
はじめに この文章は、私自身の母との関係性をもとに書かれています。
子供が望む理想の母
母性の海に抱かれて揺れていたい。
私の母はそうではありませんでした。
そうではないと気づいたのは、ずいぶん大人になってからでした。
現実を受け入れて
また再び『理想とは程遠い親』を愛するまでのお話しを書いていきます。
けれども、すべての母と子の関係が同じ構造にあるわけではありません。
これはあくまで、あるひとつの人生の中で、母親から愛されていると感じることができなかった子どもが、やがて母親になったときに直面した内面の困難と、それをどう理解し、ほどいていったかの記録です。

私は長い間、
「母にとって、私は必要な存在だったのだろうか?」
という問いに答えられずにいました。
そして同時に、
「自分の子どもを、私はちゃんと愛せているのだろうか?」
という問いにも、確信を持てずにいました。
本稿では、私が経験したことを具体的に示しながら、
それがどんな心理的な構造を生み、
どんな影響を私の子育てにもたらしたのかを、心理学的な視点でひとつひとつ丁寧にひもといていきます。
出来るだけ感情的にならず『心』を見つめました。
私が感じた母と娘への思いのら集大成
長文ですが読んでいただけると嬉しいです。
親の愛を感じられなかった子どもが、自分の子を愛せるようになるまでの心理分析
私は、自分が母から愛されていたという実感を持たずに大人になりました。
子供の頃は、自分の親の愛し方(接し方)が世界中の常識だと思っています。
他を知らないからです。
愛されていないなんて思わずに過ごしていました。
【1】私には、母の愛情がわからなかった
私が母からされたことで、「これは愛情だった」と確信を持って言えることはご飯を作ってくれた
お弁当を毎日持たせてくれた
運動会に来てくれた
病院へ連れて行ってくれた
おかげさまで私は今まで生きてこれました。
反面、心の交流はほとんどありませんでした。
私の言動で喜ぶ事もほとんど記憶にありません。
私が何をしても、何を語っても
私の事で喜ぶ事はありませんでした。
言い方は悪いですが…
昭和型のAIロボットの様でした。
それも昭和初期の開発途中の…

何を言っても伝わらない。
うまくできない私に「なぜできないの?」と責めるわけでもない。
だけどそこには、私を励ますような気配も、寄り添う気配もなくて…。
例えば、私が怪我をしたら絆創膏を買ってくる
私がしんどい…頭が痛い…と言えば薬を用意してくれる。
「早く寝なさい」と言う。
一時が万事、寄り添うとかの感情を感じる事はありませんでした。
もっと不思議だったのは、
母は「できない私(子供)」を恥じているようでもなく、出来ないからといって教えるわけでもない。
逆に、出来ない子供を面倒見る素敵な母を見せようとしているように見えたことです。
たとえば親戚の前や知人の前では、母はいつも「素晴らしいお母さん」を演じていました。
私が不出来であるほど、母の「立派さ」は際立つ…そんな構図の中で、私はただ道具のように存在していた気がします。
それこそ『親子ロボット』です。

