こんにちは。三好成子です。
先日は、恋愛心理学講座を担当させていただきました。
共依存を扱った、重いテーマにもかかわらず、たくさんの方にご視聴いただいて、後日感想もいただいてとてもありがたかったです。

(練習中に撮った写真です^_^)
10月に入ってからの私は、今まで当たり前にあると思っていたものが、一つ一つ奪いさられていくような出来事が次から次へと起きました。
当たり前の事なんですが、永遠なんてないんだなぁと感じてしまいそうになっては
「私の見ている永遠とは?形のある物の事よね?」などと、自問自答する日々が続いていました。
10月に入って、母の老人健康施設の転居をしなくてはならなくなり、その手続きで追われてはいました。
でも、それぐらいは想定の範囲内のことで、あれこれと結構めんどくさいなぁと思いつつ、転居する理由が、母の介護度が要介護3から要介護2に変わったためだったので、元気になって場所が変わるんだったらありがたいことだなぁと思っていたのです。
このままいくと、最後の最後には家に戻ってきて、せめて少しの時間でもお世話をしながら暮らしていくこともあり得るのかなあ?とも想像していたところでした。

10月に入ったある日のこと、転居した老人施設から電話がかかってきました。
母が脳梗塞で緊急搬送しなければならないということでした。
私はすぐに搬送先の病院に向かい、先生のお話を聞くことになります。
そこで、母の人生の先を、私が決断しなければいけないことになりました。
1つは、脳梗塞が起きてから4時間も経っていない状態なので、血栓を溶かすような強いお薬を投与することが可能です。
その場合、今起きている左半身の麻痺は、ある一定の可能性で改善していくことがあります。
ただし、お母様は今、cOVI▪️-19に感染しておられます。
体が弱った状態で、高熱もあり、強い薬を投与することにはリスクがあります。
そうなんです。
施設を変わったすぐに感染したと連絡がありました。
その時も少し思う事はありましたが、こんなご時世だから仕方がないのかなぁ…と、自分に言い聞かせて過ごしました。
そんなことを思い出している私に担当の先生が説明を続けていきます。
「また、その薬は、血栓を溶かすような強いお薬なので、一旦出血をすると死に直結する可能性が大きいです。」
と…
2つ目が、カテーテルによる直接血栓の除去手術と言う方法があるという説明でした。
「その際、お母様の脳の血管の1部分にコブができており、手術の際にこの部分を破損した場合に、大量出血によって危険な状態に陥ることがあります。」
「今言った2つは、積極的な治療をすることにより、母の左半身不随は改善する可能性を持っていますが、リスクも相当あるという事ですね?」と、私は先生にすがるように聞きました。
「そういうことです」と、顔色1つ変えず、母の脳を映し出した画像を見つめながら、私に決断を求めていました。
3つ目は、この状況を悪化させないための点滴や見守りの治療をしていくと言う方法がありました。
先生曰く「直し、お母様の左半身不随と言う症状はこれ以上良くならないものと考えてください。」と…
「この説明をした上で、ご家族様であるあなたが選択をしていただかないと、処置が進みません」との事でした。
この説明を聞いた私は、どれをとってもリスクはあるし、母のために何が1番いいのかが分からないので、何度もお医者様に説明を聞きました。
ただ、お医者様がお話ができるのは今聞いたこと以上のものが話せるものはないようで、どうするかの決断は、結局私1人の判断に向かされるのでした。
一人っ子の定めでしょうか?
そして、脳梗塞から時はすでに3時間ほど経っていて、4時間と言う制限が刻々と迫っているのも知っていました。
あの狭い個室の中、私は完全に一人ぼっちな感じを受けました。
そして、1人の人間の人生を…
その責任を背負うような決断を迫られているように感じました。
ふと「何を選択しても罪悪感だなぁ…」
誰かの責任には出来ないんだなぁ?
当たり前だけど、誰も責任を取ってくれないし.
今私がここで決めないと何も進まないんだと言うことも事実でした。
私は、母に『生きていてほしい』を望みました。
そして積極的な治療はしない=リスクは負いたくありませんと言う決断を先生に伝えました。
そして、母の脳梗塞の状態は、現状維持を最善として様子を見守り続けると言う方針になりました。
その手続きの途中、先程の先生がこられて「お母様の状態が食べ物を咀嚼して飲み込むことができなくなる可能性があります。
その場合の処置として、点滴だけで見守ると言う方法と、鼻から管を通して流動食を入れると言う方法があります。
そして、鼻からの流動食がうまくいかない場合、胃瘻と言う胃に直接栄養を流し込むと言う方法が行われることがあります。
娘さんは(私のことです)どうお考えですか?」と、聞かれました。
私は、一瞬「そんな話聞いてない!」と思いました。
母が食べ物を食べられなくなるなんて、想像もしていなかったんです。
だから現状維持を願って、そこからのリハビリで少しでも良くなってくれることを願って、積極的な治療しないと決断したんです。
そんなことを一瞬口にしそうになったんですが、よく考えてみると、積極的な治療をしたところでリスクがあると言うことを思い出します。
結局、何を選んでも何か腹をくくって、あきらめる部分も持っておかなければいけないんだと言うことを痛感しました。
その一方で、頭の中では「一体どうしろというの?」と言う声がぐるぐるしていました。
自分の出した結論に、
誰の責任にもせず、最善を尽くしたんだと思うには、とんでもないコミットの力が入るのだなぁと感じました。
これが最善だったんだ!
そう思うしかありませんでした。
そして、母の事は、病院に任せて預けて信頼して、「私は私でもっともっと前を向いて足場を固めていかなければね」って思っていた直後のことでした。
私の携帯電話に、見知らぬ番号から着信がありました。
それは今おうちを借りている大家さんでした。今借りている一軒家は、一般のご家庭のおうちで、大家さんが急に転勤をすることになって、その間貸し出しをしようと言う賃貸形式のおうちを借りていました。
そのことを私も承知をしていて、大家さんが、自分の家に帰ってきたいと思えば、半年前に連絡をすれば、私たちは出て行く事は承認していました。
あれから20年。
私たち家族は、この家でたくさんの出来事を超えてきました。

