もっと出来るはず!ちゃんとやらねば‼︎ あなたを追い立てるのは、あなた自身。あなたの内側にいる完璧主義な私。
こんにちは、三好成子です。私は今、親の介護で週の半分を三重県の田舎暮らしをすることになりました。
最初は、地域にも馴染めないし、仕事にも支障が起きそうだし、生活がボロボロになってしまいそうな気持ちがしていましたが…
いざ、実家と自宅の二重生活をしてみると、なんともまぁ快適なのです。

忘れていた風習に沿って暮らす片鱗を感じたり
過ぎていく時間を想ったり

今までとは違う感覚で自分を見つめることも増えました。
ウグイスの声が聞こえる中で、お客様とお話しをしていると、電話口からこぼれる少し苦しみの混じった言葉が、この自然に一度溶け込み癒し、私に戻り、クライアント様にとって最善の方法を教えてくれる様です。
それはすごくシンプルな事でした。
委ねた先にある幸せのお話し。
自然は、不完全な私たちを受け入れてくれる…という事なのです。

ふと、思うんですね。
私はこの幸せが欲しいと思っていたと…
この暮らしに憧れているにもかかわらず、まだ早い。と、ひたすら目の前の出来事を処理していた私。
母の事故によって、いつかはやってくると思いながら、伸ばし伸ばしにしていた田舎暮らしと介護問題は、いざ始めてみると…
三重の実家で朝起きては『幸せだ』と感じ、母の顔を見ては『ありがたい』と思い、奈良の自宅に帰ってはまた成長した娘に感動する日々なのです。
何もかも、自分がやらねばならぬと思い込んでいた時は、全てのものが《私を苦しめるものたち》でした。
ところが、実際に踏み出してみると(とはいえ、強制的に押し出された感はありますが)周りの人たちは親切で、何一つ気負うこともなく暮らせているのです。
じゃあ、あの時私に囁いていた『お前に何ができるのだ?何もできないくせに』は?
誰が言っていたのでしょう?
確かに、過去に母が言っていた言葉ではありますが、今の母の言葉ではなく、私が記憶して大事に使っていた私の言葉だったわけです。
『バカにしやがって!』
と悔しがっていた私ですが、バカにしていたのは他の誰でもない、私だったのです。
私の中の《バカにされない様に頑張らなきゃ》と思う、私の内側にいる完璧主義な私だったのだと…
実家の静かな庭を見てそう感じている私です。

内側にいる完璧主義な私は常に囁きます『もっと頑張れ』
誰かと比べては落ち、何かを始めようとしては『お前なんかに出来るはずはない』の声が聞こえて来て、やりたいことを秘めたまま、いつのまにか何をやりたかったのかさえ忘れてしまいます。自分らしくいようとすると、どこからか聞こえて来る『もっと頑張れ』このままではダメだ!の声は、他の誰でもなく、自分の内側にいる完璧主義な私なのです。
完璧主義という名の自分いじめ。
完璧を目指す事で、あの時のあの人の完璧に愛してくれなかった未熟さを全否定してやりたいと思う復讐心。
完璧なんてないから、完璧ではない私は苦しなければ欲しいものを手に入れてはいけないという謎の規制。
そういったものが自分の中で攻撃性を持ちます。

あ、そういえば、何かの本でこういうお話しを読みました。
苦労した先に手に入れる予定のものは、本当は今すぐにでも手に入るものなんじゃないの?
出典があやふやなのですが、某大国の起業家と、途上国の漁師のお話しをしようと思います。某大国の起業家が、小さな漁港で、小さな船で魚を釣っている漁師と出会いました。
しばらくその様子を見ていた起業家は、漁師にこう言います。
『そんな小さな竿で釣っていても一日数匹が限度なんじゃないか?もっと大きな船を買って、もっとたくさんの魚をとることを考えたら良いんじゃないか?
そう言われた漁師は『そんなにたくさんの魚は食べきれないよ。家族と分け合って、釣れなかった日のために数匹残るくらいの量でじゅうぶんなんだよ。』と言います。
それを聞いた起業家が『それよりも、もっとお金持ちになりたくないのかね?たくさんの魚を得て、それを売り上げるんだ。そのお金で人を雇って、船を買い増して、もっとたくさん魚をとって、会社を作ってお金を稼ぐんだ。そして…』
起業家は両手を広げて自慢げに語ります
『働けなくなった時にも先の不安なく、静かな海辺でゆっくり釣りをして、家族と穏やかに暮らすのさ。
どうだ?君もそうなりたいだろう?』
それを聞いた漁師は驚いた様表情でこう言いました。
『それは今、私がやっていることじゃないか?』
私たちは、ついつい、人の幸せに合わせてしまいます。
もうすでに持っているものでさえ、無いものだと思って頑張ろうとしてしまいます。
価値基準が他人や一般常識の様なものに惑わされて、自分が持っているものを見失ったときに人生が辛くなっているのではないでしょうか?
あなたの中の完璧主義者は、あなたではない者にさせたがっている
私たちには私たち一人一人に与えられた能力的なものや、環境があります。それは時には『こんなもの欲しくなかった』と思います。
欲しくなかったとしても、与えられているのであれば、そこには何か大きな恩恵がありはしないだろうか?と、そういう目で見直してみるのはどうでしょう?
『人ごとだから、そんな事が言えるのよ!』
『あなたには、私のこの苦しみはわからない…』
その感情を超えて、もう一度
あなたに与えられているものを感じて、その恩恵を受け取って欲しいと思います。
すると、本当に欲しいものが見えてくることがあります。
完璧の意味が見えてくることがあります。
人と同じ事で出来ないと、不完全な自分を責めていたけれど、自分に与えられたものに感謝をして受け取る事が完成形なんじゃないか?と思えてくるんですね。
起業家となって大成功するのも良し、漁師として家族と穏やかに暮らすのも良し。
自分に与えられた能力と環境を使って幸せになりましょう。

生きとし生けるものが幸せでありますように。