【2】母の面影に会いに行った日
空白の母性と向き合うということ
私の母は、今、老人施設で寝たきりの状態にあります。洗濯物の交換や施設の支払いに行く時、母のいる部屋を覗きます。
正直に言えば、会いたい気持ちよりも、会いたくない気持ちの方が強い事が多かったのです。
なぜか?
『私の思う理想の母』には程遠いからでした。
でもある日、ふと思い立って、面会に行って話しかけることにしました。
それは義務感からでも、母への情愛からでもなく、自分の中で何かを確かめたい気持ちがあったからだと思います。
母は無表情でした。
私が来たからといって特別に喜ぶわけでもなく、むしろ「家に連れて帰ってくれなかったから、こうなったのだ」とでも言いたげな、どこか被害者意識を帯びた表情をしていました。
これは私の投影(自分の気持ちを相手に映し出す事)です。
私はその場で涙が出てきました。
悲しいというよりも、胸の奥が鈍く痛むような、複雑な感情でした。
すると母は、ほんの少し顔を赤らめ、うなずいたのです。
でも、その一連の反応にどこか「嘘くささ」を感じてしまった私がいて、それにも悲しく、悲しすぎて涙が止まりました。
表情の動き、感情の出し方、すべてが「遅れてやってきた模倣」のようで、本物の感情ではないように感じたのです。
【心理分析:空白の母性とは何か】
この出来事は、私にひとつの大きな仮説を突きつけました。それは「母には、母性の原型がなかったのではないか?」という問いです。
一般的に「母性」とは、子どもの未熟さや無力さを支えるための、献身的で温かな感情だとされています。
けれど、母の中にはそれが存在していなかったのではないか?と…
あるいは、存在している「ふり」をして、周囲に示し続けてきたのかもしれない。
だから、必要な場面で感情が出てこない。
出てきたとしても、どこかずれていたり、模倣のように見える。
この構造の中で育った私は、「感情とは、示すべき場面で演じるもの」と捉えるようになった気がします。
そして何より、「本当の気持ち」というものを自分の中で見つけられず、愛するということの実感を育てられずにいたのです。
そして、当然の様に
私もそんな母親となっていたのでした。

【3】「愛していないし、憎んでもいない」
感情の凍結と無感覚構造
母に面会したあと、私ははっきりと自覚しました。「私はこの人に、ものすごく強い愛着もないし、かといって憎しみもない」
この感覚は、一般的な親子関係のイメージとはずれているかもしれません。
けれど、これは決して「無関心」ではないのです。
むしろ、感情が育たなかった結果としての“凍結”、あるいは「感情の空白地帯」とも言えるような心理的状態です。
【心理分析:感情の凍結とは何か】
子どもは、親との関係の中で「感情の地図」を作っていきます。たとえば、
喜びを共有できた記憶は「人と喜びを分かち合える」という道をつくり、
悲しみに寄り添ってもらった体験は「自分の痛みを理解してもらえる」という地図をつくる。
けれど、私の母は、自分の感情を差し出してくることもなければ、私の感情を受け取ることもなかった。
「共鳴」も「対話」も起こらない、まるで無重力空間のような関係したでした。
そのため、私は感情の地図をほとんど持たないまま育ち、やがて「感じないこと」が日常になっていきました。
悲しみや怒りは時々湧き上がるけれど、それをどう扱っていいのかわからない。
それはまるで、心の中に感情のチャンネルが存在しないような感覚でした。
【「母への無感覚」が意味するもの】
このように考えると、「母を愛していないし、憎んでもいない」という感覚は、自分の冷たさでも、無関心でもなく「感情が育つことを許されなかった環境」で育った人に特有の、生き延びるための反応だったのかもしれません。
私の心は、生きるために「感じないようにする」という防衛策を選んだのだと思います。
そしてそのまま、大人になった…。

【4】感じることの引き継ぎ
「感情の継承」はどう起こるのか
私たちは、親から「血」を受け継ぐように、「感情の扱い方」や「関係の築き方」も、知らず知らずのうちに引き継いでいます。けれどそれは、目に見えるものでも、はっきりと言語化されたものでもありません。
多くは、沈黙の中で、無意識のうちに受け取っているのです。
【分析:感情は「引き継ぐもの」であり、「再学習するもの」でもある】
親との間で育まれなかった感情のやりとり
たとえば、抱きしめられた記憶、安心させてくれた声、悲しみに寄り添ってくれた時間。それらが欠けたまま大人になった子どもは、自分が親になったとき、「同じようにできない」ことに直面します。
• 子どもの泣き声を聞いても、どう関わっていいかわからない
• 子どもの不安に、自分がザワザワしてしまって受け止められない
• うまくいかない自分に、心の奥から「お前には無理だ」という声が響いてしまう
これらは「ダメな親になった」という証ではないはずです。
かつて感情を育てられなかった子どもが、そのまま“親という立場に置かれた”ときに起こる、構造的な葛藤なのです。

