
私たちはなにかに囚われて身動き出来ないという感覚になる事があります。
まるで足に鎖がついているかの様に、この場所から離れられないような重さを感じる事があります。

そういう時って、個人の問題というよりも《私以外の誰か》の存在をズッシリと感じている場合が多いのです。

自分の事だけであれば、その責任は自分が取る覚悟さえあれば身軽なものです。
ところが、頭の中に自分以外のモノや人がいると、何か行動しようとする時に、自分以外の感覚を想像して決めようとするので、物事のシンプルさが失われます。
二倍、三倍、四倍のストーリーが浮かんで、「あの人はどう思うだろう?」と思うと、自分が本当にしたいと思っている事が薄れていきます。
「あの人は…」と思い始めると、一つの出来事がとっても複雑になっていくんです。
「あの人」を思う時の心の中に喜びを感じるならばそれは『愛』である事が多いと思います。
「あの人」を思う時に胸が詰まったような苦しさを感じるならそこには…

執着です。

執着には「恨みつらみ」が含まれていることがあります。
「許せない」
「謝るまで許さない」
「私が納得するまで許さない」
と思っていると、足の鎖を「外してやるもんか!」と思ってしまいます。
恨みつらみの感情は辛いものです。
人は人を愛したい生き物なのに、愛せないという辛さを常に持っているのは辛いけど、その辛ささえも《繋がり》だと誤解してしまうのが執着です。

罪悪感も、お互いが重い鎖で繋がれていきます。
「申し訳なかった」という気持ちが、もっと「申し訳ない」状況を作って行きます。
自由から遠ざかります。
そしてネガティヴでつながる関係は、最終的にはお互いを傷つけます。

無価値感で繋がっていると、価値のない私は人の言う事を聞いて、決断せずに、ただ与えられた時間をズルズルと生きていく様な感覚を持ち続けると思います。
「この鎖を切られたらどうしよう…」
自分一人ではどうにもならないと思うと、苦しいのにも関わらず鎖に繋がれていようとするのです。
相手に対してネガティブな感情が起きているときは、相手からの見えない鎖で繋がれているかの様な感覚を持って

見えない鎖はあなたが行動しようとする度に、あなたの身軽さを抑えます。
ただ繋がれているだけで、相手が何をする事もないにも関わらず
まるであなたに制限をかけているかの様に、あなたの行動を抑えている様に感じます。
あなたとあの人の間にある見えない鎖。

「あるかもな…」
そう思って、その重さを感じてみてください。
無いと思う思えばその鎖は切れないけれど
「ある」と想像できれば、大きなハサミで切るイメージも出来ます。


イメージだけど、なんだか軽い気持ちになります。
だって、罪悪感や無価値感、しがみつきもイメージから起きている脳内の空想の産物なんですもの。
イメージはイメージで終わらせる。
現実は実際の行動で処理する。
そうやって、どんどん意識を軽くしていきます。

「あぁ、自分の意思でこの人生を歩けるって、こんなに充実しているのか〜」という事を体感していって欲しいと思います。

何度も、何度も、足に絡みつく鎖を
その度にパチン!と切っていきましょう。
その鎖を切ったからといって、その人との繋がりが切れるわけでもないのです。
もっと楽で自由で、愛がある関係に変わって行くはずです。
あなたがあなたらしく生きていけます様に。

