私たちはみんな母親のお腹の中から出てきたもので、お腹の中にいる時はもちろんのこと、物心つくまでの間は(精神的に)母親とぴったりくっついた生活をしています。
そして、その時の子供は『母の目を通して物事を見たり聞いたり、感じたり』していきます。
母の感情を通してこの世界を見ている時代がありました。

成長していくにつれて、違うんじゃないかと思うことも増えて、少しずつ少しずつ「自分はこう思う」を増やしていったはずです。
もしそこで母親が頑固な信念を持っていた時は、自分の中の自分はこう思うという信念とのぶつかり合いが起きます。
それこそが『嫌々期』とも言われる、親からすれば、ちょっと困った状態の反抗期がやってくるわけです。(親が思い通りに行かないだけなので嫌々期万歳です)

こうやって、私たちは母親のお腹にいた頃の、《母の目を通して見た世界》から脱却していくわけです。
が、あまりにも一体化したところから始まったので、自分の考えたのか、母親の考えなのかがよくわかっていないこともあるようです。
ずいぶん大人になってから起きている問題が、実は母親の目を通して見た物事の見方をしているがために…
『今解決しようと思っている問題は、実は母親が抱えていた問題なのだ』ということもあり得ます。

例えば、
なんだか知らないけど、男の人って無責任だよね。私のことを守ってくれないよねという経験を経た上で『男なんて…』という信念を持っていたとしましょう。
人は、信念を持つと、この世界を自分の信念の通りにあるものだとしたいわけです。
(そう見ていく方が、自分の心が落ち着くんです)
「私は正しいよね?」って思いたいのです。
早い話、私は間違っていなかったと言いたいのです。
だから、先程の例で言うと
『男の人は、私のことを守ってくれない』という証拠になるような出来事ばかりを見つけ出しては、「やっぱりね」と、自分でどこかで納得するような事例をいっぱい貯めていったりしているものです。
そして、その信念はますます硬くなり、自分の中に刻み込まれ、『男の人は自分を守ってくれない』と言う目で見ていきます。
そんな思いを持って、男の人を見ているので、例えば、そうじゃない人と出会ったとしても「あなたはきっと私を裏切るよね?」「あなたは私のことを守ってくれるような人じゃないもんね」と、心の奥底で思いながら、あなたを守ろうとする男の人を、お互いの目で見続けていたとしますね。
すると、彼からすると
どんなに優しくて、どんなにあなたのことを好きで、あなたを幸せにしようと「大丈夫だよ」「愛してるよ」ずっと守るからねと強く思っていたとしても、その疑いの目に対して、心が折れてしまう日が来るかもしれません。
なぜなら、彼も普通の人間だからです。
あなたと同じ普通の、優しくもあり、傷つきやすくもあり、か弱かったり、時々強かったりする一人の人間なのです。
彼だって、どこかで守られたいし、信じて欲しいし、何よりもこの自分の思いをしっかりと受け取ってもらいたいと思っている普通の人間だからです。
彼は神様でもなければ、あなたを守るために生まれてきたのではなくて、1人で生きてきた人生の幸せを膨らませるために、誰かと出会い、幸せも悲しみも苦しみも分かち合って支えあって、愛し合って暮らしていくことを願ってそこにいるわけです。

私たちは、同じ立場にいて愛される側愛する側なんて言う隔たりは無いのだと思います。
あるとすれば、それは幼い頃の親子関係だと思います。
親がいて、愛される立場の私が満たされていないと…
自分は愛される側なんだと《愛される側に》ものすごく執着している事があります。
特に、母親が自分の中にある愛を何らかの傷で止めてしまっている人であれば、欲しい時に欲しい愛が与えられなかった可能性ががあります。
大人になって、親からは離れたと思っていても、母親からもらえなかった母性や愛を他人に求めてしまうことも起きます。
パートナーや(男女関係なく)上司といった『自分を守ってくれるであろう立場の人』に対して感じる事が多いようです。
だけど親では無いので、思い通りの愛を得ることは難しく、甘えさせてくれない!ちゃんと見てくれない!という怒りに転じやすくなります。
もしも心当たりがあるであれば、「親の愛を求めているんだな…」「自分はまだ子供のままでいたいと思っているんだな」と思ってみて欲しいです。
自分は何もできないという幼い、未熟な子供の心で『誰かに愛してもらえないと生きていけないと思っているんだな?』
と知ることから、始めてもらいたいと思います。

それは何も恥ずかしいことではなく、幼い頃に何かがあって心が大人になりきれていないだけのことです。
大人になりきれていないと言うのは、自立をしていないという言い方もできます。
依存と自立という言葉で表されますが、依存が悪くて、自立が良いということは全くなく、心の成長度合いの話だけで、依存には依存の喜びがある、依存ならではの悲しみがあります。
自立には、自立ならではの喜びもあるし、自立しているが、ゆえに感じる苦しさや辛さも当然あります。
何が良いとか、何が悪いと言う問題ではなくて、自分が心の成長段階のどの部分にいるのかと言う問題なだけで、喜びと苦しみを天秤にかけたときに、喜びが大きい方を選んでいけばいいんじゃないかなって私は思っています。
甘えさせてくれる人がいるのであれば、甘えていてもいいと思います。