【私の場合:娘に向き合えなかった理由】
私もまた、娘にどう向き合えばよいか分からず、何度も距離をとってしまった時期がありました。「自分の言葉が届かない」
「何をしても空回りしてしまう」
娘の中の痛みや混乱が伝わってきたとき、自分の中の「空白」や「欠落」にも触れてしまうようで、 怖くて逃げ出したくなることさえあったのです。
けれど、今ならわかるのです。
それは私の冷たさでも、育児放棄でもなかった。
「受け取ったものがないまま、“渡す側”になった人間の限界」だったのだと。

【5】感情の“再学習”はどこから始まるか—
「渡せなかったもの」に向き合う勇気
「私は、娘に何も渡せなかった」かつての私は、そう自分を責めるように思っていた時期がありました。
けれど今は、少し違う捉え方ができるようになりました。
私は “受け取ったことのないもの” を、無理に渡そうとしていたんだと思います。
だからこそ、戸惑い、空回りし、時には傷つけてしまった。
【分析:人は“体験”していないことを“伝える”ことが難しい】
心理学には「モデル化」という言葉があります。これは、子どもが身近な大人(特に親)を“モデル”として模倣しながら、自分の感情や行動のパターンを形成していく、という理論です。
しかし、もしそのモデル自体が「感情の扱い方を知らない」存在だったとしたら?どうでしょう。
• 怒りを抑圧するしか知らない
• 悲しみを共有されたことがない
• 愛情を感じ取った経験がない
こういった「感情の断絶」は、知らず知らずのうちに“無言の遺伝”として受け継がれていきます。
それが、いざ親になったとき
「どうすればいいのか分からない」
「愛し方がわからない」
というかたちで立ち上がってくるのです。

【私の場合:母から受け取れなかったもの】
母との間に「感情の交流」があった記憶は、ほとんどありません。共に泣いたことも 真剣にぶつかった記憶も 甘えさせてもらった感覚も どれも不確かで、曖昧で、「なかった」と言ってもいいほど希薄でした。
母は母で、母としての力を持たないまま、“母であろうと努力していた”のかもしれません。
私が勇気を出して面会に行ったとき、母は無表情でした。
それでも私が涙を流すと、ほんの少しだけ顔を赤らめて、ゆっくりとうなずいた。…と書きましたね。
その時、私は「かわいそうだな」と感じました。
母親であることに向いていなかったのに、母を演じるしかなかった母。
その姿に、初めて“人間としての母”を見た気がしたのです。
【分析:再学習は“母を責めない”ことではなく、“理解し直す”ことから始まる】
「母もまた苦しかったはず」「母も被害者だった」
このように捉えることで、母を許そうとする考え方もあります。
それ自体は尊い視点ですが、“自分を傷つけたこと”を無効化してしまっては、癒しにはつながりません。
重要なのは、「母の限界」と「自分が受けた痛み」の両方を見つめること。
その上で、自分の中にある空白を埋めていく作業が、感情の再学習につながっていくのです。

【6】感情の“再学習”とは、過去の親子関係を書き換えることではない
私が経験してきたこと、母から受け取れなかったものは、今さら書き換えることはできません。あの時、もっとこうしてほしかった…
そう思う場面はいくつもありますが、それを母に伝えたところで、今の母にはもう受け止めきれる力も、応える力も残っていないことも知っています。
では私は、どうすればこの空白を埋めていけるのでしょうか…。
【分析:過去は変えられないが、“関係の意味”は更新できる】
心理学には、「再意味化(reframing)」という概念があります。これは、出来事そのものの事実は変えられなくても、その出来事の“捉え方”や“位置づけ”を変えることで、心の在り方を変えることができるという考え方です。
たとえば、
• 「母は私を愛さなかった」→「母は“愛するという方法”を知らなかった」
• 「私は何もしても認められなかった」→「母は“認める”という関わり方を持っていなかった」
このように、“母の能力の限界”として理解し直すことは、過去の記憶を否定せずに、感情を整理するためのひとつの鍵になります。

