私から見て辛そうで、助けなくちゃと思って頑張っても、本人は辛そうにしている事で得ているものがあるかもしれないのです。
◆助けられなかった…の思い違い
子供の頃、親の夫婦喧嘩が絶えなくて、いつも罵り合って、最後にはお母さんが泣いて終わる。というパターンを見続けてきた。
子供の頃、そんな親を助けたくていつも間に入って苦労してきた。または、お母さんの味方になって励まし続けてきた。なのに、全く変わる事なく、いつもお母さんが泣いていた。
そんな時、子供は挫折感を持ってしまう事があります。

自分は役に立たないんだと思ってしまう事で、それからの対人関係や生活に影響を及ぼすことがありますが、多くの場合、この子供のころの『親を助けられなった挫折感・無力感』が影響しているとは気づけていないと思います。
何をやっても救われた気になれない、自分も救われない気持ちがあるというのは、今起きている物事がその感情に関係していないという事がある亜も知れません。
それはどういう事かといいますと、
過去に何をしても笑顔になってくれなかった親がいるとすると、笑顔では無かったのは自分の存在がダメだったんだと思っていたり、笑顔にしてあげられなかった自分が力不足なんだと思ってしまっているかも知れないんですね。
その想いが大きくて、笑顔ではない人を見ると助けたくて仕方なくなってしまう・・・そして頑張るのだけれど、いつも虚しさや『やっぱり私はダメなんだ』という思いが残ってしまう・・・
こんな感情をずっと繰り返している…同じような場面(助けたいと思い奔走して、残った感情は虚しさや、力不足)を繰り返すとしたならば、それは今ではなく過去の何かを取り戻したいと思っての行動、思考かもしれませんね。
◆今と過去を分けよう
あの時はあの時できることを一生懸命やった。
あの時の力の限界だったと現実を受け止める。
あの時…というのはまだまだ未熟な子供だったという事を忘れているのです。自分はどんな事も出来るし、能力も、ノウハウも持っていて、尚且つ親達を助けられなかったと思うから、ここまで引きずってきたのですね。
あの時の『子供』という世間のほとんどを知らない状態で、助けられた方が奇跡だったと思いませんか?
今、幼い子供が、大人になった今の自分を「助けます!助けさせてください」と言って近づいて来たら何をお願いしますか?
そういう事です。あの時のあなたは自分の出来る範囲のことはやったはずです。
それでも、親の喧嘩が絶えなかったのだとしたら、親はそう簡単に助かりたくなかったのかもしれませんね。
喧嘩がお互いのコミュニケーションになっていたのかもしれませんし、被害者の位置にいる事で何かを得ていたのかもしれません。結局は、親の都合でそうしていた可能性があるのです。
だから、もう
親が泣いていた責任を取らなくてもいいと思います。


あなたが思うほど親は完全で立派なものでは無いのです。
不完全なもの同士の会話、行動は往々にして衝突もしますし、お互いに人生かけて埋め合わせていくために親たちに問題を与え、それを乗り越えて行くことで成長させようとして数々の事柄が起きていたと思ってみても良いかも知れませんね。
今、私たちがそうであるように。
いつまでも泣き止まない親は、自分の力で泣き止もうとしない限り、周りにどれほどの愛が溢れているかは気付かないものなのですね。
親の問題はあくまでも親のもの。
助けられなかったのではなくて、助かりたくない人を必死で助けようとしていたという考え方もあるということを、今日はお伝えしました。
そう思う事で、今度は、自分の問題も人のせいにせずに、自分の問題として向き合える様になっていくと、私は思っているのです
