最近、娘とゆっくり話す機会が多くなって、
「あの頃、どう考えてたの?」
を聞く事が多くなってきたんです。
今まで、あまり自分の話しをしてこなかった娘だったので、その当時私が話しかけにくい親だったとしたら、どんな理由があるのかな?と思って聞いてみました。
娘:
「本当に幼い頃はさー、《不満や問題点を言えば親が解決してくれる》が愛情だと思ってるから良いんよ(多分これは、大なり小なりどこの子供もそう)
でも成長するにつれて、自分の力で解決したい、とっかかりを見つけたいって気持ちも芽生えるやん?
そう言う年代に、親に相談を持ちかけて、
なのに幼い頃と同じように「(親である)私がなんとかしなきゃ!」となられると
こう、なんとなくガッカリというか、
それこそ対等に見られてないなって雰囲気を感じてしまうかな。
あ、そこと違うねん、みたいな」
「何かあったら守ってあげるよ」という気持ち自体は安心するけど
それが空回りして「私が全責任を負わなければ!」まで行ってしまうと
なんかちょっと違うかな?というのが
「相談しにくい親だったのは何故か」に対する答えかなーとぼんやり思った」
という、娘からの回答に、首がもげるほどの、うんうん
おーおおお、なるほど!
そうなんだろうな…
と、知識では知っていたし、自分ができていなかった事だなぁというのも感じていた事を、本人から直接聞けたことが本当に良かったと思ったので、皆さまに伝えようと思いました。

過去の私たち(母娘)は、何かというとぶつかって、揉めて、長期間の冷戦になだれ込むことばかりしていました。
コミニュケーションの無い戦いは、妄想の量が大きくなっていきました。
妄想が暴走する感じです。
きっと、こう思っているだろう?
それも、間違いなく悪意が入っているだろうと思ってしまうんです。
その冷戦の間は苦しくて苦しくて、多分娘も苦しくて、部屋の中で大きな音を立てて怒りを表していました。
その物音に、ピリピリしながら、耐えられずに、外に出て時間つぶしをしている事もありました。
全くコミニュケーションが取れていなかったのです。

その時に聞かなかった事は、今しっかり聞く事ができるようになりました。
数々の葛藤を超えて、罪悪感も減らしてきました。
罪悪感については本当に
真実を見ることを阻止されました。
娘の話しを素直に聞かなくなっていた私がいました。
何かあると、責められているように感じて逃げ回っていました。
仕事だとかのもっともらしい理由をつけて…
その事も聞いてみると
「私は「話を聞いてほしい」「一緒に考えたい」と訴えてる
そっちは「責任を取らなければいけない」「何か行動を起こして、問題を取り除かなければならない」と焦ってる
っていう齟齬?はあるねぇ」
という事らしいのです。

これは、お互いの信頼関係ができて来たからなんでしょうね。
その信頼関係についても話しました。
そこには《対等さ》というキーワードが出てきました。

私にとって、親子は縦であり、横並びであるという事は考えもしなかったのです。

その言葉を受けての娘の返事は
「対等はお互いに尊重し合うことかなぁ」
信頼しようとしては裏切られて、それでも信頼しようとして、また裏切られた娘の苦悩が映し出されたように私には見えました。
娘「お互いに、というところが難しい
尊重は信頼の上に成り立つから
ぐらつきやすいよね」
私「よく言う言葉に
心配より信頼
とりあえず心配しかしてなかった
心配の理由は
何かあったら責任取らなあかんから
たいう
自分のための心配」

そこには信頼はありません。
心配は必ずと言っていいほど妄想を生むと思っています。私がそうだからですが…
その妄想はほとんど、相手の悪意を強化するような思い込みになってしまうんです。
娘にとって、心配は自己満足だと言います。
そう言われてみれば、そうです。
だからこそ、ちゃんと聞く事が大切なんですね。
娘「なるほどー
私の「心配」は「あんたに何かあったらどうすんの!」って方向に向くから
(自分が責任を取るという発想はない)
やっぱりちょっと違うんやな」
お互いに受け取り方の違いを知る事は、その間にあるズレを正して行く感じです。
私「私の心配は
あんたになんかあったら
私がまた仕事休んで後始末せなあかんやん
的な」
罪悪感を超えて
相手がどう思うかを横に置いて
自分がどう感じたか?どう思ったか?
を、事実だけを話すって本当に大切だと思いました。

すると、え?そんな事思ってたの?
は、間違いなくあるんです。
どうせ、こう考えてるんでしょ!
を、変えて行く事の大切さを
娘とのやり取りで再確認した私でした。