【私自身の変化:母の“愛の不在”に意味を与え直す】
私にとって母は、愛着も嫌悪も感じにくい存在でした。 それが逆に、とても厄介でした。なぜなら、はっきりとした感情が湧かないことが、
「私にはおかしなところがあるんじゃないか」と思わせるからです。
でも、こう考えるようになりました。
母の中には「母としての感情の回路」がなかった。
だから私の中にも、それが引き継がれなかっただけ。
それは“壊れている”のではなく、“学んでこなかった”だけなのだと。
そして、学ばなかったものは、今からでも学べるのだと。
【分析:親子関係の“連鎖”を断ち切る第一歩は、自己否定の終わり】
「私は子どもをちゃんと愛せていない」「私が母から愛されなかったから、うまく愛せない」
このような思いは、過去の痛みを自分の“欠陥”として内面化してしまっている状態です。
これは“自己否定”というかたちで、次の世代にも連鎖していってしまいます。
その連鎖を断ち切るには、まず「自分は壊れていない」「ただ、与えられなかっただけだ」という理解が必要になります。
そして、与えられなかったものを、自分の手で少しずつ育てていくという作業こそが、感情の“再学習”なのです。

【7】「愛されなかった」体験の上に、愛を育てるということ
母からの愛情を感じられなかった私は、自分の子どもに対しても「本当の意味での愛し方」がわからないまま、親になりました。私はそれに気づかないふりをしたり、「こういうものでしょう」と割り切ろうとしたりしてきました。
でも、心の奥にはいつも小さなひっかかりがありました。
「私は、ちゃんとこの子を愛せているだろうか」
「この子は、私から愛されていると感じているだろうか」
その問いは、とても静かだけれど、深く重いものでした。
【分析:愛は“感じさせるもの”であり、“行動の積み重ね”で育つもの】
「愛している」と言葉で伝えることは大切です。でも、人は言葉だけでは愛を感じることができません。
特に、愛されなかった経験を持つ人ほど、「表面的な愛」に敏感です。
自分が体験してこなかったからこそ、「本物かどうか」「本当に自分に向けられているのか」と、無意識に試すような関わり方をしてしまうこともあります。
そのため、「愛しているつもりなのに、なぜ伝わらないのだろう」と悩む親は少なくありません。
ここで大切なのは、
“愛しているつもり”と“愛されている実感”
のズレを丁寧に見つめることです。

【私の気づき:子どもに与える“愛”は、自分の中で育てなおすことができる】
私は、「母からもらえなかった愛情」は、自分の中に根付いていないと思っていました。だから、娘に対して「愛そう」と思っても、どこか不安だったのです。 でも今、少しずつわかってきました。
自分がされたかったこと”を、今から自分が娘にしてあげることで、愛は自分の中に育っていくのだと知りました。
たとえば…
• 疲れている時に「無理しないでね」と声をかける
• うまくできなかった時に「がんばったね」と寄り添う
• ただ静かに一緒にいる時間を大事にする
そういった一つ一つのやりとりの中で、「これは私がしてほしかったことなんだ」と、気づくようになっていきました。
【分析:自分の“空白”が、愛の設計図になる】
ここで見えてくる大事な視点があります。それは、「愛されなかった」体験が、“どう愛せばよいか”の設計図になりうるということです。
不足していたからこそわかる、「どうしてほしかったか」という願い。
その願いに、今の自分が応えていくことが、
「自分の中の愛」
を育てるプロセスになります。
つまり、親からもらえなかったという“欠如”は、そのまま“学びの種”になるのです。

