新年度がしんどい理由
〜自己期待と過去の傷、理想と現実の折り合いのつけ方〜

4月。
春の風が吹いて、街には新しい制服やスーツがあふれて、まるで「さあ、はじめよう」と世界全体が言ってくるような季節ですね。
でも…
そんな新しいスタートのはずのこの季節に、ふと立ち止まってしまうことがあります。
なぜか疲れやすくて、なぜか自信がなくなって、なぜか「こんなはずじゃなかった」と思ってしまう。
もしかするとそれは、“新年度”という言葉に込めた、私たち自身の「理想の私」への期待が、とても大きいからかもしれません。
たとえば、
もっとできる人にならなきゃ。
もっと優しくなきゃ。
もっと余裕を持って、もっとちゃんとして、もっと強くならなきゃ。
新しい環境、新しい関係、新しい自分。
そう思ったときに浮かぶのは、本当の自分ではなく、数倍できて、数十倍優しい“理想の自分”だったりするのではないでしょうか。
でも、現実の私はそんなに器用じゃないし、完璧でもない。
イライラもするし、傷つくし、思っているようにできないことだってある。
それが普通のはずなのに、「もっと頑張らなきゃ」と自分を追い詰めてしまうのは、どうしてなんでしょう。

私は最近、こう思うようになりました。
理想の私って、親のような誰かをモデルにしているわけじゃないんだなぁ…
むしろ、「あんな風にはなりたくない」という気持ちや、「本当はこうしてほしかった」という願いの裏返しが、理想のかたちをつくっているのかもしれないなと。
たとえば、優しい人になりたいと思うのは、
かつて自分が優しさを受け取れなかった記憶があるから。
誰かに寄り添いたいと思うのは、
かつて寄り添ってもらえなかった孤独を知っているから。
理想の私とは、
過去に足りなかった何かを、自分の中に満たそうとする「願い」のかたちなのかもしれません。

でも、その「願い」はとても大切なものである一方で、
「今の自分はまだその理想に届いていない」と感じると、生きる力がしぼんでしまうこともあります。
なぜなら…理想は理想であって、簡単に到達できるものでは無いからです。
だからこそ、「こんな私じゃだめ」と否定するのではなく、
「こうなりたかったんだね」「それだけ求めていたんだね」と、自分の気持ちを一度受け止めてあげることが必要なのではないでしょうか。
理想と現実の間には、いつだって距離があります。
その距離に疲れたときは、理想を手放すのではなく、
「そこに向かっている途中の私を、どうしたら少しでも楽にできるだろう」と考えてみるのもいいのかもしれません。

新年度は、始まりでありながらも、
自分にとっての「過去」や「期待」や「傷」が浮かび上がる季節でもあります。
そんなときこそ、自分とちゃんと向き合ってあげたいですね。
「まだできないことがあっても、私は私として進んでいる」
そんな風に、自分を見守る視点を持てたなら、
新しい季節に飲み込まれずに、ちゃんと自分の足で歩いていけるような気がしています。

心から応援しています。
I support you wholeheartedly.
#生きとし生けるものが幸せでありますように
#May all living things be happy!