第1幕:夕暮れの教室と、4人の不安レポート
夕暮れが迫る教室。
窓の外には、茜色に染まりはじめた空が広がっていた。

黒板にはまだ、その文字が残されている。
学生たちは次々に教室を後にしていったが、最後まで席を立たなかった4人がいた。
ヌーラ、カエル、ヴェント、ペトラ──。
これは、彼らが互いにつけた愛称だった。
誰かが冗談半分に呼び始めたその呼び名は、いつの間にか自然と定着していた。
ヌーラ(雲)は、周囲に合わせて形を変え、場の空気にすっと馴染むような柔らかさを持っていた。
カエル(火)は、動いているときこそが生きている証のように、情熱的で止まることを恐れていた。
ヴェント(風)は、人との間にちょうどいい距離を取りながら、静かに世界を眺める観察者。
ペトラ(石)は、自分に厳しく、揺るぎない“正しさ”を抱えながら、ひとり静かに踏ん張っていた。
石と炎と風と雲。
どこかちぐはぐで、それでもなぜか調和していた4人だった。
彼らはそれぞれ、心の中に“引っかかる何か”を抱えたまま、ノートを開いたまま、教室に残っていた。
ヌーラ(雲)が口を開く。
「教授、“安心って自分の中にあるもの”って言ってたけど……。
それが一番、難しくない?」
カエル(火)がぼそりと漏らす。
「俺、動いてないとダメなんだよな。止まると怖くなる。置いてかれそうでさ」
ヴェント(風)は目を伏せてつぶやいた。
「私は逆。動いてる人を見ると、なんか……疲れちゃう。“そこまでしなくても”って思う。
でも…私がただ他人に興味がないだけかもしれない」
ペトラ(石)は、しばらく黙ったあと、小さな声で言った。
「私は……ちゃんとしてないと、居場所がない気がする。
自分の中の“ダメ出し”が止まらなくて……」
4人の言葉は、まるで講義の続きをつむぐようだった。
みんな、安心したいと思っている。
だけど、その思いはバラバラで、それぞれが“自分のクセ”の中でもがいていた。
ヌーラが言う。
「ねえ、これってやっぱり、“自分なりの不安のクセ”ってあるんじゃないかな」
カエルがうなずく。
「俺は“動いてないと安心できない”って思ってるし、ペトラは“ちゃんとしてないと不安”だし。
ヴェントは“人との距離”が安心なんだよな。
で、ヌーラは……?」
「私は……誰かに合わせてると、安心してる“気がする”。
でも、終わったあとすごく疲れてる。
つまり、本当は安心じゃないんだよね」
沈黙のあと、ペトラがそっと言った。
「じゃあ……私たち、自分たちだけじゃ分からないなら、教授に聞きに行こうよ。
どうして自分たちはこうなんだろうって」
「いいね。でも……その前に。自分たちの不安、ちゃんと言葉にしてみない?」
と、ヴェントが提案した。
「教授に聞くってことは、自分のクセを知るってことでもあるもんね」
ヌーラがうなずきながら言う。
「よし、それぞれの“取り扱い説明書”を、レポートにまとめよう。
“自分の不安って、どういうものか”って、自分が感じた『不安に名前』を付けようじゃないか?」
「いいね、不安の感じは自分にしかわからないところがあるものね?名前を付けるって、他の人にもイメージしやすいものね」
彼らはそれぞれ、ノートを開き、自分の中にある不安と向き合い始めた──。
◆ ヌーラ(雲):周囲に溶け込むことで漂う不安
「私の不安」
私は、人に嫌われること、一人になることが不安です。
だから、人の意見に合わせたり、空気を読んだりしてしまいます。
その瞬間は安心するけれど、後でひどく疲れて、自分の気持ちが分からなくなります。
他人からもらう安心が切れた時に、一気に不安が押し寄せるのを感じます。
◆ カエル(火):動き続けることで燃え上がる不安
「私の不安」
止まっていると、なんか怖くなるんです。
置いていかれるような気がして。
だから、常に何かしていないと落ち着かなくて。
周りの人がどんどん先に行ってるように感じて焦ります。
休んでいると、自分だけがダメな人に思えてくるんです。
◆ ヴェント(風):距離を置くことで感じる静寂な不安
「私の不安」
人が頑張っている姿を見ると、少し遠ざけたくなるんです。
何かを証明しようとしてるように見えて、苦しくなる。
私は人との距離を取ることで安心しているけど、それは同時に孤独でもあります。
もしかしたら、私は本当は他人に興味がないんじゃないか、って不安になる時もあります。
◆ ペトラ(石):「ダメ出し」が止まらない自己否定の不安
「私の不安」
私は、“ちゃんとしてないといけない”って思いすぎてしまうところがあります。
少しのミスでも、自分を責めてしまいます。
いつも自分の中に“ダメ出しの声”があって、それに従わないと、居場所がなくなるような不安を感じるんです。
彼らは、それぞれの不安を『名前を付ける』ことでより自覚した。