【8】母にされなかったことを、自分自身にしてあげるという視点
私はずっと、「母にこうしてほしかった」という気持ちを抱えながら生きてきました。その気持ちは、恨みでも怒りでもなく、「願い」のようなものでした。
• 失敗して落ち込んでいるときに、叱られるのではなく、励まされたかった
• 孤独な気持ちのときに、「あなたは一人じゃない」と伝えてほしかった
• 選択に迷ったときに、「あなたなら大丈夫」と背中を押してほしかった
でも、それは実現しなかった。
そして、いつしかその願いは「私が我慢すればいい」という沈黙に変わっていきました。
【分析:無意識の“自己放棄”と、その根の深さ】
「我慢すればいい」という思考の裏側には、自分の感情や欲求を「感じないようにする」という防衛反応があります。これは、生き延びるために身につけた“サバイバルの知恵”です。
しかし、それが長く続くと、自分の声を聴く力そのものが衰えていきます。
「自分は何をしたいのか」
「今、どう感じているのか」
そういった基本的な感覚が、つかめなくなってしまうのです。
この状態を心理学では「アレキシサイミア(感情の識別困難)」とも呼びます。
母との関係において、感情が十分に受け止められなかった人が、こうした傾向を持つことは少なくありません。

【私の実践:母にしてほしかったことを、自分で自分にしてみる】
私はあるとき、「それなら、自分が自分にやってみよう」と思いました。• 朝起きたとき、「今日も大丈夫だよ」と声をかける
• 落ち込んでいるとき、「その気持ちでいいんだよ」とつぶやく
• 疲れて何もできないときに、「よくがんばってるね」と労う
たったそれだけのことなのに、涙が出てくるときがありました。
それは、誰かにしてほしかったけれど叶わなかったことを、自分がしてあげているという体験でした。
そして不思議なことに、自分への優しさが育つほどに、娘への関わり方も柔らかくなっていくのです。
これは、理屈を超えた“実感”でした。
【分析:愛は他者に向けるものではなく、“まず自分自身から始めるもの”】
ここでひとつの大きな構造が見えてきます。それは、愛は「与える前に、自分に与えるもの」だということです。
母から十分に愛された実感がない人は、「自分は愛を与える資格がない」と思い込んでしまうことがあります。
けれども、「自分が愛される価値がある」と実感することが、他者への愛につながっていく。
それが、母からは教わらなかった“もうひとつの子育て”でした。

【9】“母を超える”ということの本当の意味
「母を超える」この言葉には、複雑な感情が絡みます。
かつての私は、この言葉を聞くと、「母を見下すこと」や「母以上の何かにならなければいけない」というプレッシャーのように感じていました。
でも、深く考えてみると、「母を超える」とは、母との関係性に自分を縛られずに、自分の人生を選びなおすことだとわかってきたのです。
【分析:“母の地平”にとどまるとはどういうことか】
「母の地平」とは、母が持っていた価値観・人生観
・関係の取り方などの“枠組み”です。
愛を示す方法、怒りの扱い方、人と距離を取るクセ、感情の抑圧、演じること…
そうしたすべてが、無意識のうちに私の行動や思考をかたちづくっていました。
たとえば、「人に頼るのはみっともない」とか 「感情を見せるのは弱いこと」だとか。
そうした“母の語らなかった価値観”が、私の内面に沈殿していたのです。

【私の発見:“母と違うことをしてもいい”という自由】
あるとき、娘に対して感情的になりそうになったとき、ふと立ち止まりました。「この言い方、母がよくしていたな」
「この無視の仕方、私がされて嫌だったな」
そう思った瞬間、私はこう自分に問いかけました。
「私は、母と同じようにしたいんだろうか?」
その問いは、私を立ち止まらせる力を持っていました。
母の地平を抜け出すには、まず“自分がその中にいる”ことに気づく必要があるのです。
【分析:母を責めるのではなく、母の限界を見極める】
私の母は、“母になる準備”ができていなかった人でした。でも社会的には、良き母親を演じていました。
それは彼女なりの「生き延び方」だったのかもしれません。
ここで大切なのは、母を責めることでも、理想化することでもなく、 「母にもできなかったことがある」と認めることです。
すると、「私は私で選んでいい」という自由が生まれます。
それが“母を超える”ということの、本当の意味なのではないでしょうか。

