ワークショップ後に、参加してくださった方からの質問が届きました。
今日はその質問に、私の思いをお話ししてみようと思います。
ワークショップのテーマが『母子癒着』でした。
癒着とは、物理的な距離とは関係なく、ココロとココロかくっついてしまう状態を言います。
この、ココロのくっつき方はいつのまにかパターンとなって、あらゆる場面で再現されようとするのです。
Hさんも『かわいそう』と思う事でいつも相手をココロにくっつけてしまう…というお話しでした。
パターンの始まりは、1番最初に感じた場面が大切で、Hさんは『お父さんに大切にされないお母さんがかわいそう』が、始まりだったように思います。
ここで、お父さんはお母さんを大切にしなかったけど、Hさんにはどういう接し方だったのでしょう?
お母さんは大切にされていない、でも、私は大切にされる、だと、申し訳ないという気持ちが出てきますね。
また、お母さんに恨まれないだろうか?
私ばっかり愛されて申し訳ない…という罪悪感が生まれるかもしれません。
こうなると、お父さんとは近づかないということでお母さんを守ろうとするパターンも出てきそうです。
お母さんに対しては、お父さんに大切にされることへの遠慮。
お父さんに対しては、お母さんに遠慮してお父さんと仲良くしなかったことへの「ごめんなさい」
その隙間を「かわいそう」が埋めているのかもしれません。
かわいそうという心理は、相手を弱いものとして捉えていることになります。
ワークショップ内でも、風ちゃんがお母さんをかわいそうな人としていたとあったように、相手をかわいそうと思う裏には相手の能力、強さ、可能性をみくびっていることになりますね。
幼い心に刻み込んだ『お母さんかわいそう』の誤解を解く事が、パターンの解明に必要になってくるかもしれません。
お母さんかわいそう…と思って、なんとかしてお母さんを助けたかったのかもしれません。
お母さんのかわいそうな顔を見たくなかったHさんの頑張りが見えてきますね。
でも、小さな子供にとって、パートナーシップの複雑な愛情表現が理解できるわけもなく、ただただ悲しそうなお母さんを苦しめるお父さんが嫌になっていったのでしょうか?
お母さんかわいそうと思い、お母さんを助けなければ!と、幼いHさんがお母さんに寄り添っていたとします。
Hさんにとって、かわいそうな人に寄り添う事が
自分を相手に提供することができる方法だと思ったのかもしれません。
かわいそうな人に寄り添う事で自分がここにいても良いんだという許可が出ると感じたかもしれません。
そうすると
愛する事が相手をかわいそうと思う事になってしまう事もあります。
これは無意識のうちに感じているので『かわいそうと思う事が愛する事』、『心配する事で自分の中にある満たされない気持ちが満たされていく気がする』と気づいた時から変える事が出来るのです。
かわいそう…は、かわいそうと思う事で、幼い頃お母さんを救えなかったと思っている私の欠けた思いが満たされる気持ちきなっているのかもしれない…
だとしたら、愛する人をかわいそうな人にして、かわいそうと思う事で、『過去の満たされなかった思いを埋めようとするのはやめよう。』と思う事が必要になってきます。
そしてもう一つ大切な事実は
Hさんがお母さん"どれほど助けていたか?という事です。
Hさんがいたからこそ、頑張って来れたはずです。
だって、それほどお母さんの気持ちに寄り添って、なんとかしたいと思ってもらっていたんですもの。
Hさんは、生まれてきただけで救っていたのだと思います。
お父さんに対して、お母さんを守るために嫌っていたのだとしたら、お父さんはHさんが思う以上に強い人だと思います。
かわいそうと思わなくても大丈夫な人だと思います。
いつのまにか、かわいそうというキーワードが、愛情表現になっていたのかもしれませんね。
よく言われる言葉
心配より信頼
と
私は充分やってきました。
私の能力の範囲で、精一杯愛してきました。
未熟だったかもしれませんが、私はあなたを愛してきました。
これをしっかり受け止めていただきたいと思います。
Hさんの心の隅っこに、私は不十分だという思いがあるようですね。
充分やっている人ほど不十分だと感じるようです。
もっと出来るのに。
もっとできたのに。
そう思うからなんですね。
愛の大きな証拠ではありますが、もっと自分の存在に自信を持ちましょう。
Hさんが周りの人からの愛をもっと受け取り始めると、こう思うようになると思います。
なぁーんだ
みんな、私がいるから幸せなんじゃない!
Hさんは存在しているだけで周りを救う人なんです。
それを実感しながら今夜はお休みください。
明日の朝には、かわいそうな人は周りから消えていると思います。