人はみんな、何度でも生まれ変わることができる。
人はみんな、何度でも生まれ変わることができる」というのは、過去の自分に縛られず、新しい自分に衣替えしても良いという意味です。それは「まったく別の存在になる」ということではなく、考え方や生き方を見直して、自分らしく変わっていけるということ。
まるで春にコートを脱ぎ、軽やかな服に着替えるように、心も何度でも新しくできるのです。
それなのに、なぜか「変わること」を怖がってしまう事があります。

テセウスの船
たとえば、「テセウスの船」という有名な哲学の問いがあります。古代ギリシャの英雄テセウスが乗っていた船は、長い年月の間に朽ちた木材を少しずつ新しいものに取り換えられていきました。
やがて、元の部品はすべて新しいものに置き換わったけれど、それでもその船は「テセウスの船」と呼ばれ続けたのです。
この話が私たちに問いかけるのは、「同じもの」とは何か、ということです。
すべてが入れ替わっても、テセウスの船はテセウスの船のままだった。それなら私たちだって、過去の経験や思い込みから自由になり、新しい自分に生まれ変わってもいいはず…です。
でも、日本にはこんな言葉もあります。
「さっき泣いたカラスがもう笑った」
子どもがさっきまで泣いていたのに、すぐにけろっと笑う様子をからかう表現で「さっき泣いたカラスがもう笑った」と言われる事があります。でもこれ、少し怖くないですか?
これをいう時は、ちょっと馬鹿にしたような表現をする事が多いのです。
感情が変わることを「おかしい」「一貫性がない」と笑う文化が根付いていることの表れかな?とも思うのです。
大人になればなおさら、
「一度決めたことを覆すのは恥ずかしい」
「変わった自分を見せたらバカにされるかもしれない」
という無意識の縛りが強くなるように思います。
「一貫した自分」でいなければならない。
そう思うあまり、本当は新しくなりたくても、過去に囚われ続けてしまう。…
でも、よく考えてみてほしいんです。
私たちの体は、日々生まれ変わっていると聞きます。
古くなった細胞は新しく作り変えられ、数年後には体のほとんどが入れ替わっているそうですね。
だとしたら、心だって同じことだと思います。
昨日のあなたと今日のあなたは、もうすでに違うはずです。
「テセウスの船」は教えてくれるのです。
たとえ変わり続けても、それはあなたであり続けるのだと。
「さっき泣いたカラスがもう笑った」と笑われたら、「そうだよ、私は変わったんだ」と胸を張ればいいと思います。
変わることを恐れず、何度でも生まれ変わっていこうじゃないですか。
過去に縛られる必要はないのです。
あなたは、あなたが選ぶたびに、新しくなっていいのだから。
心から応援しています。
I support you wholeheartedly.
#生きとし生けるものが幸せでありますように
#May all living things be happy!