『甘えていられる』というのは、今のあなたに与えられた特権です。
存分に味わってください。
味わい尽くしてください。
「こんな事してちゃダメだわ…」
は、思わなくて良いです。
甘えられる状況にいて、その恩恵を受け取らないのは勿体無いし、甘えさせてあげようとしている側も切なすぎます。
ただ…
「このまま甘えさせてくれる人がいなくなったらどうしよう。」「不安だな」と、自分の思考の半分以上が不安に襲われて甘えることを楽しめないのであれば、自立…自分のめんどうを自分で見られるようになっていこうとしてください。
もしもこの甘えられる状態がなくなったとしても「私は私でまた次のステージで生きていけるんだもん」と、自分の力で生きるステージに行こうと思えばいいだけのことなんですね。
自分の思っているような事は、相手も思っているんじゃないかな?と思えるようにすると、人間関係の煩わしさは少しずつ消えていきます。対等さが感じられるからなんです。
「相手も自分と同じように愛して欲しがっているんじゃないかな?」
と、本当に思えたときに、自分ばかりが愛してほしい。わかってほしい。助けてほしい。と怒りをぶつけていたんじゃないかなって思えるかもしれません。
じゃぁ、私から理解してみようかな?愛を送ってみようかな?ができるようになるんですね。
(一回怒りを通ってからになると思いますけど…)
みんな、愛したいし愛されたいんです。
妻であっても夫であっても。
親であっても子供であっても。
上司であっても部下であっても。
役割を脱ぐと、みんな普通の人間なんだよな〜って思えるようになると、あなたの心の中にある本来の暖かさが戻ってくると思います。
お母さんの方が大きくて私は小さい
と思うから、お母さんの中に入って物事を見ていたんですけど

私たちは対等なんだな…..
私たちは対等になったんだなと思うと
自分の目を通した物事の見方が出来るようになってくると思います。
#生きとし生けるものが幸せでありますように。

15年前に作ったチューリップの押し花がまだ色を放っています。
当時の鮮やかさは薄れたけれど、落ち着いて安心感のある色合いになってきました。
その時々の色を放っていきましょう。
ではまた!
そして、その時の子供は『母の目を通して物事を見たり聞いたり、感じたり』していきます。
母の感情を通してこの世界を見ている時代がありました。

成長していくにつれて、違うんじゃないかと思うことも増えて、少しずつ少しずつ「自分はこう思う」を増やしていったはずです。
もしそこで母親が頑固な信念を持っていた時は、自分の中の自分はこう思うという信念とのぶつかり合いが起きます。
それこそが『嫌々期』とも言われる、親からすれば、ちょっと困った状態の反抗期がやってくるわけです。(親が思い通りに行かないだけなので嫌々期万歳です)

こうやって、私たちは母親のお腹にいた頃の、《母の目を通して見た世界》から脱却していくわけです。
が、あまりにも一体化したところから始まったので、自分の考えたのか、母親の考えなのかがよくわかっていないこともあるようです。
ずいぶん大人になってから起きている問題が、実は母親の目を通して見た物事の見方をしているがために…
『今解決しようと思っている問題は、実は母親が抱えていた問題なのだ』ということもあり得ます。

例えば、
なんだか知らないけど、男の人って無責任だよね。私のことを守ってくれないよねという経験を経た上で『男なんて…』という信念を持っていたとしましょう。
人は、信念を持つと、この世界を自分の信念の通りにあるものだとしたいわけです。
(そう見ていく方が、自分の心が落ち着くんです)
「私は正しいよね?」って思いたいのです。
早い話、私は間違っていなかったと言いたいのです。
だから、先程の例で言うと
『男の人は、私のことを守ってくれない』という証拠になるような出来事ばかりを見つけ出しては、「やっぱりね」と、自分でどこかで納得するような事例をいっぱい貯めていったりしているものです。
そして、その信念はますます硬くなり、自分の中に刻み込まれ、『男の人は自分を守ってくれない』と言う目で見ていきます。
そんな思いを持って、男の人を見ているので、例えば、そうじゃない人と出会ったとしても「あなたはきっと私を裏切るよね?」「あなたは私のことを守ってくれるような人じゃないもんね」と、心の奥底で思いながら、あなたを守ろうとする男の人を、お互いの目で見続けていたとしますね。
すると、彼からすると
どんなに優しくて、どんなにあなたのことを好きで、あなたを幸せにしようと「大丈夫だよ」「愛してるよ」ずっと守るからねと強く思っていたとしても、その疑いの目に対して、心が折れてしまう日が来るかもしれません。
なぜなら、彼も普通の人間だからです。
あなたと同じ普通の、優しくもあり、傷つきやすくもあり、か弱かったり、時々強かったりする一人の人間なのです。
彼だって、どこかで守られたいし、信じて欲しいし、何よりもこの自分の思いをしっかりと受け取ってもらいたいと思っている普通の人間だからです。
彼は神様でもなければ、あなたを守るために生まれてきたのではなくて、1人で生きてきた人生の幸せを膨らませるために、誰かと出会い、幸せも悲しみも苦しみも分かち合って支えあって、愛し合って暮らしていくことを願ってそこにいるわけです。