嬉しいことも辛いことも全てこの家で解決していきました。
築年数の古いボロボロの家でしたので、娘がまだ依存心が強いときには文句ばっかり言っていました。
それすら懐かしいです。

「汚ないし、古いから嫌」とか「こんな家よりもっと良い所に行きたい」とかいっぱい言っていたんですけど、
現実は十分な広さもあるし、娘の部屋として6畳間2つと4.5畳が1つ3つの部屋を持っているようなぜいたくな暮らしをしていることに気がつき始めたのは、本当にここ1、 2年の事でした。
自分の暮らしを自分の手で良くしていこうと感じ始めた。ここ何年かは、今いる環境で、自分ができることで、自分を幸せにするんだと、3つの部屋を夢のお城のようなとってもきれいなおうちに変身させていました。

それに、伴って、娘の副業となっているドールのメイクや、アクセサリーや洋服作りを積極的に始めるようになりました。
私たちの生活は、どんどん良い方向に向かって行く途中でした。
その最中にかかってきた「来年の4月までには退去してください」の申し出は、私たちにとって青天の霹靂、でも受け入れざるを得ない状態、ごねていても、泣いていても、誰も助けてくれないような状態がまた起きました。
そして、現在の近況ですが、母は、現状維持のまま鼻からチューブを通して白湯を飲んで慣れていくことになったらしいです。
そして、家探しですが…
難航しています,。
理由は2つあります。
それは現在の借りている家があまりにも条件が良すぎて、同じ条件で探すと家賃が倍になるのです。
それ以前に同じ条件の賃貸物件がほとんど見つからないんです。
そして、大きな理由の2つ目が
何度かお話をしていることもありますが、娘のアルバイト先のパン屋さんが、我が家から徒歩50歩位のところにあるということ。
今までがあまりにも恵まれていたと言うことに、否応にも気づいているようでした。
最初は怒り、悲しんだりしていた私たちでしたか、何度も言いますが、泣いたり、ふてくされたりしたところで、物事は1歩も前に進まないんですね。
そして、娘と2人で不動産屋さんを回るのですが、なかなか思うような物件には遭遇しません。
そうなると私は、ほどほどのところで妥協してしまいそうになるのですが、こだわりのつよい娘にとって妥協なんてできない様子です。
何軒も、何軒も、内覧に行くうちに、疲れ果てた私は「ここでいいじゃん」と思うのですが、それを娘がことごとく却下していきます。
それでもあまりにも今住んでいる所と近いような条件の物件が見つからなすぎて、人生に絶望しかけていたときのことです。
賃貸の不動産物件は、どの店舗も共通の物件を扱っているらしく、検索条件が同じであれば、大体同じようなものが出てきて「それさっき連れて行ってもらいました」と言う内容がどうしても多くなりました。
だけど、その時の私は、なんとなく思ったんです。「もうこれくらいの希望が通ったら、そんなに望み通りでなくても妥協したらいいじゃん」
いつもどこかで『これぐらいの私』と言う自己価値で生きている私に、こんなに追い詰められているのに、自分の望むものを目減りさせたくないと、もがきながらも、譲らない娘。