それは、恥ずかしさも伴う作業だったけれど、
「ちゃんと知りたい」という気持ちが、それを上回った。
四人はお互いの目を合わせ意思を固めた表情で、教授のもとへ向かおうとしていた。
それぞれの不安の答えを、少しでも探すために──。
第2幕:教授の部屋で〜君の不安には名前がある〜
薄暗くなったキャンパスの廊下を、4人は並んで歩いていた。
「ほんとに行くの、緊張するな……」とカエルが漏らすと、
「もう、補講の予約は取ったから…
彼らが向かったのは、心理学棟の一番奥にある、小さな部屋だった。
扉の前に掲げられた名札には、こう書かれている。
“心理構造論 特任教授室”扉をノックすると、中から穏やかな声が返ってきた。 「どうぞ、入ってください」

部屋の中は静かで、本の匂いが少しだけ漂っていた。
机には一杯のコーヒーと、開いたままのノートが置かれている。
教授は穏やかに目を細めながら、4人を迎えた。
ヌーラが一歩前に出て、小さくうなずいた。
「はい。自分たちで話してみたんですけど……どうしてもよくわからなくて」
「それで、自分の不安に名前をつける形でまとめてきました」
と、ペトラがそっとレポート用紙を差し出す。
教授はゆっくりとそれを手に取ると、微笑みながら言った。
「いいね……それぞれに不安の名前をつけたんだね。
“不安に名前をつける”っていうのは、とても大切なことなんだよ。
では、一人ずつ見ていこうか」
◆ ヌーラ(雲)の不安
教授は、ヌーラのレポートに目を通すと、こう言った。「ヌーラさん。あなたの不安のクセは、“評価依存型”です。
他人の目を通して、自分の存在の価値を確認しようとするパターンですね」
ヌーラが小さくうなずく。
「でもそれは、他人の光に当たってるだけで、自分の明かりを見ていない状態。
周囲に合わせているうちは“平和”かもしれないけど、それは“安心”とは違うんです」
「まずは、小さくても“自分で選ぶ”という感覚を積み重ねていくこと。
『私は何が好きか』『今日はどっちを選びたいか』
その小さな選択が、“自分という輪郭”を形づくります。
安心は、その輪郭の中にしか宿らないんですよ」
◆ カエル(火)の不安
カエルがやや緊張した様子でレポートを手渡すと、教授はやさしく目を細めた。「カエルくん。君の不安は、“行動依存型”だね。
動いていることで自分の価値を感じ、静止することに耐えられない。
これは、“止まったときに自分が消えてしまうような恐れ”と関係しています」
「……はい。止まると、存在が曖昧になる気がして」
「でもね、君が本当に欲しいのは“動いている自分”ではなく、
“止まっていても、大丈夫な自分”ではないかな?」
「まずは、静かな時間に“自分を感じる練習”から。
何もしない時間を、恐れずに持つこと。
それが、“内側に安心を根づかせる力”になりますよ」
◆ ヴェント(風)の不安
ヴェントのレポートに目を通しながら、教授は少し表情を曇らせた。「ヴェントさんの不安は、“回避依存型”です。
他者との関係性によって揺さぶられることを恐れて、距離を保ちます。
でもそれは、安心のように見えて、実は“孤立”を深めてしまう危険もあります」
「私は人付き合いが苦手なんです。だから、距離を保ってる方が楽で」
「それは“自己防衛の知恵”でもあるから、責めなくていいんです。
でもね、本当の安心は、“人と繋がっても大丈夫だと思えること”でもあるんです」
「その気持ちを忘れずに。安心は、“共にいても疲れない関係”の中で育まれます。
まずは、誰かひとりと、深く正直な関係を築くところから始めてみましょう」
◆ ペトラ(石)の不安
ペトラが、ページの角が少し折れたノートを差し出すと、教授は丁寧に開いた。「ペトラさん。あなたの不安は、“自己否定型”ですね。
常に自分を評価し続け、“ちゃんとできているか”を確認しないと安心できない。
これは、幼いころから“条件つきの価値”の中で生きてきた人に多く見られる傾向です」
「うまくいかなかったら、自分には価値がないって、どこかで思ってしまうんです」
「でも、本当は、どんな自分でも、ただそこに“いていい”んです。
“ちゃんとできていない自分”でも、居場所があっていい。
それを少しずつ、自分に許していきましょう」
「どうやって……?」
「今日一日を“責めないで終える”だけで、もう大きな一歩です。
まずは、完璧じゃなくても、疲れてても、自分に“お疲れさま”って言える夜を増やしてみてください」
4人はそれぞれつけた『不安の名前』教授が心理学的に解説してされたおかげで、自分の不安にどう向き合えばいいかの方向も見えた気がした。
「不安は、悪者ではありません。
それは、あなたが“安心したい”と願っているサインです。
そして安心とは、どこかにあるものではなく、
