こんにちは三好成子です。
今回は超初心にかえって、私自身の事を書いてみたいと思います。
ことごとく、幸せを壊して来た感がある過去の私のお話しです。
私の結婚相手は 初めて正式にお付き合いした人でした。
彼も同じような感じでしたね。
初めてどうしなので、恋に恋する恋愛期間だったように思います。
(振り返った時に40年以上前!だった事に軽いショックを受けてる私がいます^_^)
『恋愛ってこういうものだよね~』とか 『可愛い彼女って』『男って』こういうものだよね~ という、型にはめた恋愛だったように、私は思い返しています。
そして、結婚生活も、 絵に描いたような、基本パターンと言ってもいいくらいの
今、あの頃の私たちを見かけたら 「うらやましいわ~」 と思えるような 毎日でした。
日曜日は子ども二人を連れて公園へ。 たまにドライブ。
山林公園でアスレチック セルフタイマーで家族写真 常に笑顔の四人家族。
盆正月には 優しく迎え入れてくれるお互いの実家。
素晴らしいですよね。
自分がこんなに素敵な家族を持てるなんて 思ってもいなかったのです。
思ってもいなかったから 常にどこかで疑いを持っていたように思います。
私がこのような素敵な暮らしを手に入れてもいいいのだろうか? 間違いじゃないのだろうか?
ある日突然 『この生活はウソでした~』と ドッキリテレビのような、転落があるのではないかとさえ思っていました。
この幸せを楽しむ事が出来ていなかったように思います。
私は、その年まで恋愛にほぼ興味が無いタイプの人間でした。
沢田研二(ジュリー)とかフォーリーブス推しではありましたが、リア恋する気もなく、何かに没頭するわけでもない この先どうしようとか、希望があるわけでもない10代でした。
ただ、絵をかくのが好きという理由だけで デザイン学校に通い、デザイン企画会社に入ってみたものの 思ったように絵を描けるわけでもなかったので 仕事に対する熱意も消え失せていきました。
そんな私でも、好きになってくれて、 結婚しようと言ってくれたのが元の旦那さんです。
何の特徴もなく(と思っていました)世間知らずな、才能のない田舎者 …その他、ネガティブワード満載の自己イメージでした。 全く 自信がない状態です。
なので、どんなに 愛を伝えられても 「本当に?」「本当に私でいいの?」 と、疑い続けていましたから、ありとあらゆる方法で 彼の気持ちを試すようなことばかりしていたと思います。
わがまま三昧、すぐ泣く、すぐ怒る、すねる。
それだけでは飽き足らず、 揚げ足を取ってみたり、あえて悪い解釈をする・・・ 引っ張りまわして、フラフラにしていました。
きっと私はフラれる、捨てられる 彼は私から去っていく。 ということをずっと感じていました。
フラれるのなら 自分の納得のいくタイミングでフラれたい。
こんなに悪い態度だからフラれたのなら、どこかで納得するのです。
もちろん、無意識で。
それは、過去の 自分にとってはとても大きい傷になっていると思えるような 喪失感の経験や、 母親のようにちゃんとできない自分だったり 特技がなく、パッとしない自分という自己イメージ、 自己価値の低さからのものだったと思います。
そして、 そう思って、そうなることで 「やっぱりな・・・」という ある意味 (思った通りという)安心感 を得ようとしていたのだと思います。
そんな 私でしたので、彼の愛を試すようなことばかりしていました。
にもかかわらず、彼はずっとそんな私のそばに居続けてくれました。
そして そんな暮らしに疑いを持っていた私に お望み通りの展開がやってくるのです。
私たちは、5年の交際期間を経て、結婚することになったのですが 結婚しても、彼は全く変わることがなく ずっと大切に、愛してくれていました。
それなのに、愛を示してくれればくれるほど 私の中にある『こんな私でいいの?』『本当に私でいいの?』 は大きくなっていきます。
「私と結婚して、後悔しているよね?」 「あの人のほうが可愛いよね?」 そのたびに、彼は 「そんなことないよ」「好きだよ」と言い続けてくれました。
「そんなことないよ」と否定してくれることを期待して それを聞いて安心したいために延々続けていくこの ネガティブなコミュニケーションのことを、心理学では 《否定的肯定法》と言います。
本当は「私のこと、好き?」と聞きたいのですけれど 「私のこと 好きじゃないよね?」と聞いてしまうのです。
「そんなことないよ、好きだよ」 と言ってもらえると思っているから言えるのですが 「好きじゃないよね?」と聞けばその回数だけ 「そんなことないよ、好きだよ」という 聞きたい答えが帰ってくるのです。
そして、安心するのです。
それほど自信がなかったのです。
そんなこと延々やっていれば、 やられている方はもう、疲れ切ってしまいますよね。
そう、彼は、いつまでたっても自分の愛を信じない私に 疲れを感じ始めていたのだと思います。
そして、耐えて、耐えて、 「そこまで言うなら 『好きじゃない』と思ってもらってもいい!」 と思ったかどうかは聞いていませんが 、彼の心は私から離れていくことになりました。
ここで、また、不思議な感覚なのですが「ほらね、やっぱり」という ネガティブが思った通りになったという安心感が浮かんだりするのです。
言葉というのは 不思議なものですね。
「好きじゃないよね?」 「私よりもっと良い人が奥さんだったら良かったよね?」 等々、自分を否定する言葉は相手にそのまま伝わって 「そういえば、そうかも?」とか 「そんなに言うんだったらそう思ってやるさ!」 になって心に蓄積されているのかも知れないな?と 今になって思います。
でも、なぜ、この否定的肯定法をなぜ使ってしまうのでしょう?
