苦しい…悲しい…寂しい…辛い…私たちは、あらゆる感情に揺さぶられています。
その感情は、ネガティブなものであればあるほど、私たちの心を支配していくのです。今日は、そのネガティブな感情を、一歩引いた所から見ることが出来るようにと視覚化チャレンジしてみますね。
◆ネガティブな感情には観念がセットになっている

私たちが何かを考える時に、
この世界はこういうものだ!という、強い思い込みを持っていることがあります。
その人を作る基準値のようなものです。

『人には挨拶しないといけません!』
という学校での教えだったり
『人に嫌われるような事をしてはいけません。』
というお母さんの口癖や
『お金はすぐ無くなるから無駄遣いはいけません』
というおじいちゃんの説教もあるかもしれません。
『学歴は必須』というお父さんの元で育ったとかもあるかもしれません。
他にも、体型の事、結婚のこと、先祖代々の何かが、私たちの中で決定事項としてあり続けているとしたら、それが観念や、強い思い込みになっていると思ってくださいね。

嫌われる事はダメな事、という思い込みを持っていたとしたら

悩みとなるのは

嫌われているかもしれないという不安を持つ現実(嫌われているのが現実ではなくて、嫌われていると思ってしまう感覚の今という意味です)に、嫌われてはいけないという観念がぶつかります。

今の自分の状況と、思い込みや、観念との段差が悩みとなるのです。
◆人より低い位置に自分を置いている
自分は、人よりも低い位置にいるという感覚が、ネガティブな感情と思っても良いのかな?と思います。「みんな、出来ているのに…」

みんなが当たり前にやっている事が出来ていない自分という感覚です。
観念というものは「みんなが当たり前に出来ている」と、あなたが思っているものを指します。
観念をうまくクリアしている時に『うん、私は良い人だ』って感じている状態かもしれないです。
自分の観念を、世界の観念に変えているのです。
それを達成していない自分にムチ打ったり、ダメ出ししているのがネガティブな感情なのです。
観念は、自分の中の当たり前過ぎて、なかなか気づけない
例えば、私はめちゃくちゃ田舎で育って、地域の人の名前から家族構成まで知れ渡っているという環境で育ちましたので、挨拶をするというのは『常識中の常識』だったわけです。それくらい、私の育った環境は、挨拶をしないと大変な目にあうんじゃないか?とさえ思うくらい、当たり前だったんです。
その私が、少し大きな街に出てきて、挨拶をせずに人とすれ違うことに慣れるまでに、相当な時間と葛藤を要したものです。
◆観念を薄めていくために出来ること
私たちが、個人の力で出来ることは本当に少ないと、私は思うようになってきました。やるべきことをやってきたという事もあります。
自分一人で出来ることをやってきて、自分一人で考える範囲のことをやっても一向に改善しなかったという経験からも思うのです。
自分の思い込みを気づかせていただくための、大きなポイントは、いろんな人の生き方を見聞きする事だと確信しました。
この世界の常識として疑わなかったいろんなものが、他地域や、環境などでは非常識なのだと知って、観念という基準値の線を小さくしていくと

私たちは、人ともっと歩み寄れるばかりか、ネガティヴな感情を感じる事も少なくなってくるのです。
しなければならないことがなくなるというのは、していない人への批判も無くなるのでイライラも減ってきます。
観念が強いと、その観念を人に押しつけてしまいますものね。
私たちは誰をも嫌いたくないのです。
もちろんん自分も。
わたしたちは人を愛したいのです。
許したいし、愛したいし、つながりたい。

そのために、もっといっぱい、いろんな人生を見聞きしてくださいね。