
私たちは、ついつい、この世界には完璧があるものだと勘違いしてしまうようです。
それはまるで、幼い頃に親を完璧だと思い込んで、親の言うことは100%正しいと思っていた時のように。
だからこそ、親に怒られたらちゃんと行いを正そうとするし、自分が悪かったのだと反省もして来ました。
自我が芽生えて、反抗するまでの間は、私たちは完璧を信じていたように思います。
時が経ち、親にも散々悪態ついて大人になったとしても、私たちの中には《完璧》が存在するかもしれないという感覚が残っていたりするのです。
そして、あの時『お前は不完全だ!』と、指差した先にいた人に対しての恨みつらみがあればあるほど、自分に対して完璧を課してしまうのです。
例えば、完璧に愛されていなかったと恨んでいるのならば『こんなふうに愛するのよ!』と言わんばかりに、100%を与えようと必死になります。
でも、悲しいかな私たちには感情というものがあって、うまくいかない時に、つい声を荒げてしまったり、優しく出来なかったりするものです。
相田みつをさんの言うところの
《人間だもの》
です。
誰かを恨んでいると、私たちはどうしても、自分に厳しくなります。
あの人みたいになりたくないし
『お前は不完全だ!』と天に唾を吐いたものが帰って来そうだからです。
そういう時に、また、あの不完全な人の不完全を言い訳にしてしまい…
なんだか自分を好きになれないのです。
話は少し脱線しますが、今日も我が家のワンコを怒ってしまいました。
朝のお散歩時間内に《うんち》をしてくれないと、早くうんちしてよ!って怒ってしまいました。
後から考えたら、なんと理不尽な。
こんな時は、すごく自分を責めてしまう私です。
だって、いつも優しくしたいから。
100%の愛で接したいから。
でも出来なくて、ワンコの真っ直ぐな瞳を見れなくなってしまいます。

その瞳が無垢であればあるほど、すごく、自分が悪い人間だと感じてしまいます。
でも、裏返せば、それくらい愛したかったのです。
こういう風に完璧には出来ない体験を繰り返していきながら、あの、完璧ではなかった人たちを許していくのですね。
そういえば…
一緒にワンコを育てている娘もよく、ワンコに八つ当たりしてしまった…とか、可哀想なことをしてしまった…
と、嘆いています。
その分、過去に完璧ではなかった私(親)にはとっても優しくなりました^_^
完璧ではなかったあの人を許せると、今の自分をもう少し緩めることができるのかもしれませんね。
#生きとし生けるものが幸せでありますように。