私たちが思いのままに感情を発散している0歳から3歳くらいまでと言うと、親は20歳くらいから30歳代が多いですよね?
慣れない育児と、まだ遊びたい気持ちもあったり、金銭的にまだ不安定だったとか、パートナーシップのズレなんかで、若い親がストレスを抱えている可能性の方が大きいですよね?
例えば、その発散先を探していたとして、
無邪気なあなたが「ねえねえ、ママ、パパ」と話しかける事で、その親のストレスの扉が開いてしまうこともあります。
他人なら我慢出来るものを、我が子にはぶつけてしまう親はいます。
特に、誰にも甘えることなく、誰にも理解してもらえなかったと思って生きてきた親は、我が子の100%の愛を感じた時甘えたいという気持ちが一気に上がってきて、親を思う子供の無邪気な笑顔に感情を思いっきりぶつけてしまう事があります。
この子しか愛してくれない、この子にしか…という甘えた感情を、そのまま愛に変えられなくて、ぶつけてしまう親がいます。
子供にとってはたまったものではありません。 そんな親の内情など知る由もない子供は、親の事情で理不尽な怒りをぶつけられたとしても、自分が悪いのだと思い、傷つき、そしてもう二度と傷つかないように、いろんな方法で回避しようとします。
その時、「親も未熟だからなぁ、八つ当たりされたんだよな」と、思える子供はいません。
「自分が、悪いからこうなった。 」「だったら、怒られないように、見捨てられないようにちゃんとしなきゃ。」 と、自分の考えより、親の考えを、優先させる生き方を選び始めるのです。
その結果、その時の理不尽さや、怒りを閉じ込めて、心の奥の奥に押し込め、土に埋めてしまいます。
土に埋めるというのは比喩です。
でも、何かを埋めたという記憶は自分の中に残っていて、その、記憶が出ようとしてチャンスを(?)うかがっています。
私の場合、それが、車運転中の譲る譲らないの出来事であぶりだされていました。
私は、車の運転中に割り込まれると、何とも言えないような不快で腹立たしさを感じている時期があったんです。
頭では「譲ってあげればいいじゃん」って思っているんですよ。
でも… いざ私の前に車が割り込むと、どうしようもないくらいに苛立つ私がいました。
そのことを「どうしてなんだろう?」ってシャドウという側面から考えた時に、幼い頃から私が何かをしようとするといつま先々に入り込んで私より前に行動してしまう母が浮かんだんです。
学生時代も、三者懇談での先生からの質問に対しても、私が話す前に「この子は…」と、さも私の全てを知っているかのような素振りで話始めるのでした。
そういうパターンばかりでしたが、私にとっては「人と話さなくても良い」というのが楽で「私が話すより母が説明した方がわかるんじゃね?」と思っているところもあったのでそのままただ母と教師の会話を聞いていたものでした。
でも、心の中は「割り込みやがって…」というのがあったと思うんです。
その子を後ろに隠し持って、私の話しに割り込んでくる母に無抵抗だった、無価値感で後ろに追いやられたこの子のことをシャドウと呼びます。

たぶん、割り込んですべての質問に答えてしまう母が悔しいというより、その状況でしか生きられなかった自分の非力さが、痛くて、つらくて、なのに何もできないそういう自分が悔しかったんだと思います。
自分の無力さの象徴なので、私のシャドウは、馬鹿にされるとか、ないがしろにされるということにすごく反応していたと思います。
その反面、人の下に入って、救ってもらおう、助けてもらおうという位置に滑りこんで、その状況でまた「私って力がないんだ」を経験するという悪循環でした。
このシャドウが、今起きている事(この場合は車の割り込みにイライラすること)を使って「ここにいるよ」あの時我慢して、無かった事にしたけど、悔しかったり辛かったりしたもう一人の、私がいるよーって教えてくれるのです。
そして、シャドウを認知することと同じくらい大切なのは、 排除しようとせずに自分の一部として向き合うことなんですね。
あの時、言い返さなかったのは、親のいうことが正しいって、中学生になってもまだ思っていたからだよね? そういうものだって思い込んでたからだよね?未熟だったんだよね?
あの時はあの時。 未熟だった自分がいたことも認めたうえで今は違うよね。
という、今は違うという感覚を持つことが大切になってきます。
こうして何かの出来事をヒントに出てきたシャドウに今の大人になった自分が伝えることは、人によって違うんですけど、
出てきた感情が「辛い」なら抱きしめて、「悔しい」なら「あなたには価値がある」ということを伝えるとか、そのとき傷ついたであろう幼い感情の言い分を聞いて、経験を積んで大人になったあなたが、幼いシャドウが持ってしまった」誤解を解いていて欲しいと思います。
シャドウは、傷ついていますので、かたくなだし、経験値が浅いので、知らないことが多いんです。
多くは幼いあなたですから。まだ経験値が浅い幼い頃のあなたです。
大人になったあなたが、この誤解を解いてあげて欲しいんですね。
例えば「大人ってそんなに完璧じゃないし、間違ったりもするし、理不尽な怒り方もするよ」っていうこともその一つだと思うんですよね。
そうやってシャドウに新しい価値観や新しい方法を教えてあげることで納得してもらうと、今起きている問題が問題ではなくなってくるということもあると思います。