今回は、この娘の、この感覚に完全に乗っかってみようじゃないか!
その決断しました。
決断するだけでは、何も動かないので、5軒目の賃貸取り扱い不動産業者に問い合わせをしてみたところ、その店舗のスタッフ三者三様に、熱い思いを持って路頭に迷っている私たち親子をまるで支えてあげようとでも言ってくれるかのように親身になって物件を手当たり次第探してくれるのです。
リーダーのような人が対応してくださって、その私たちのやりとりを聞いていた若いスタッフが、即座に、該当する物件をプリントアウトをして差し出してくださって、娘の強いこだわりにもうなずきながら、嫌な顔1つせず
「あーこういうところがダメなんですね。分りました。じゃぁ外を探してみますね。」と一生懸命当たってくれます。
母のこともあって、ちょっとだけ娘にも「私の気持ちもわからないで…」と思ったりする瞬間もある位、私はとっても一人ぼっちでいろんなことに対応していたんだなぁと、気づきました。
「誰か一緒にこの苦難に寄り添って助けてくれる人が欲しかったんだ」と気づいた瞬間でした。
そして、この賃貸業者のスタッフの姿を見ていくと、娘も積極的に希望を言うようになり、そして「これぐらいは妥協できるかな?」とか言うようになっていました。
まだ家は見つかっていませんが、たくさんのものを学んだ上で、どんな幸せが私たちにやってくるのだろうとちょっとワクワクし始めています。
不安もありますが、今できることを今できる範囲でしっかりとやっていた先には「あの時のあの事ががあったから、今の幸せがあるんだなぁ」と思えているはずです。
私にとって、離婚をした時、娘が学校に行かなくなってしまったときと同じ位の人生の変化の時を迎えています。
余談ですが、私の推しのKinKi Kidsのお二人の近況も想像しながら
「お互いに、良い方向に向かおうね♪」と、共に戦っている気分です^_^
みなさんはどうですか?
変化の時ではありませんか?
こんな私と共に、今を生き抜いていきましょうね。
また、お話しを聞かせてくださいね。
先日は、恋愛心理学講座を担当させていただきました。
共依存を扱った、重いテーマにもかかわらず、たくさんの方にご視聴いただいて、後日感想もいただいてとてもありがたかったです。

(練習中に撮った写真です^_^)
10月に入ってからの私は、今まで当たり前にあると思っていたものが、一つ一つ奪いさられていくような出来事が次から次へと起きました。
当たり前の事なんですが、永遠なんてないんだなぁと感じてしまいそうになっては
「私の見ている永遠とは?形のある物の事よね?」などと、自問自答する日々が続いていました。
10月に入って、母の老人健康施設の転居をしなくてはならなくなり、その手続きで追われてはいました。
でも、それぐらいは想定の範囲内のことで、あれこれと結構めんどくさいなぁと思いつつ、転居する理由が、母の介護度が要介護3から要介護2に変わったためだったので、元気になって場所が変わるんだったらありがたいことだなぁと思っていたのです。
このままいくと、最後の最後には家に戻ってきて、せめて少しの時間でもお世話をしながら暮らしていくこともあり得るのかなあ?とも想像していたところでした。