【今、私がしていること】
・母ができなかった「感情を言葉にする」ことを、私は学び始めました。・母がしなかった「謝ること」や「寄り添うこと」を、娘や息子に対して実践しています。
・そして何より、「自分に優しくする」ということを、ようやく自分に許せるようになってきました。
私は母とは違う選択をしてもいい。
それは、母を否定することではなく、私の人生を私自身の手で生きるということ。
それこそが、母という存在の“限界”を超えた、もうひとつの母性なのだと思います。

【10】娘との関係の再設計
“演じない母”になるという選択
私の娘は、幼い頃から人一倍繊細で、人の表情や空気に敏感でした。一緒に暮らしていながら、私は長い間、「娘と心でつながっている」という実感を持てずにいたと思います。
それは私自身が、“つながる”という感覚を知らずに育ったからだとは思うのですが…
自分の心を表現したり、誰かに気持ちを委ねたりすることを、私は母との関係の中で学ばなかったのです。
【分析:“演じる母”の再生産】
私は長い間、“いい母親像”を必死に演じていました。・怒らずに笑顔で接すること
・シングルマザーなので家計を支え続けること
・人間関係の事で助言すること
一見すると、どれも“良い母”として当然のことのように思えます。
けれど、そこには「自分を良く見せたい」という無意識の演技があったと思います。
つまり私は、かつて母が私にしていたことを、形を変えて娘にしていた。 自分を否定しながら、母の再生産をしていたという矛盾に気づいたのです。

【気づき:本当は「ちゃんとできない自分」を見せたかった】
演じることに疲れていたのは、母だけではなく、私もでした。本当は私は、「できない私」や「弱い私」も、そのまま見てほしかったのだろうと思います。
だけどそれを言葉にできずに、「ちゃんとした母親」として娘の前に立ち続けていたのです。
あるとき、娘が不安定になって仕事を辞めたいと泣いた夜、私は言葉を探しました。
昔の私なら、きれいな言葉を連ねて意味不明になっていたかもしれません。
でもその夜は違いました。
私はただ、「そうか、しんどかったね」と言って、横に座ることにしました。
自分の中に“母らしさ”ではなく、“人としての共感”を置いたのです。

【分析:母性の再定義 ― 自分を責めないことから始まる母子関係】
母性とは「全てを与えること」でも「完璧であること」でもありません。むしろ、「自分を責めないこと」「自分を見せること」から始まるものだと、私は学び始めました。
つまり、演じる母性ではなく、“開いていく母性”です。
・「わからないね」と一緒に戸惑えること
・「ごめんね」と言える勇気を持つこと
・「私も人間なんだよ」と伝えること
それらは、母に許されなかったけれど、今、私は娘に渡すことができる贈り物です。
【結び:私は“母”ではなく、“私”として母になる】
私は今、「母である自分」と「私自身」を、少しずつ重ね合わせ直しています。母に与えられなかったものを、今の自分が与えられること。
それが、「母を超える」その先にある、“新しい母娘のつながり”だと感じています。
私と娘はまだ、試行錯誤の途中です。
でも、「演じない母」を選ぶたびに、私たちの間に本当の言葉と感情が流れるようになってきました。
“ちゃんとしていない私”を、私はやっと許し始めたのです。
そしてそれが、娘の“ちゃんとできない自分”をも、静かに抱きしめているように思えます。

