無いものには敏感ですが、有るという幸せにはなかなか気づかないものです。










以前、うちの子供がこんな事を言って悲しんでいました。
「私は学校も行っていない。結婚もしていない。子供もいない。友達だっていない。こんな私は生きている価値なんてない」
多分最初の「学校へ行っていない」ということのつまずき(だと思っている)がメインだと思うのですが、何か、標準的な生き方があると仮定して、その標準とかけ離れた生き方をしている自分を悲しんでいるのだと思うのですが…
物事の見方を変えると、人生は全く違って見えます。
学校へ行っていないということで得た時間を、今の副業の基礎(趣味の世界)に当てていたのではなかったかしら?と思います。
そして、友達がいないという悩みも、その趣味の世界でいっぱいのフォロワーさんから玄関先に山積みの誕生日プレゼントをもらっていた事を忘れたわけではないですよね?
結婚や出産に関しても、誰かとシェアする時間を自分の時間として十分堪能できているということにはなかなか気が付けないものなんです。
欲しいものはある、それは分かるんですけれど、欲しいものに囚われすぎていると、手にしているものを見逃してしまうんですね。
「有る」と「無い」はコインの裏表のようなものです。
「無い」って感じてちょっと悲しくなったときは「有る」としたら何が有るんだろう?という発想を持つようにしてみると良いと思います。











有ると無いは裏表です。
有ったら無いモノはあるし
無いならば有ります。
何だか禅問答のように聞こえますね^^
でも私たちは何も持っていないということはありません。何かは有ります。
あなたがもしも「私には無い」と感じているのならば
その「無い」事で得ているものがあるはずです。
今、無いと思っているモノの裏には何があるのでしょうね?
その「無い」事で得ているものがあるはずです。
今、無いと思っているモノの裏には何があるのでしょうね?
以前、うちの子供がこんな事を言って悲しんでいました。
「私は学校も行っていない。結婚もしていない。子供もいない。友達だっていない。こんな私は生きている価値なんてない」
多分最初の「学校へ行っていない」ということのつまずき(だと思っている)がメインだと思うのですが、何か、標準的な生き方があると仮定して、その標準とかけ離れた生き方をしている自分を悲しんでいるのだと思うのですが…
物事の見方を変えると、人生は全く違って見えます。
学校へ行っていないということで得た時間を、今の副業の基礎(趣味の世界)に当てていたのではなかったかしら?と思います。
そして、友達がいないという悩みも、その趣味の世界でいっぱいのフォロワーさんから玄関先に山積みの誕生日プレゼントをもらっていた事を忘れたわけではないですよね?
結婚や出産に関しても、誰かとシェアする時間を自分の時間として十分堪能できているということにはなかなか気が付けないものなんです。
欲しいものはある、それは分かるんですけれど、欲しいものに囚われすぎていると、手にしているものを見逃してしまうんですね。
「有る」と「無い」はコインの裏表のようなものです。
「無い」って感じてちょっと悲しくなったときは「有る」としたら何が有るんだろう?という発想を持つようにしてみると良いと思います。
