気持ちはありがたいけれど、もういらない、必要ない、ものも出てきます
親が過保護、過干渉だというのは、親の無価値感や未熟さもあるんじゃないかな?という方向のお話しですが、それくらい大切に育てられたんだという側面を理解したうえで、今日のお話を聞いてくださいね。これも一つのパターンです。
全てが『こうだ!』というものではないのでご了承くださいね。
◆何もできない
自分の人生が何かわからないという時に出てくる思いというのは、どう反応していいのかわからない・・・や、自分の意見が無いという感覚ではないでしょうか?言えないのではなく、無い…と感じる時に強く感じると思うのですね。
そこには幼いころの親とのかかわり方が大きく左右されるものだと私は思っているのです。




なんなんだ!
この 足かせは!




なんだ?このもわぁ〜んとした《気》の塊は?



親の飛ばした 心配玉が あなたの足元にからみついて

あなたの行動を制限しているかもしれません。
あなたが、どこへ行くにも勇気がなくて「危ない」「怖い」と思うのは、あなたではなくて まず始めは親が感じたものかもしれないのですね。
親の心配性や過保護な行動は、親の深い愛情と思いやりから生まれたものかもしれません。
私が危険にさらされないようにと、子供にはわからない危険を早めに察知して教えようとしてくれたこともあったと思います。
だけど、それと同時に、親自身の不安や経験から来るものもあったと思うんですね。
私の行動を制限することで、親からすると『自分の役割を果たしている』と感じることができたのかもしれません。
親が危ないと思ったから、今、あなたが危ないと思って動きを止めている…のかもしれません。
心配性なのはあなたではなくてあなたの親の可能性が高いです。

あまりにも守られすぎると「自分は何もできないんだ」と思ってしまうかもしれないんです。
「この世界は怖い」と、と思ったとしたら
自分が動いたら必ず怖いことが起きる、失敗すると思ったのも、
実は、最初に親がそう思ったから、あなたがその感情を受け取って
自分は何もできないと思い込んだし、この世界は怖いものだと見えたのかもしれないのですね。
そういう方向からの考え方があるというお話しです。
全てが悪いという事ではないんです。
幼い頃は、見守ってあげないと危険な事がいっぱいで、親の役割もすごく多いんです。
子供が成長して、たとえば成人した後も
心配したり、行動を制限してしまいそうになる時にも、この心配玉が飛んでいるかもしれないのです。
脳内でこのイメージが張り付いていたとしたら

もしも、そういう事があれば。。。それは動けないはずですね。
あなたは、怖くて動けなかったんじゃなくて
重くて動けなかったんです。

これは、私自身の物語でもあります。
怖がっていたのは私の親だったと思います。
私の親も怖がっていた(ように感じた)し、私が親となった時も
この世界は怖いものだと思えて、すごくびくびくしていました・・・。
そして子供のことを心配の目で見ていたように思います。
子供のころは分からなかったけれど、もう大きくなったあなたなら言えるのではないでしょうか?
「もう大丈夫だから、自分の失敗は自分で責任取れるから」
そうなんです。
子供のことを嫌いで制限をかけていたのではなくて、子供を守らなきゃと思って
子供の行動の責任をすべて持たなきゃと思って…
でも、私にそこまでの責任はとれないかもしれない…
そんな責任感につぶされていたかもしれません。
もし、そうだとすれば、こう言ってあげたいです。
「自分の責任は自分で取れるくらい、成長しましたよ。
あなたは(親は)あなた自身の責任の範囲で生きてくださいね。」
って。
親は今まであなたの責任までもとってあげようとして頑張ってきました。
まだ、気が付いていないだけです、あなたが自分の責任を取れるくらい大人になったという事を。

◆親の立場の人へ(三好自身の経験から思う事)
人(親)は心配の数だけ 心配玉を投げて 子の動きを止め動けない事で自分を出来ない奴だと思わせています。
人(親)は干渉の数だけ 子におぶさり その重さで動きを止めて
動けなくして、考えなくさせています。
自分が(親が)怖がっている事に気が付きましょう。
必要以上の責任範囲に気が付きましょう。
子供が心配玉を外して自由に動き出した分、親も同じくらい身軽になれます。