視点が、少しずつ消えていきます。
相対化することは、怖いからです。
少しでも譲ったら負ける気がする。
相手の正しさを認めたら、自分の価値が揺らぐ気がする。
だから、世界を白と黒に分けたほうが、楽になる。
その結果、
論理はだんだん破綻していきます。
文脈が切り取られ、
都合のいい部分だけが強調され、
矛盾は見えないふりをされる。
それは知性が足りないからではなく、
そうしないと、自分が保てなくなる状態だからだと思うんです。
それは、
「この世の中をどうしたいのか」「どんなビジョンを持つのか?」「どういきたいか?」という問いです。
相手を言い負かすこと。
勝った気持ちになること。
スカッとすること。
それらが前に出るほど、
本来向いていたはずの視線…
未来や全体や、関係性の行き先は、
少しずつ見えなくなっていきます。
多くの場合、
自分も正しいし、相手もそれなりに正しい。
だからこそ、
「じゃあ、どこで折り合えるだろう」
と考える余地が生まれるはずなのに。
100か0かの世界に入ると、
その“間”を取る発想そのものが消えてしまう。
私は、
勝ち負けを決めたいわけではなくて、
「少しでも良くなる方向って、どこだろう」
そこを考えていたいんだと思います。
正しさを掲げることより、
正しさが何のために使われているのか。
そのほうが、ずっと気になるんです。
私たちは、何を守ろうとしているのでしょうか。
そして、何を手放してしまっているのでしょうか。

昨夜は心理学講座でした。

お昼に、レクチャー配分を確認するために
zoomを開いて録画していると…

「お散歩…まだかな…」

「お散歩行ってきます!」

平和な世界です。
心から応援しています。
I support you wholeheartedly.
#生きとし生けるものが幸せでありますように
#May all living things be happy!
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