傷つけるつもりじゃなかったのに
相手が悲しんで、どうしたら良いかわからなくなってしまいました。
というご相談に、こう答えることがあります。
傷つくつもりで
あなたから傷つく言葉を探して使っている事があります。
それは、自分自身にも言えます。
誰かの言動で傷つく事があった時
それはその誰かはあなたを傷つけようとしていたのでしょうか?
私の過去の気付きを例にお話ししますね。
私は挨拶を出来ない人が嫌いでした。
おはよう
こんにちは
特に、最初に出会った時にお互いに掛け合う言葉を省く人が嫌いでした。
思春期の頃の子供たちは親に対して結構素っ気ないもので、朝の挨拶『おはよう』を言わない様になっていました。
他の人には挨拶しているので、親(私)に対する何かのメッセージなんだな?って思っていましたが私としてはものすごく不愉快でした。
不愉快だと思うけど、正面切って不愉快だと話し合えない関係性もあって、ずっと我慢という形で私から挨拶をしていました。
その度に私は傷つけられたという意識を持っていましたので、1日の始まりが傷つけられた経験で始まっていたのでした。
さて、あらためてこの状況を見てみると
子供たちは思春期、反抗期と言われて親から離れようとする時期でした。
毎朝上機嫌で親に挨拶することを求めて、それが叶わないから傷つきました!と言うのですから、なんと幼稚な思考だったのだろうと恥ずかしく感じます。
これこそが、勝手に傷つけられるパターンなのです。
このパターンというものは、何も無くて出来るものではなくて、過去にあった傷と呼べるような、自分なとって大きな出来事を思い起こしてしまう事での防衛的な感情から起きているようなのですね。
私のブログの過去記事【お局様に嫌われて】に書いたエピソードがあります。
私の高校一年はクラスの子全員から無視をされ続ける氷の一年がありました。
話しかけても、挨拶すら無視されていた経験があるので、数十年経ったとしても同じような⦅挨拶が無視される⦆というこの事実に過去の傷が再現されたように感じだったのです。
これにハッと気付いた時から私の感覚は変わりました。
子供たちの反応に勝手に傷つく事がなくなりました。
不思議なものですね。
不思議と言えば、その事に気付いて私が傷付かなくなったと同時に子供たちがおはようと返すようになってきたんです。
自分の傷つくパターンに気付かせられるまでパターンは起き続け、気付いただけで傷つけられる現実は薄まってタ消えて行くのかな?と、思うのです。
極論を言ってしまうと、傷と言うものはその人が傷つこうとしない限りは傷にはならないのです。
かけられた言葉に自分が合意していない以上それは傷つく言葉では無いのです。
かけられた言葉に自分が合意していない以上それは傷つく言葉では無いのです。
自分が馬鹿だと思っていない限り馬鹿と言われても何ら傷にはならないわけです。
例えば「字が下手だね」と言われて傷になる人は常々自分の字は下手だと思っているか、自分自身は何か不備のある人間なのだと思っている可能性がありますよね。
もし自分の表現する形に自信を持っている人であればこの独特の文字はデザインなんだ…または、これでいいんだと思えるようになっているかもしれません。
このように個々人が受ける感情と言うのは、その人が自分に対してどれくらいの信頼を持っているのか?ということが関係してくるようです。
例えば「字が下手だね」と言われて傷になる人は常々自分の字は下手だと思っているか、自分自身は何か不備のある人間なのだと思っている可能性がありますよね。
もし自分の表現する形に自信を持っている人であればこの独特の文字はデザインなんだ…または、これでいいんだと思えるようになっているかもしれません。
このように個々人が受ける感情と言うのは、その人が自分に対してどれくらいの信頼を持っているのか?ということが関係してくるようです。
ですので、傷つけるつもりではなかった言葉で相手が傷ついた…と訴えてくる時は
あなたの言葉を借りて傷つきたかったという角度での考え方もあるかも?というお話しでした。
これは一つの考え方で、自分の中にある攻撃性を無意識に言葉に乗せている場合もあります。
いろんな方向からの考え方を知っていることで、むやみに自分を傷つけすぎたり卑屈になったり、そのことで悩みすぎる事を回避できるんじゃないかな?と思って書いてみました。
いずれにしても、相手が傷ついたと言うのであればこちらがどんな気持ちで言ったことにせよ「ごめんなさい」と言う一言は必要ですよね。
「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉はこの忙しい現代社会で1番大切な言葉なんじゃないかなって思います。
「ありがとう」「ごめんなさい」の言葉はこの忙しい現代社会で1番大切な言葉なんじゃないかなって思います。
今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。