私たちは、同じ立場にいて愛される側愛する側なんて言う隔たりは無いのだと思います。
あるとすれば、それは幼い頃の親子関係だと思います。
親がいて、愛される立場の私が満たされていないと…
自分は愛される側なんだと《愛される側に》ものすごく執着している事があります。
特に、母親が自分の中にある愛を何らかの傷で止めてしまっている人であれば、欲しい時に欲しい愛が与えられなかった可能性ががあります。
大人になって、親からは離れたと思っていても、母親からもらえなかった母性や愛を他人に求めてしまうことも起きます。
パートナーや(男女関係なく)上司といった『自分を守ってくれるであろう立場の人』に対して感じる事が多いようです。
だけど親では無いので、思い通りの愛を得ることは難しく、甘えさせてくれない!ちゃんと見てくれない!という怒りに転じやすくなります。
もしも心当たりがあるであれば、「親の愛を求めているんだな…」「自分はまだ子供のままでいたいと思っているんだな」と思ってみて欲しいです。
自分は何もできないという幼い、未熟な子供の心で『誰かに愛してもらえないと生きていけないと思っているんだな?』
と知ることから、始めてもらいたいと思います。

それは何も恥ずかしいことではなく、幼い頃に何かがあって心が大人になりきれていないだけのことです。
大人になりきれていないと言うのは、自立をしていないという言い方もできます。
依存と自立という言葉で表されますが、依存が悪くて、自立が良いということは全くなく、心の成長度合いの話だけで、依存には依存の喜びがある、依存ならではの悲しみがあります。
自立には、自立ならではの喜びもあるし、自立しているが、ゆえに感じる苦しさや辛さも当然あります。
何が良いとか、何が悪いと言う問題ではなくて、自分が心の成長段階のどの部分にいるのかと言う問題なだけで、喜びと苦しみを天秤にかけたときに、喜びが大きい方を選んでいけばいいんじゃないかなって私は思っています。
甘えさせてくれる人がいるのであれば、甘えていてもいいと思います。

『甘えていられる』というのは、今のあなたに与えられた特権です。
存分に味わってください。
味わい尽くしてください。
「こんな事してちゃダメだわ…」
は、思わなくて良いです。
甘えられる状況にいて、その恩恵を受け取らないのは勿体無いし、甘えさせてあげようとしている側も切なすぎます。
ただ…
「このまま甘えさせてくれる人がいなくなったらどうしよう。」「不安だな」と、自分の思考の半分以上が不安に襲われて甘えることを楽しめないのであれば、自立…自分のめんどうを自分で見られるようになっていこうとしてください。
もしもこの甘えられる状態がなくなったとしても「私は私でまた次のステージで生きていけるんだもん」と、自分の力で生きるステージに行こうと思えばいいだけのことなんですね。
自分の思っているような事は、相手も思っているんじゃないかな?と思えるようにすると、人間関係の煩わしさは少しずつ消えていきます。対等さが感じられるからなんです。
「相手も自分と同じように愛して欲しがっているんじゃないかな?」
と、本当に思えたときに、自分ばかりが愛してほしい。わかってほしい。助けてほしい。と怒りをぶつけていたんじゃないかなって思えるかもしれません。
じゃぁ、私から理解してみようかな?愛を送ってみようかな?ができるようになるんですね。
(一回怒りを通ってからになると思いますけど…)
みんな、愛したいし愛されたいんです。
妻であっても夫であっても。
親であっても子供であっても。
上司であっても部下であっても。
役割を脱ぐと、みんな普通の人間なんだよな〜って思えるようになると、あなたの心の中にある本来の暖かさが戻ってくると思います。
お母さんの方が大きくて私は小さい
と思うから、お母さんの中に入って物事を見ていたんですけど

私たちは対等なんだな…..
私たちは対等になったんだなと思うと
自分の目を通した物事の見方が出来るようになってくると思います。
#生きとし生けるものが幸せでありますように。

15年前に作ったチューリップの押し花がまだ色を放っています。
当時の鮮やかさは薄れたけれど、落ち着いて安心感のある色合いになってきました。
その時々の色を放っていきましょう。
ではまた!