10月に入ったある日のこと、転居した老人施設から電話がかかってきました。
母が脳梗塞で緊急搬送しなければならないということでした。
私はすぐに搬送先の病院に向かい、先生のお話を聞くことになります。
そこで、母の人生の先を、私が決断しなければいけないことになりました。
1つは、脳梗塞が起きてから4時間も経っていない状態なので、血栓を溶かすような強いお薬を投与することが可能です。
その場合、今起きている左半身の麻痺は、ある一定の可能性で改善していくことがあります。
ただし、お母様は今、cOVI▪️-19に感染しておられます。
体が弱った状態で、高熱もあり、強い薬を投与することにはリスクがあります。
そうなんです。
施設を変わったすぐに感染したと連絡がありました。
その時も少し思う事はありましたが、こんなご時世だから仕方がないのかなぁ…と、自分に言い聞かせて過ごしました。
そんなことを思い出している私に担当の先生が説明を続けていきます。
「また、その薬は、血栓を溶かすような強いお薬なので、一旦出血をすると死に直結する可能性が大きいです。」
と…
2つ目が、カテーテルによる直接血栓の除去手術と言う方法があるという説明でした。
「その際、お母様の脳の血管の1部分にコブができており、手術の際にこの部分を破損した場合に、大量出血によって危険な状態に陥ることがあります。」
「今言った2つは、積極的な治療をすることにより、母の左半身不随は改善する可能性を持っていますが、リスクも相当あるという事ですね?」と、私は先生にすがるように聞きました。
「そういうことです」と、顔色1つ変えず、母の脳を映し出した画像を見つめながら、私に決断を求めていました。
3つ目は、この状況を悪化させないための点滴や見守りの治療をしていくと言う方法がありました。
先生曰く「直し、お母様の左半身不随と言う症状はこれ以上良くならないものと考えてください。」と…
「この説明をした上で、ご家族様であるあなたが選択をしていただかないと、処置が進みません」との事でした。
この説明を聞いた私は、どれをとってもリスクはあるし、母のために何が1番いいのかが分からないので、何度もお医者様に説明を聞きました。
ただ、お医者様がお話ができるのは今聞いたこと以上のものが話せるものはないようで、どうするかの決断は、結局私1人の判断に向かされるのでした。
一人っ子の定めでしょうか?
そして、脳梗塞から時はすでに3時間ほど経っていて、4時間と言う制限が刻々と迫っているのも知っていました。
あの狭い個室の中、私は完全に一人ぼっちな感じを受けました。
そして、1人の人間の人生を…
その責任を背負うような決断を迫られているように感じました。
ふと「何を選択しても罪悪感だなぁ…」
誰かの責任には出来ないんだなぁ?
当たり前だけど、誰も責任を取ってくれないし.
今私がここで決めないと何も進まないんだと言うことも事実でした。
私は、母に『生きていてほしい』を望みました。
そして積極的な治療はしない=リスクは負いたくありませんと言う決断を先生に伝えました。
そして、母の脳梗塞の状態は、現状維持を最善として様子を見守り続けると言う方針になりました。
その手続きの途中、先程の先生がこられて「お母様の状態が食べ物を咀嚼して飲み込むことができなくなる可能性があります。
その場合の処置として、点滴だけで見守ると言う方法と、鼻から管を通して流動食を入れると言う方法があります。
そして、鼻からの流動食がうまくいかない場合、胃瘻と言う胃に直接栄養を流し込むと言う方法が行われることがあります。
娘さんは(私のことです)どうお考えですか?」と、聞かれました。
私は、一瞬「そんな話聞いてない!」と思いました。
母が食べ物を食べられなくなるなんて、想像もしていなかったんです。
だから現状維持を願って、そこからのリハビリで少しでも良くなってくれることを願って、積極的な治療しないと決断したんです。
そんなことを一瞬口にしそうになったんですが、よく考えてみると、積極的な治療をしたところでリスクがあると言うことを思い出します。
結局、何を選んでも何か腹をくくって、あきらめる部分も持っておかなければいけないんだと言うことを痛感しました。
その一方で、頭の中では「一体どうしろというの?」と言う声がぐるぐるしていました。
自分の出した結論に、
誰の責任にもせず、最善を尽くしたんだと思うには、とんでもないコミットの力が入るのだなぁと感じました。
これが最善だったんだ!
そう思うしかありませんでした。
そして、母の事は、病院に任せて預けて信頼して、「私は私でもっともっと前を向いて足場を固めていかなければね」って思っていた直後のことでした。
私の携帯電話に、見知らぬ番号から着信がありました。
それは今おうちを借りている大家さんでした。今借りている一軒家は、一般のご家庭のおうちで、大家さんが急に転勤をすることになって、その間貸し出しをしようと言う賃貸形式のおうちを借りていました。
そのことを私も承知をしていて、大家さんが、自分の家に帰ってきたいと思えば、半年前に連絡をすれば、私たちは出て行く事は承認していました。
あれから20年。
私たち家族は、この家でたくさんの出来事を超えてきました。

嬉しいことも辛いことも全てこの家で解決していきました。
築年数の古いボロボロの家でしたので、娘がまだ依存心が強いときには文句ばっかり言っていました。
それすら懐かしいです。

「汚ないし、古いから嫌」とか「こんな家よりもっと良い所に行きたい」とかいっぱい言っていたんですけど、
現実は十分な広さもあるし、娘の部屋として6畳間2つと4.5畳が1つ3つの部屋を持っているようなぜいたくな暮らしをしていることに気がつき始めたのは、本当にここ1、 2年の事でした。
自分の暮らしを自分の手で良くしていこうと感じ始めた。ここ何年かは、今いる環境で、自分ができることで、自分を幸せにするんだと、3つの部屋を夢のお城のようなとってもきれいなおうちに変身させていました。