【11】「私とは何者か」の再定義
親の期待ではなく、自分の軸で生きる 私は長い間、「誰かにとって意味のある人間であろう」として生きてきたように思います。それは母に対しても、世間に対しても、そして娘に対しても、息子に対しても同じでした。
自分が「ちゃんとしている」こと、「役に立っている」こと、「好かれている」こと。
それが、自分の存在の価値であるかのように信じていたのです。
けれど本当は、私は自分の人生を自分で定義したことがなかったのだと、ある時気がつきました。
【分析:他者に価値を預け続けてきた私】
「あなたは偉いね」「よく頑張ってるね」
「さすがね」
と言われると、ほっとする。
けれど、それがないと、すぐに自分が「価値のない人間」に思えてしまう。
それは、自己価値の軸を他者に預けてしまっている状態です。
母がいつも自分をよく見せたがっていたように、 私も“よく見える私”を演じ、内側の空虚さには目を向けてこなかったのです。
けれど、娘との関係の中で、私は“ちゃんとしていない私”を隠せなくなっていきました。
そこではじめて、「私は誰のために、何を頑張っていたのだろう?」という問いが浮かんだのです。

【気づき:親から借りた言葉で自分を語っていた】
たとえば、「ちゃんとしなさい」という言葉。 それは本来、自分の人生に必要なものだったのでしょうか。私は、自分の中にある言葉や価値観の多くが、親から“借りてきたもの”だったことに気づきました。
・弱さは見せてはいけない
・自分より他人を優先しなければならない
・ちゃんとしている人だけが愛される
こうした前提を、私は無自覚に「自分のもの」として受け入れてきたのです。
でも本当にそうでしょうか?
「私」という人間は、本当はもっと別の感覚を持っていたのではないでしょうか。
【再定義:「ちゃんとしていない私」もまた、私である】
私はようやく、「できない私」
「迷っている私」
「誰かに頼る私」
も、私という存在の一部であると認められるようになってきました。
・誰かの役に立たなくても
・うまく説明できなくても
・泣いたり、怒ったりしても そんな私にも、生きていていい理由がある。
むしろ、そういう私でいられることが、他者との関係の中で“本当の安心”を生み出すのだと、少しずつ体感し始めているのです。

【結び:私の定義は、今、私の手に戻ってきた】
“私は、親に育てられた人間だ” この事実は変えられません。けれど、“その後どう生きるか”は、私の選択にかかっているのです。
誰かの目ではなく、自分のまなざしで「私」を見つめる。
それは不安でもあり、自由でもあります。 親の価値観を背負ったまま苦しむ人に、私は伝えたいと思います。
「あなたの人生は、あなた自身が選びなおしていい」と。
【12】「母を超える」とは何か
“反復”ではなく“更新”のために 私はかつて、「母のようにはなりたくない」と強く思っていました。でも気がつけば、母と似たような言葉を口にし、母と同じような痛みを娘に渡してしまっていたこともありました。
母を否定しながら、なぞってしまう。
その構造から抜け出すには、単に「母より優れている」と証明することでは足りなかったのです。
【分析:「母を超える」幻想のワナ】
私たちは時に、「親よりもちゃんとした人間になろう」としてしまいます。それは無意識のうちに、親との比較を軸に自分を位置づけようとする構造です。
けれどそれは、実は“母に縛られたまま”の状態でもあります。
なぜなら、「超える」「乗り越える」と言った瞬間、そこに母という基準を据え続けているからです。
本当に母を超えるとは、 “母を基準にした人生”を手放して、“自分自身の人生”に切り替えること。
それは競争ではなく、“脱構造”の選択なのだと、今なら思えるのです。

【視点の転換:「母に似てしまった私」へ】
たとえば、娘との関係において、私がとったある言動。それがふと、「母が私にしてきたこと」と重なって見える瞬間があります。
そんなとき、私は自分を責めたくなります。
「結局、私も同じだったのか」
「やっぱり母親失格だったのか」
でも、そのとき大切なのは、責めることではなく、見ること。
同じパターンが起きていることに気づいたときこそが、再構築のスタートなのです。
【変化の種は、苦しみの中にある】
私たちは、繰り返してしまったことに気づいたとき、 「こんなに頑張ってきたのに」と失望するかもしれません。でも、その“がっかりした自分”の中にこそ、変化の芽はあるのです。
なぜなら、 「気づいた私」は、「気づいていなかった母」とは違う地点に立っている。
そこからはじめて、“反復”ではなく“更新”の道が拓かれるのです。
【母の外側に、私の人生をつくる】
母のようにはなりたくないと思っていた。でも、母と同じようにしか生きられないと感じていた。
その両方に、私は長く挟まれてきました。
けれど今、ようやく理解できたのです。
母を超えるということは、母の物語の続きを書くことではない。
まったく別のページに、自分の物語を書き始めること。
「母を超える」とは、母から自由になるということ。
そして、私自身の足で立ち、愛し、失敗し、それでも生き直していくということ。
その道は、これからもつづいていきます。