そこには素直に本心を言えない、心の傷があるのだろうと、私は思っています。
自分に対する肯定感がとっても薄くなるような そんな過去の出来事が 積み重なっている場合もあるかも知れません、。
今すぐに自信をつけるというのは、ちょっと難しいかも知れませんね。
なので、まずは、形から変えていくというのがやりやすいのかな?と思います。
「私のこと嫌いでしょ?」と言いそうになったら 「私のこと好き?」 もっと突き詰めていけば 「私はあなたのこと好き。 だから、あなたも私のこと、好きと思っていてほしいの」 と言えるようになれば お互いに もうちょっと理解しあえるのかな?と思います。
私の苦い失敗経験から皆様にお伝えできる ことの一つです。 お互いの聞きたいこと、思っていることがちゃんと言えるようになって 素敵で、楽な パートナーシップを 作って行きましょうね。

朝日の入る部屋が良い。
明るくて風の通りの良い部屋に住みたい。
そう思っていました。
そして、その空間が私には相応しいと心から感じた時に
私はそんな部屋で目覚める暮らしをしていました。
#生きとし生けるものが幸せでありますように
今回は超初心にかえって、私自身の事を書いてみたいと思います。
ことごとく、幸せを壊して来た感がある過去の私のお話しです。
私の結婚相手は 初めて正式にお付き合いした人でした。
彼も同じような感じでしたね。
初めてどうしなので、恋に恋する恋愛期間だったように思います。
(振り返った時に40年以上前!だった事に軽いショックを受けてる私がいます^_^)
『恋愛ってこういうものだよね~』とか 『可愛い彼女って』『男って』こういうものだよね~ という、型にはめた恋愛だったように、私は思い返しています。
そして、結婚生活も、 絵に描いたような、基本パターンと言ってもいいくらいの
今、あの頃の私たちを見かけたら 「うらやましいわ~」 と思えるような 毎日でした。
日曜日は子ども二人を連れて公園へ。 たまにドライブ。
山林公園でアスレチック セルフタイマーで家族写真 常に笑顔の四人家族。
盆正月には 優しく迎え入れてくれるお互いの実家。
素晴らしいですよね。
自分がこんなに素敵な家族を持てるなんて 思ってもいなかったのです。
思ってもいなかったから 常にどこかで疑いを持っていたように思います。
私がこのような素敵な暮らしを手に入れてもいいいのだろうか? 間違いじゃないのだろうか?