それに、伴って、娘の副業となっているドールのメイクや、アクセサリーや洋服作りを積極的に始めるようになりました。
私たちの生活は、どんどん良い方向に向かって行く途中でした。
その最中にかかってきた「来年の4月までには退去してください」の申し出は、私たちにとって青天の霹靂、でも受け入れざるを得ない状態、ごねていても、泣いていても、誰も助けてくれないような状態がまた起きました。
そして、現在の近況ですが、母は、現状維持のまま鼻からチューブを通して白湯を飲んで慣れていくことになったらしいです。
そして、家探しですが…
難航しています,。
理由は2つあります。
それは現在の借りている家があまりにも条件が良すぎて、同じ条件で探すと家賃が倍になるのです。
それ以前に同じ条件の賃貸物件がほとんど見つからないんです。
そして、大きな理由の2つ目が
何度かお話をしていることもありますが、娘のアルバイト先のパン屋さんが、我が家から徒歩50歩位のところにあるということ。
今までがあまりにも恵まれていたと言うことに、否応にも気づいているようでした。
最初は怒り、悲しんだりしていた私たちでしたか、何度も言いますが、泣いたり、ふてくされたりしたところで、物事は1歩も前に進まないんですね。
そして、娘と2人で不動産屋さんを回るのですが、なかなか思うような物件には遭遇しません。
そうなると私は、ほどほどのところで妥協してしまいそうになるのですが、こだわりのつよい娘にとって妥協なんてできない様子です。
何軒も、何軒も、内覧に行くうちに、疲れ果てた私は「ここでいいじゃん」と思うのですが、それを娘がことごとく却下していきます。
それでもあまりにも今住んでいる所と近いような条件の物件が見つからなすぎて、人生に絶望しかけていたときのことです。
賃貸の不動産物件は、どの店舗も共通の物件を扱っているらしく、検索条件が同じであれば、大体同じようなものが出てきて「それさっき連れて行ってもらいました」と言う内容がどうしても多くなりました。
だけど、その時の私は、なんとなく思ったんです。「もうこれくらいの希望が通ったら、そんなに望み通りでなくても妥協したらいいじゃん」
いつもどこかで『これぐらいの私』と言う自己価値で生きている私に、こんなに追い詰められているのに、自分の望むものを目減りさせたくないと、もがきながらも、譲らない娘。
今回は、この娘の、この感覚に完全に乗っかってみようじゃないか!
その決断しました。
決断するだけでは、何も動かないので、5軒目の賃貸取り扱い不動産業者に問い合わせをしてみたところ、その店舗のスタッフ三者三様に、熱い思いを持って路頭に迷っている私たち親子をまるで支えてあげようとでも言ってくれるかのように親身になって物件を手当たり次第探してくれるのです。
リーダーのような人が対応してくださって、その私たちのやりとりを聞いていた若いスタッフが、即座に、該当する物件をプリントアウトをして差し出してくださって、娘の強いこだわりにもうなずきながら、嫌な顔1つせず
「あーこういうところがダメなんですね。分りました。じゃぁ外を探してみますね。」と一生懸命当たってくれます。
母のこともあって、ちょっとだけ娘にも「私の気持ちもわからないで…」と思ったりする瞬間もある位、私はとっても一人ぼっちでいろんなことに対応していたんだなぁと、気づきました。
「誰か一緒にこの苦難に寄り添って助けてくれる人が欲しかったんだ」と気づいた瞬間でした。
そして、この賃貸業者のスタッフの姿を見ていくと、娘も積極的に希望を言うようになり、そして「これぐらいは妥協できるかな?」とか言うようになっていました。
まだ家は見つかっていませんが、たくさんのものを学んだ上で、どんな幸せが私たちにやってくるのだろうとちょっとワクワクし始めています。
不安もありますが、今できることを今できる範囲でしっかりとやっていた先には「あの時のあの事ががあったから、今の幸せがあるんだなぁ」と思えているはずです。
私にとって、離婚をした時、娘が学校に行かなくなってしまったときと同じ位の人生の変化の時を迎えています。
余談ですが、私の推しのKinKi Kidsのお二人の近況も想像しながら
「お互いに、良い方向に向かおうね♪」と、共に戦っている気分です^_^
みなさんはどうですか?
変化の時ではありませんか?
こんな私と共に、今を生き抜いていきましょうね。
また、お話しを聞かせてくださいね。
