私が息子の成績や言動で悩んでいた時
私は息子を何者にしたくて悩んでいたんだろう?
彼が、みんなと同じペースで、物事を処理できなかった時
私は息子がどうなることで、幸せになると思って、あんなにイライラして怒っていたんだろう?
私が娘の生活がみんなと違い始めた時
私は娘がどうなると思ってあんなに怯えていたんだろう?
みんなと同じ暮らしができることで
彼女がどんな幸せを掴むと思って、あんなに一生懸命彼女の人生を誘導していたんだろう?
お互いに必死だった。
ものすごいエネルギーを使った時期だった。
今、あのエネルギーを使うとしたら
何か命に関わる大きな発明ができるのではないかと思う位に
私たちは何かに抵抗していたし
何かにさせようとして、何者にもならないぞ!としていた。
今、思い返すと
「放っておきゃ いいじゃないか」
と、苦笑いしてしまうようなことも
あの時代は、本気で悩んだし、本気で泣いた。
子供が不登校やいじめ問題で悩んでいた時に、当時のスクールカウンセラーさんに
「子供の事では、バケツいっぱい分の涙を流さないと問題は消えないんだよ」と言われた言葉がまだ脳裏に残っている。
私は、バケツいっぱい分の涙を流したのだろうか?
あの時の問題は、今の私では、問題ではなくなってしまった。
ギフトだと思えるほどに、問題は無くなってしまった。
もしも、何も無い人生があったとして
何も無いままの人生を疑うことなく進んでいたとして
私の人生が終わる時に『無難な人生だったね』と思って終わるんだろうなって想像してみます。
あれぐらいのエネルギーを使わないと乗り越えられなかった出来事は…
きっと、あれぐらいのエネルギーで曲げなければいけなかったのだと思います。
何かしらの意味があって
何かしらの意図があって
その意味や意図は、その時にはわからないものだとしても、通り過ぎた後に(曲がりきった後に)みんな思っていることがありそうです。
「そうか、そういうことだったのか」
私たちの人生で意味のない事は起こらないって言います。
私たちの人生で乗り越えられない問題は起きないとも言います。
どんなに苦しくても、結局、なんだかんだと乗り越えてきたから、今ここにこうして、私たちが存在しているんですよね。
自分の力で乗り越えられないものは
誰かに助けてもらって乗り換えていくものです。
私たちのそばにいる人を大切にしていきましょう。
どんな人でも、どんな立場の人でも『私たち』と言う。この人生の(大きな意味での)パートナーとして、ネガティブもポジティブも含めて、一緒に生きているんだと思えば
ネガティブを表現している人は、私の1つの側面を受け持ってくれているのかもしれないし
嫉妬をしてしまうようなポジティブを輝かせている人は、私の1つの側面を表現してくれている人なのかもしれません。
目の前で起きている物事一つ一つは
必ず私たちに何かを考えさせて、何かを与えてくれる、そんな出来事だと思ってみることができたら
今起きている『問題』とされるものも
ただただ苦しいだけのものではないと思えてくるかもしれませんね。
結局のところ
問題がなくなる時って
「え?これって問題でもなんでも無いんじゃね?」
って気づいた時なじゃないかと思います。
生きとし生けるものが
幸せでありますように。

私は息子を何者にしたくて悩んでいたんだろう?
彼が、みんなと同じペースで、物事を処理できなかった時
私は息子がどうなることで、幸せになると思って、あんなにイライラして怒っていたんだろう?
私が娘の生活がみんなと違い始めた時
私は娘がどうなると思ってあんなに怯えていたんだろう?
みんなと同じ暮らしができることで
彼女がどんな幸せを掴むと思って、あんなに一生懸命彼女の人生を誘導していたんだろう?
お互いに必死だった。
ものすごいエネルギーを使った時期だった。
今、あのエネルギーを使うとしたら
何か命に関わる大きな発明ができるのではないかと思う位に
私たちは何かに抵抗していたし
何かにさせようとして、何者にもならないぞ!としていた。
今、思い返すと
「放っておきゃ いいじゃないか」
と、苦笑いしてしまうようなことも
あの時代は、本気で悩んだし、本気で泣いた。
子供が不登校やいじめ問題で悩んでいた時に、当時のスクールカウンセラーさんに
「子供の事では、バケツいっぱい分の涙を流さないと問題は消えないんだよ」と言われた言葉がまだ脳裏に残っている。
私は、バケツいっぱい分の涙を流したのだろうか?
あの時の問題は、今の私では、問題ではなくなってしまった。
ギフトだと思えるほどに、問題は無くなってしまった。
もしも、何も無い人生があったとして
何も無いままの人生を疑うことなく進んでいたとして
私の人生が終わる時に『無難な人生だったね』と思って終わるんだろうなって想像してみます。
あれぐらいのエネルギーを使わないと乗り越えられなかった出来事は…
きっと、あれぐらいのエネルギーで曲げなければいけなかったのだと思います。
何かしらの意味があって
何かしらの意図があって
その意味や意図は、その時にはわからないものだとしても、通り過ぎた後に(曲がりきった後に)みんな思っていることがありそうです。
「そうか、そういうことだったのか」
私たちの人生で意味のない事は起こらないって言います。
私たちの人生で乗り越えられない問題は起きないとも言います。
どんなに苦しくても、結局、なんだかんだと乗り越えてきたから、今ここにこうして、私たちが存在しているんですよね。
自分の力で乗り越えられないものは
誰かに助けてもらって乗り換えていくものです。
私たちのそばにいる人を大切にしていきましょう。
どんな人でも、どんな立場の人でも『私たち』と言う。この人生の(大きな意味での)パートナーとして、ネガティブもポジティブも含めて、一緒に生きているんだと思えば
ネガティブを表現している人は、私の1つの側面を受け持ってくれているのかもしれないし
嫉妬をしてしまうようなポジティブを輝かせている人は、私の1つの側面を表現してくれている人なのかもしれません。
目の前で起きている物事一つ一つは
必ず私たちに何かを考えさせて、何かを与えてくれる、そんな出来事だと思ってみることができたら
今起きている『問題』とされるものも
ただただ苦しいだけのものではないと思えてくるかもしれませんね。
結局のところ
問題がなくなる時って
「え?これって問題でもなんでも無いんじゃね?」
って気づいた時なじゃないかと思います。
生きとし生けるものが
幸せでありますように。
