日記母にとって私は《役に立たないばかりか、何一つ満足に出来ないダメな奴》だと思っていました。
私の母は昭和7年生まれの89才.田舎で一人暮らしです。
リモートワークも可能になってきた昨今、そろそろ実家に帰らなきゃなぁ?と思いつつ、奈良のこの地があまりにも良くて伸ばし伸ばしになっているのですが…
母の人徳か、近所の皆さんや、地域の方々、また、車で一時間くらいのところに住む母の姉妹たちが常に連絡を取って様子を確認してくれるものですから、それに甘えて私は時々覗きに帰るくらいになっていました。
田舎の暮らしは地域の行事が多く、その度に帰省して母の代わりにお手伝いをしています。
そんなある日、昼過ぎになっても起きてこない母の様子を見に行くと、嘔吐した跡がありお腹痛いと蹲っています。
主治医の往診をお願いしたり色々お世話をしながら、高齢で一人にしている事への罪悪感も生まれてきます。
おかげ様で、母は徐々に回復して、点滴通院も出来るようになりました。
寝ている時間が長かったので、2本杖でも歩きにくくなってしまったので車椅子を買い、お買い物に一緒に行く準幅も整えて、今まで親孝行できなかった分を埋めさせてもらおうと考えていました。
少しでも罪悪感を拭いたいという思いです。
が、ある日、この罪悪感は見事に消える事となりました。
母はみるみる元気になっていきました。
それでも、一度人生の終わりを意識したもので、少し離れたところに住む姉二人が『いつ会えなくなるか分からんから』と言う理由で我が家に集まってくれました。
なんと!母は妹で、姉は93才、91才です。
三人集まるとまぁ、賑やか!
一人っ子の私にはめちゃくちゃ珍しい光景です。
誰が一番先に逝くかで盛り上がり
介護の話でケンケンガクガク。
そこで姉が『あんたは気ままばっかり出来てるから、人の話何にも聞かん!』
母『私はなぁ、人にいちいち言われるのが一番要らん!』
もう一人の姉『私ら、嫁や孫やらいっぱいいて、気を使うことも多いけど、あんたはこうして一人で気ままに出来てるから、だいぶわがままになったなぁ』
母『自由にさせて!もう、いちいち言わんといて!』
って喧嘩始まって…
兄弟姉妹喧嘩に慣れてない私は急いで仲裁に入ります。
『おばあちゃん、お母さんも長い間姑、小姑の中で苦労したみたいやし、ここまで気ままにしてきたんやから今更人の意見聞きたく無いと思うから、思ったようにさせたって』
姉二人『成子ちゃん、ほんまに親孝行やねぇ』
あー確かに!
私は今まで親を一人で暮らさせて申し訳なかったという罪悪感でいっぱいだったけど、元気な間は離れて、たまに会うくらいがちょうどよかったのかもね?
まぁ、これからはちょこちょこ帰るけど、罪悪感は必要なかったのか〜
なんだかね、こうしなきゃいけないって言う思い込みがあると、しなきゃいけない事をしていないという罪悪感で自分の事を責め過ぎるけど
その時、その時を一生懸命生きているんだから過去は何一つ責めなくて良いのかなぁ?って改めて思います。
私は、多くの人たちが手にしているような幸せは与えられなかったけれど、お母さんらしい、お母さんにピッタリの幸せをあげていたのかも?と思ったりしています。
私が悪かった…と、暗くなったり
私は悪いけどあなたはもっと悪いと相手をもっと悪くしたりと、罪悪感はろくな発想を持たないんだから、
過去を責めるより、じゃあ未来…これから何をしていこうという考え方に切り替える方が良いですね。
私は役に立立ていない妄想が消えた1日のお話しでした。