慣れない育児と、まだ遊びたい気持ちもあったり、金銭的にまだ不安定だったとか、パートナーシップのズレなんかで、若い親がストレスを抱えている可能性の方が大きいですよね?
例えば、その発散先を探していたとして、
無邪気なあなたが「ねえねえ、ママ、パパ」と話しかける事で、その親のストレスの扉が開いてしまうこともあります。
他人なら我慢出来るものを、我が子にはぶつけてしまう親はいます。
特に、誰にも甘えることなく、誰にも理解してもらえなかったと思って生きてきた親は、我が子の100%の愛を感じた時甘えたいという気持ちが一気に上がってきて、親を思う子供の無邪気な笑顔に感情を思いっきりぶつけてしまう事があります。
この子しか愛してくれない、この子にしか…という甘えた感情を、そのまま愛に変えられなくて、ぶつけてしまう親がいます。
子供にとってはたまったものではありません。 そんな親の内情など知る由もない子供は、親の事情で理不尽な怒りをぶつけられたとしても、自分が悪いのだと思い、傷つき、そしてもう二度と傷つかないように、いろんな方法で回避しようとします。
その時、「親も未熟だからなぁ、八つ当たりされたんだよな」と、思える子供はいません。
「自分が、悪いからこうなった。 」「だったら、怒られないように、見捨てられないようにちゃんとしなきゃ。」 と、自分の考えより、親の考えを、優先させる生き方を選び始めるのです。
その結果、その時の理不尽さや、怒りを閉じ込めて、心の奥の奥に押し込め、土に埋めてしまいます。
土に埋めるというのは比喩です。
でも、何かを埋めたという記憶は自分の中に残っていて、その、記憶が出ようとしてチャンスを(?)うかがっています。
私の場合、それが、車運転中の譲る譲らないの出来事であぶりだされていました。
私は、車の運転中に割り込まれると、何とも言えないような不快で腹立たしさを感じている時期があったんです。
頭では「譲ってあげればいいじゃん」って思っているんですよ。
でも… いざ私の前に車が割り込むと、どうしようもないくらいに苛立つ私がいました。
そのことを「どうしてなんだろう?」ってシャドウという側面から考えた時に、幼い頃から私が何かをしようとするといつま先々に入り込んで私より前に行動してしまう母が浮かんだんです。
学生時代も、三者懇談での先生からの質問に対しても、私が話す前に「この子は…」と、さも私の全てを知っているかのような素振りで話始めるのでした。
そういうパターンばかりでしたが、私にとっては「人と話さなくても良い」というのが楽で「私が話すより母が説明した方がわかるんじゃね?」と思っているところもあったのでそのままただ母と教師の会話を聞いていたものでした。
でも、心の中は「割り込みやがって…」というのがあったと思うんです。
その子を後ろに隠し持って、私の話しに割り込んでくる母に無抵抗だった、無価値感で後ろに追いやられたこの子のことをシャドウと呼びます。

たぶん、割り込んですべての質問に答えてしまう母が悔しいというより、その状況でしか生きられなかった自分の非力さが、痛くて、つらくて、なのに何もできないそういう自分が悔しかったんだと思います。
自分の無力さの象徴なので、私のシャドウは、馬鹿にされるとか、ないがしろにされるということにすごく反応していたと思います。
その反面、人の下に入って、救ってもらおう、助けてもらおうという位置に滑りこんで、その状況でまた「私って力がないんだ」を経験するという悪循環でした。
このシャドウが、今起きている事(この場合は車の割り込みにイライラすること)を使って「ここにいるよ」あの時我慢して、無かった事にしたけど、悔しかったり辛かったりしたもう一人の、私がいるよーって教えてくれるのです。
そして、シャドウを認知することと同じくらい大切なのは、 排除しようとせずに自分の一部として向き合うことなんですね。
あの時、言い返さなかったのは、親のいうことが正しいって、中学生になってもまだ思っていたからだよね? そういうものだって思い込んでたからだよね?未熟だったんだよね?
あの時はあの時。 未熟だった自分がいたことも認めたうえで今は違うよね。
という、今は違うという感覚を持つことが大切になってきます。
こうして何かの出来事をヒントに出てきたシャドウに今の大人になった自分が伝えることは、人によって違うんですけど、
出てきた感情が「辛い」なら抱きしめて、「悔しい」なら「あなたには価値がある」ということを伝えるとか、そのとき傷ついたであろう幼い感情の言い分を聞いて、経験を積んで大人になったあなたが、幼いシャドウが持ってしまった」誤解を解いていて欲しいと思います。
シャドウは、傷ついていますので、かたくなだし、経験値が浅いので、知らないことが多いんです。
多くは幼いあなたですから。まだ経験値が浅い幼い頃のあなたです。
大人になったあなたが、この誤解を解いてあげて欲しいんですね。
例えば「大人ってそんなに完璧じゃないし、間違ったりもするし、理不尽な怒り方もするよ」っていうこともその一つだと思うんですよね。
そうやってシャドウに新しい価値観や新しい方法を教えてあげることで納得してもらうと、今起きている問題が問題ではなくなってくるということもあると思います。


