親は完璧→完璧じゃない親に絶望→親も人間→愛ある世界へ
◆私の親は素晴らしい…はず
幼い子供は親が好きです。そして、その親から愛されている事で自分の存在を確認しているくらい親が大切です。
親の愛を必要とします。
その親から愛されないと感じる事があったり、愛情の薄い親に育てられると、現実を見ようとしなくなることがあります。
現実を見なくなるというのは、
目の前の親を美化してしまうために、見ないふり、聞かない事・・・にしてしまう事があるという感覚だと思っていただきたいのです。

イメージとしては
街中で、耳にイヤフォン、マスクをして、サングラス。そしてフードジャケットを着て歩いている人の姿が浮かぶのです。
街に出ているけれど、何も見ていない。
今いる位置で聞こえる本当の音を聞いていない。
その場にある空気、匂いをかいでいない。
現実に生きている振りをしているだけで実際はずっと自分の世界観で生きている。
そんな感じがするんです。
それくらいに、見たくないもの、聞きたくない現実があるという事でもあります。
不都合な真実を経験したとしても
真実を受け止められず「それはきっと自分の勘違いなのだ」、「気のせいだ、私の親はもっと素晴らしいはずだ」と思いたい気持ちが強すぎて、現実をそのままに見ないように生きてしまう事があるようです。

実は私もその一人です。
私は母を完璧な人だと思っていました。
母には絶対勝てないと思っていました。
何をやっても素晴らしいと思っていました。
でも、現実は違いました。
素晴らしいところはもちろんあります。
でも、素晴らしくないところもあったんです。
例えば
案外人の悪口を言う、人の良いところを認めない、自分の事しか興味が無い・・・みたいなところです。
こういう部分があったなぁ・・・と思い浮かべることができるようななったのは私が心理学を学び始めたくらいごろからです。
それでもどこかで「素晴らしい人であって欲しい。完璧であってほしい」と思っている私もいました。
それが、ここ半年の出来事で「やっぱりそうなんだよね…」という思いを強くしていきます。
ここ半年で何が起きたかといいますと…
最初はボヤ騒ぎがあり、これは?もう、一人暮らしは危ないかも?と周りが気づき始め、施設サポートや、私の生活サイクルの見直しを始めていた矢先、まるで『何かを成し遂げるまで止まらないぞ!』とでも言われているかのような出来事が押し寄せてきました。
母の単独で起こした交通事故から始まった《老齢化》からのいくつかの怪我や病気を通じて
「母も普通の人間だったんだな」を感じざるを得なかったのです。
母を素晴らしい人にしておく事で、自分は保護されていても当然の位置にいる事が出来たからなのかもしれません。
幼いころに、母に対して《ちょっと嫌な人》の部分を見た時、見なかった事、聞かなかったことにしてその出来事を封じ込めていたように思います。
そして、「私の母はすごい人、素晴らしい人、完璧な人」という新たな人物像を作って崇めていたように思うのです。

これをファンタジーと呼びます。
理想の母親像を作って、その世界で生きていこうとしていたのです。
私の母はこんな 人の悪口を言う人ではない!
私の母は、とっても素晴らしい、女神のような完璧な人なのだ!
そう思う事によって、自分の心の葛藤をなくしていこうとしたのです。
親を嫌いにならない事で生きて行こうとしたのです。
そして、保護されようとしていたようです。
嫌わないように、嫌われないように。
幼い子供にとって《親に嫌われない》事が重大だと冒頭に書きました。
こういうファンタジーの世界を作ってしまうと、現実の世界を見ることがなく、理想の世界観で生きようとしますから、母親を投影するような女性上司であったり、年上の人や、立場が上の人に対しても完璧を求めてしまうのですね。
ちょっとでもダメなところがあると、そこを責めたくなってしまいます。
「そんなはずはない!〇〇が出来ないのはおかしい!」
◆ファンタジーから抜けるには?
現実には、愛情の薄い親はいます。薄いと言うと薄情なひどい人間のように感じますが、そうではありません。
親の生い立ちが、愛情のかけられ方が薄かったり、環境があまりにも緊迫していたり、 子供を愛するには余裕が無かったという親はいます。
本人はそれほど過酷な境遇でなくても、そういう育ちの親に育てられたという人が親になっていることもあります。
愛情がある、ない、と言うのは表現が上手い、下手という事でもあると思います。
愛はあるけど使い方を覚えてこなかった事もあるだろうと思います。

現実を見るというのは相当難しいものだなぁと感じます。
現実とは 何もかもが完全で美しいことばかりではないけれど、一生懸命生きている、その姿をそのままで見るということだと思います。
46年目のラブレター
とはいえ、そのままの両親を見るというのは、相当難しいものです。親とはこういうものだという刷り込みが入っていたり、これまでのあらゆる感情が重なってしまって、素直に見れなくなっている事が多いと思います。
私も例外ではありませんでした。
その私に、今年後半から畳み掛けるように、
生身の親を見なければ前へ進めないような出来事が頻発しました。
その中の出来事のひとつが、今回の感謝祭での講演タイトル【46年目のラブレター】が見つかったお話しです。

晩年、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病を患った父が、言葉や筋肉運動を失われて行く中で、過去の自分とパートナーシップを振り返って綴ったラブレターです。

完璧だと思いたかった親を、不完全だと認めてしまうと、親に頼れなくなる…私にとって不都合な真実と向き合った時に何が手に入ったのか?というお話しをしたいと思います。
ぜひ聞きに来てくださいね。
お待ちしております。

感謝祭 【近日 受付予定です】
●ZOOMオンライン
21/12/25(土)13:00~19:50
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1)イベントスケジュール
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※講演は2会場同時に行われます
13:00-13:10 オープニング
13:20-13:50 講演1:浅野寿和/大門昌代
14:00-14:30 講演2:大野愛子/大塚統子
14:40-15:10 講演3:中村陽子/三好成子
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15:20-15:50 新人さん
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中休憩;20分
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16:10-16:40 講演4:櫻井朱実/眞田遊子
16:50-17:20 講演5:帆南尚美/那賀まき
17:30-18:00 講演6;服部希美/沼田みえ子
18:10-18:40 講演7:原裕輝/池尾昌紀
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18:50-19:40 公開カウンセリング
19:40-19:50 エンディング
