ココロを解放してあげるために

◆リラックスってなんだ?
リラックスとはWikipediaによるとこうなります。リラックス(英語:relax)は、緊張の対義語で、
体や心が張り詰めた状態にないことを意味するリラクゼーションの動詞である。
relaxの起源は、ラテン語のrelaxareを語源とする中英語であり、
re-laxare は「再び (re ) 緩める (laxare )」あるいは「緩んだ状態へ (laxare ) 戻す (re ) 」ことを意味する。
再び緩む、緩んだ状態へ戻すということは、初めから緩んでいるのではなく、いったん緊張した状態があったという事なんですよね。
ぎゅっと力を入れて握りこぶしをつくると肩が上がりますね?
リラックスとはその肩の力を抜くというイメージです。
だとすると、私のリラックスは今の住居地である、奈良県奈良市と、実家のある伊賀の忍者市という最高の環境があってのものだと感じます。
今住んでいる環境が本当に素晴らしく、私を脅かせるものが何一つ無いって感じです。
毎朝犬のお散歩をするのですが、平城京跡という大草原を、奈良時代の風を感じながら脱力して歩くので全く疲れない歩き方をしているようです。

実家に帰れば、お腹が空けば竹の棒で柿をとり

ここにたどり着くまでは、数限りないストレスの中、いっときも落ち着く事なくキリキリしながら生きてきました。
どこに触れても尖ったものの感覚でした。
その感覚もあって、何度も何度も引越しをしていました。
居場所が無いというのは、人生に何の喜びももたらさないのだなぁ…と、感じていました。
戻って包んでくれる場所があるから私たちは、安心して遊べるし、新しい発想も生まれるのだと思います。
失敗しても、戻って傷を癒す事が出来る場所があるからチャレンジ出来るのだと思います。

引っ越すたびに問題がおき、ここは嫌だとまた場所を変える生活は、まるで目の前の問題から目を背け続けることで、解決するまで何度も何度も同じテーマの問題がやってくるという反復強迫の状態でした。
よく、問題が起きたら向き合って…と、いわれますが、私はどちらかというと逃げてきたタイプです。
こんなに苦しいのは、きっと私のいる場所じゃ無いんだろう…という考え方です。
問題があって、その解決をするために必要なエネルギーが逃げていかない環境を作って(探して)から向き合うと思って必死で逃げて来ました。
逃げて来たという表現が違うのならば、《エネルギーがチャージできる場所を探して彷徨いました。》という方がしっくりくるでしょうが?
全ての人にお勧め出来る方法ではありません。
引越し費用も数百万円使いました。
子供達もいっしょに移動しましたが、いじめにあっていたり、不登校になっていたりしたので共に居場所を探して移り住んでいたイメージがあります。
『カチッ!』とはまる場所があるはず!
そう思ってひたすら移動しました。
そして今ここにたどり着きました。

◆リフレッシュってなんだ?
同じような意味かと思ってこちらもWikipediaで調べてみるとこんな感じに書かれていました。・DRAMなどのダイナミックメモリにおいて電荷を補充する(コンデンサを充電し直す)ことで記憶内容を保持させ直すこと。再生とも言う。周期的に行う必要がある。
・二次電池でメモリー効果による劣化のあるものを、十分に放電し回復(ないし予防)すること。
また、別のウェブ辞典で確認すると
・気分を爽やかにし、元気づけること。
・補給・補充などすること。
というように書かれていました。
先ほど『エネルギーチャージできる場所を探して彷徨った』と言いました。
その『エネルギーチャージできる場所』が今暮らしている環境で、この環境があるから出来るのが、リフレッシュになると思います。
使い過ぎて空(から)になったか、詰め込み過ぎてぐちゃぐちゃになったものを外に出して、必要なものだけを入れる…みたいな感じですね。
エネルギーチャージは整理された感情、スペースの出来た場所でないと有効に使えないものです。
カウンセリングは、こういうごちゃごちゃしてしまった感情や思い出を整理するのに使ってもらえたら良いかと思います。
◆チャージするエネルギーは『しなくてはいけないもの』の中にはない
リラックスして空いたスペースに入れるものは、自分にとって喜びになるものにしたいと思います。私のリフレッシュは、煮詰まったら別の趣味?仕事?に変えるという事をしています。
私はカウンセリングをしながら、他にも気分によって違う種類の仕事(収入を得ているので仕事だと思うのです)をしています。
ドレスを作ったり…

イラストを描いたり…

落ち葉で火の鳥作ってみたり

瞑想したり…(これはお仕事ではありませんけどね)

元々、デザイナー、イラストレーターとして生きていく事に挫折している私は、一度勤めたら最後まで!の精神はありません。
だから、勤続数十年の方々や、職人さんなどは尊敬の目で見ている私です。
多趣味で、煮詰まりやすい(興味が移りやすい)私は、自分の生き方を《気分を散らしながら その時を楽しんで 何かを生み出す》というものに決めました。
俗に言う《自由》です。
自由には責任がもれなく付いてきます。
この生き方を決めた時から、私は私の人生に責任を持つことを決意したのです。
◆責任とは?
私たちは、責任と聞いてものすごく大きなものを想像するようです。
それは、人の負うべき責任までも負わねばと思っているからです。
私たちは、自分の行動、思考の責任をとる事だけを考えて行けば良いのだと思うのです
これを、アカウンタビリティーと言います。