自分との関係の中に、ゆっくりと育てていくものなのです」
彼らはそっと頭を下げて部屋を後にした。
空気はひんやりと冷たかったけれど、心の奥には、何かあたたかなものが灯っていた。
第3幕:再び4人で〜学びのシェア〜
夜のキャンパスには、昼間の喧騒が嘘のように静けさが広がっていた。
講義棟の前のベンチに、4人は自然と集まっていた。
「……どうだった?」
最初に口を開いたのはヌーラだった。
「“動いてないと、自分の価値がないって思ってる”って、言われたよ。
それが“行動依存型”っていうクセなんだって」
「うん、聞いてて思ったけど……」とヴェントがゆっくり言葉を紡ぐ。
「私も、人との距離を取ることで安心しようとしてる。
でもそれって、“安心”っていうより、“孤立”を選んでただけかもって……言われた」
「私は、“評価依存型”。
人から見てどう思われるかばかり気にしてて。
自分の“安心”を、人に委ねてたって、気づかされた」
「私は、“自己否定型”。
ちゃんとしてないと、ダメだって思いすぎて……
“失敗しても、価値はある”っていう言葉が、まだうまく信じられないけど、でも、聞けてよかった」
風が吹いた。紙が一枚、ベンチから滑り落ちて地面をかすめる。
ヌーラが拾い上げながら、ぽつりとつぶやいた。
「……それぞれの不安、全部ちがうけど、
でも、安心したいっていう“願い”は同じだったね」
「たしかに」カエルが笑う。
「なんでこんなに不安になるんだろうって、ずっと思ってたけど……
不安って、“安心したいっていう気持ち”の裏返しなんだって、教授が言ってたよな」
「安心は、どこかにあるものじゃなくて、自分の中に育てていくもの」
ヴェントが、その言葉を噛みしめるように繰り返す。
「じゃあ、私たちさ、これからも不安になることあるかもしれないけど……
それでも、ちゃんと歩いていけるってことかな」
ペトラの声は、少しだけ震えていたけれど、しっかりと届いた。
「教授も言ってたよ。“安心って、静かに育つ植物みたいなもんだ”って。
だから、焦らなくていいって」
ヌーラが小さく笑った。
「たまに水を忘れても、枯れないかな」
「ちょっとくらい忘れても、また水あげればいいんじゃない?」
ヴェントの声に、4人の緊張が一気にほぐれた様子だった。

エピローグ:読者のみなさんへ
もしかしたら、あなたにも“なんらかの不安があるかもしれませんね。
でも、それは決してあなたが弱いからではなく、
「安心したい」という、まっすぐな願いがあるからこそ生まれるものです。
不安を責めるのではなく、まずは気づいてみてください。
「私は、何に怯えているんだろう?」
「何を守ろうとしているんだろう?」
そんな問いが、あなたの中にある“安心の種”を見つけるヒントになるかもしれません。
そして、自分だけの「安心の育て方」を、少しずつ見つけていきましょう。
ヌーラたちのように、完璧じゃなくていい。
迷っても、不安になっても、またそこから歩き出せばいいのです。

登場人物の名前について
物語に登場する4人の学生、ヌーラ・カエル・ヴェント・ペトラには、それぞれ自然を象徴する名前がつけられています。
ただしこれは、厳密な命名や類型ではなく、イメージの広がりを楽しむための名付けです。
ヌーラ(Nura)= 雲(cloud)
語源イメージ:アラビア語の「nūr(光)」や、スペイン語の「nube(雲)」などから着想。
他者に溶け込みやすく、形を変えて存在する「雲のような」感性。
でも、どこか“自分”を見失いやすい柔らかさも。
カエル(Kael)= 火(fire)
語源イメージ:ゲール語・ケルト語の男性名「Kael」「Cael(戦士の意)」や、炎を象徴する名から着想。
エネルギーと衝動を持ち、止まると不安になる「燃え続ける存在」。
行動することでしか安心を感じられない一面も。
ヴェント(Vento)= 風(wind)
語源イメージ:イタリア語・ポルトガル語の「vento(風)」より。
常に動いていて、触れられないような軽やかさ。
他者との距離を保つことで、安心を保とうとする傾向。
ペトラ(Petra)= 石(stone)
語源イメージ:ギリシャ語の「Petros/Petra(岩)」より。
内面に厳しさをもち、完璧を目指す「揺るがぬ存在」。
でもその強さは、自己否定の裏返しでもあるかもしれない。
意図的な“あいまいさ”について
この名付けには、「名前を借りて、感情や不安のかたちを象徴として語る」意図があります。
実在する誰かではなく、“どこかにいるかもしれない私たち”として感じてもらうため、名前の意味は確定せず、ゆらぎをもったまま提示されています。
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