レッテルを外して、もう一度“いまの子ども”を見てみよう
兄と妹、姉と弟、長男と次男……。
同じ親から生まれて、同じ家で育ったはずなのに、
「この子とは自然に話せるのに、なぜかこの子には緊張する」
「つい上の子には厳しくなってしまう」
「下の子には甘くなってしまう」
第一子には、親の「初めて」が全部乗る
まず、すごく大きいのが出生順位なんです。 第一子のときって、親もまだ“親1年生”なんですよね。何をしても不安で、
これで合っているのかな、
ちゃんと育てなきゃ、
失敗しちゃいけない——
「お兄ちゃんなんだから」
「しっかりして」
「お姉ちゃんでしょ」
逆に下の子になると、親も少し慣れてきていたり、
「もうそこまで神経質にならなくてもいいか」
みたいな感覚が出てきたりする。
「似ている」が、ラクとは限らない
それともうひとつ。 親って、自分に似ている子どもに対して、感情が大きく動きやすいんですよね。「この感じ、わかる」
「昔の自分を見ているみたい」
でも逆に、
「そんなところ、私そっくり」
と思った瞬間に、妙に腹が立ったり、強く反応してしまうこともあるんです。
夫に対してずっと我慢してきたこと。
傷ついてきたこと。
飲み込んできた怒り。
もちろん、親はそんなつもりないんです。
「この子に怒っている」と思っている。
「苦手」の奥に、後悔が隠れていることもある
特に長子との関係で多いなと思うのが、
「あの頃の自分は未熟だった」
「もっと違う関わり方ができたんじゃないか」
怒ってばかりだった。
余裕がなかった。
甘えさせてあげられなかった。
だから、なんとなく視線が重くなる。
距離感がぎこちなくなる。
“その子を見ると、過去の自分を思い出してしまう”
ということだったりするんです。本当は、いま目の前にいるその子を見たい。
でも、昔の後悔が間に入ってしまう。
「好き嫌い」じゃなく、「構造」で見てみる
私は、こういう親子関係って、「好き・嫌い」で考え始めると、すごく苦しくなると思うんです。 でも、
「私はこの子に何を投影していたんだろう」
「この子を見ると、どんな感情が動くんだろう」
「私はこの子に、どんな役割を背負わせていたんだろう」
長男には期待を重ねていた。
娘には、自分の理想像を見ていた。
次男には、“自由に生きること”への羨ましさが刺激されていた。
「この子が問題だった」のではなく、
自分の中で動いていた感情が、関係に影響していたんだ、
“昔のあの子”じゃなく、“いまのその子”を
親って、どうしても記憶の中の子どもを見続けてしまうことがあります。「傷つけてしまったあの子」
「反抗していたあの子」
「手がかかったあの子」
一度、過去のストーリーを横に置いて、
“いまのその子”を見てみること。
すると、思っていたより大人になっていたり、
思っていたより優しかったり、
思っていたより、ちゃんと自分の人生を歩いていたりするんですよね。
そして何より。
親自身も、昔のままじゃないんです。
だからこそ、
親子関係もまた、今から少しずつ変わっていけるのかもしれません。