ある日突然 『この生活はウソでした~』と ドッキリテレビのような、転落があるのではないかとさえ思っていました。
この幸せを楽しむ事が出来ていなかったように思います。
私は、その年まで恋愛にほぼ興味が無いタイプの人間でした。
沢田研二(ジュリー)とかフォーリーブス推しではありましたが、リア恋する気もなく、何かに没頭するわけでもない この先どうしようとか、希望があるわけでもない10代でした。
ただ、絵をかくのが好きという理由だけで デザイン学校に通い、デザイン企画会社に入ってみたものの 思ったように絵を描けるわけでもなかったので 仕事に対する熱意も消え失せていきました。
そんな私でも、好きになってくれて、 結婚しようと言ってくれたのが元の旦那さんです。
何の特徴もなく(と思っていました)世間知らずな、才能のない田舎者 …その他、ネガティブワード満載の自己イメージでした。 全く 自信がない状態です。
なので、どんなに 愛を伝えられても 「本当に?」「本当に私でいいの?」 と、疑い続けていましたから、ありとあらゆる方法で 彼の気持ちを試すようなことばかりしていたと思います。
わがまま三昧、すぐ泣く、すぐ怒る、すねる。
それだけでは飽き足らず、 揚げ足を取ってみたり、あえて悪い解釈をする・・・ 引っ張りまわして、フラフラにしていました。
きっと私はフラれる、捨てられる 彼は私から去っていく。 ということをずっと感じていました。
フラれるのなら 自分の納得のいくタイミングでフラれたい。
こんなに悪い態度だからフラれたのなら、どこかで納得するのです。
もちろん、無意識で。
それは、過去の 自分にとってはとても大きい傷になっていると思えるような 喪失感の経験や、 母親のようにちゃんとできない自分だったり 特技がなく、パッとしない自分という自己イメージ、 自己価値の低さからのものだったと思います。
そして、 そう思って、そうなることで 「やっぱりな・・・」という ある意味 (思った通りという)安心感 を得ようとしていたのだと思います。
そんな 私でしたので、彼の愛を試すようなことばかりしていました。
にもかかわらず、彼はずっとそんな私のそばに居続けてくれました。
そして そんな暮らしに疑いを持っていた私に お望み通りの展開がやってくるのです。
私たちは、5年の交際期間を経て、結婚することになったのですが 結婚しても、彼は全く変わることがなく ずっと大切に、愛してくれていました。
それなのに、愛を示してくれればくれるほど 私の中にある『こんな私でいいの?』『本当に私でいいの?』 は大きくなっていきます。
「私と結婚して、後悔しているよね?」 「あの人のほうが可愛いよね?」 そのたびに、彼は 「そんなことないよ」「好きだよ」と言い続けてくれました。
「そんなことないよ」と否定してくれることを期待して それを聞いて安心したいために延々続けていくこの ネガティブなコミュニケーションのことを、心理学では 《否定的肯定法》と言います。
本当は「私のこと、好き?」と聞きたいのですけれど 「私のこと 好きじゃないよね?」と聞いてしまうのです。
「そんなことないよ、好きだよ」 と言ってもらえると思っているから言えるのですが 「好きじゃないよね?」と聞けばその回数だけ 「そんなことないよ、好きだよ」という 聞きたい答えが帰ってくるのです。
そして、安心するのです。
それほど自信がなかったのです。
そんなこと延々やっていれば、 やられている方はもう、疲れ切ってしまいますよね。
そう、彼は、いつまでたっても自分の愛を信じない私に 疲れを感じ始めていたのだと思います。
そして、耐えて、耐えて、 「そこまで言うなら 『好きじゃない』と思ってもらってもいい!」 と思ったかどうかは聞いていませんが 、彼の心は私から離れていくことになりました。
ここで、また、不思議な感覚なのですが「ほらね、やっぱり」という ネガティブが思った通りになったという安心感が浮かんだりするのです。
言葉というのは 不思議なものですね。
「好きじゃないよね?」 「私よりもっと良い人が奥さんだったら良かったよね?」 等々、自分を否定する言葉は相手にそのまま伝わって 「そういえば、そうかも?」とか 「そんなに言うんだったらそう思ってやるさ!」 になって心に蓄積されているのかも知れないな?と 今になって思います。
でも、なぜ、この否定的肯定法をなぜ使ってしまうのでしょう?
そこには素直に本心を言えない、心の傷があるのだろうと、私は思っています。
自分に対する肯定感がとっても薄くなるような そんな過去の出来事が 積み重なっている場合もあるかも知れません、。
今すぐに自信をつけるというのは、ちょっと難しいかも知れませんね。
なので、まずは、形から変えていくというのがやりやすいのかな?と思います。
「私のこと嫌いでしょ?」と言いそうになったら 「私のこと好き?」 もっと突き詰めていけば 「私はあなたのこと好き。 だから、あなたも私のこと、好きと思っていてほしいの」 と言えるようになれば お互いに もうちょっと理解しあえるのかな?と思います。
私の苦い失敗経験から皆様にお伝えできる ことの一つです。 お互いの聞きたいこと、思っていることがちゃんと言えるようになって 素敵で、楽な パートナーシップを 作って行きましょうね。

朝日の入る部屋が良い。
明るくて風の通りの良い部屋に住みたい。
そう思っていました。
そして、その空間が私には相応しいと心から感じた時に
私はそんな部屋で目覚める暮らしをしていました。
#生きとし生けるものが幸せでありますように