【13】“母と娘”の構造を越えて
本当の愛とは何か
「愛されなかった私が、誰かを愛せる日は来るのか」この問いを抱えて、私は長い時間をかけて、自分の母との関係を見つめ直してきました。
傷ついた記憶に目を向けることは、容易なことではありませんでした。
ましてや、それが“母”という存在に由来するものだった場合、それはさらに複雑な痛みを伴います。
しかし、見つめることでしか、私たちは“無意識のくり返し”から抜け出すことはできないのだと、今ならはっきり言えます。
【“愛されなかった子”の生き直し】
母から受けた愛が感じられなかった。それはまるで、空っぽの器を抱えたまま、他者と関係を持とうとするような感覚でした。
愛し方がわからない。
与えることも、受け取ることも、どこかぎこちなくて。
でも私は、愛をあきらめることだけはしたくなかったのです。
なぜなら、「愛されなかった」という体験は、“愛がわかる”ための出発点にもなり得ると、気づいたからです。
【母と娘 ― 関係性は“心の構造”として引き継がれる】
“親子関係の記憶”は、単なる過去の出来事ではなく、その人の世界の捉え方そのものに影響を及ぼします。母から無関心や過干渉を受けた人は、
・「私は大事にされる存在ではない」
・「期待に応えなければ価値がない」 という内的前提を持ちやすくなります。
この内的前提は、次の世代との関係性にも、無意識のうちに投影されてしまいます。
だからこそ、過去の親子関係に向き合うことは、「自分の子との関係」を再構築することにも直結するのです。
【本当の愛とは、“満たすこと”ではなく、“共にいること”】
私は、自分の子どもを“ちゃんと愛したい”と思っていました。けれどそれは、どこか「満たしてあげよう」という、上からの視線になっていたこともあります。
でも、愛とは「何かをしてあげること」ではなく、 「そこにいること」「共に感じること」なのだと、ある時から感じるようになりました。
うまく言葉にできなくても、 沈黙の中に流れる“まなざし”や“まなざされ”の時間。
そこに、ようやく見えたのです。 愛は、技術や完璧さではなく、「関係性のあたたかさ」に宿るのだと。

【終章:愛することの“はじまり”に立つ】
私の母は、きっと母親として生きる準備ができないまま母になったのだと思います。私も、親としての自信を持てないまま母になりました。
でも、準備が整っていなくても、「見直す」「考え直す」ことはできます。 愛し方がわからなくても、「学ぶ」「立ち止まる」「試してみる」ことはできます。
愛は、誰かから完璧に教えられたものではなく、 不完全な私たちが、“誰かとの関係”の中で、少しずつ見つけていくものなのかもしれません。

【あとがきにかえて】
この文章は、筆者である私の経験に基づいていますが、 同時に、同じように「親からの愛を感じられなかった」と感じている誰かに向けて書きました。すべての親子関係が同じ構造を持つわけではありません。
しかし、関係性に傷つき、その構造の中で苦しんできた人が、もう一度自分自身を取り戻していく道筋は、たしかに存在します。
この文章が、あなた自身の「心の再構築」のきっかけとなれば、これ以上の喜びはありません。
心から応援しています。
I support you wholeheartedly.
#生きとし生けるものが幸せでありますように
#May all living things be happy!
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