分け与えるという意味が分からない
◆悪気なんて一切ないのよ、でもね
生まれて物心つくまでの3~6歳同年代の人間が家にいないというのはどういう事かと言いますとね
子どものおもちゃ
子供用の洋服
家の中にあるおいしいもの
そんなものがすべて
自分一人に与えられたもの
なのです。
いえいえ、嫌味で言っているのではなくて
当たり前にそこにあるものは私のもの
なのだと思って過ごしてきていたわけです。
そこにあるすべてのものは
- 「これは 私のものです!誰もとらないでよねっ」
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という宣言をしなくても
欲しい時に手に取れば良いし
食べたかったら食べれば良いし。
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- 「だれだよ!俺のおやつ食ったのは!」
なんて言われたことは一度もなく・・・
そこにあるものは当たり前の様に私のものだったのです

小学生の時、同級生の子のお宅にお邪魔したとき
おやつの袋に名前を書いて姉に食べられないようにしていたのを見て
なんだかちょっとうらやましかったのを覚えているくらい
周りのものは私のものだったんです。
だから、集団生活(学校生活)は驚きの連続だったわけです。
結構何をしても怒られるか、白い目で見られた(たぶん)時期が長くて
自分が異星人的に感じるようになったのも
一般社会のルールと、自分のルールのすり合わせに疲れて止めたあたりから
変に浮きだしたんじゃないかと自分では思っているんですね。
同じ一人っ子でも、
ちゃんと世間になじんでいる子もいる中で
私は、もう、面倒くさくなっちゃったんです。
同年齢の子供たちと付き合う事が・・・・
だって
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- 「かまってくれないじゃないですか?
子供たち同士で何が楽しいのか私にはわからないし
どう接していいのかわからないし・・・
結構 傷つく言葉も言うし・・・
大人といるほうが 楽なんですよね!」
あの時、子供の私は
皆とワイワイすることよりも
一人でわがままに過ごすことの方を選んだみたいです。
まぁ、きつい表現で言えば
楽なほうを選んだ
という事なんでしょうね。
で、その選択を何十年もやってきて
ついつい楽なほうを選び続けた結果
同年代の人とのコミュニケーションが苦手になっていた・・・





という事のようです。
かまってもらえない
自分の思うようにしてもらえない
慰めてもらえない
楽しませてもらえない
という不満を
同年齢の人に持ったところで
解消するはずはありませんね。
同じ条件で自分だけが優遇される
という考えは通りません


ここに気が付かずに来たものですから
自分が楽をしたかったから選んだものの考え方なんだという事をすっかり忘れて
いろんなもののせいにしてきていたわけです。
そこには悪気は全く無いんですけどね。
◆自分のものとは【100パーセントのこと】
自分の世界って言うとそこそこ大層な感じになりませけどね
ひとりっこの自分の世界は概ね身内、家族程度の世界なんですね。
思い起こして一番如実だったのは、
お盆に親戚がお供えしてくださった数々の品。
とりあえず欲しいものを適当に、勝手に持って帰るという私。
それが 当たり前だったんです。
今も、母が「欲しいものがあったら持って帰りよ」って言ってくれます。
ひとりっこの当たり前に気づく前は
欲しいものを根こそぎ持ち帰りました。
今は
欲しいものの前に、
母が使えそうなもの、使わないだろうというものを仕分けして
母が使わない、でも私は使うものをありがたくちょうだいして帰ってきます。
ひとりっ子にとって親といえば私の親だけで、
お姉ちゃんの親、弟の親、私以外の親という感覚はありなせん。
この感覚が外に映し出されると、
【お友達】の感覚がおかしくなってきます。
極端に言ってしまいますとね
私以外の友達がいる人は友達ではないんです。
ずいぶん極端に言い切ってしまいましたけど、
それくらい分け与えてきたことが少ないってことなんです。
- 「私にはお友達と呼べる人が いません」

私だけのお友達、私以外の友達がいる人は違う!って思っていました。
私しか見ていない人のことを胸を張って言えるお友達だと思っていたようです。
いません!
今は思います。
そんな友人はいないか、いたらすごく重いです。
でも
私にとって友人とは
私だけを友人と思ってくれている人のみであったのですから
お友達と呼んでいた子にともだちがいると
その子は、《私のお友達ではない》というこの不思議な感覚
「私にはお友達と呼べる人がいません」
になってしまうのは仕方なかったのですね。
自分だけの親がいた
というこの感覚は
どんな場面にでも映し出して
自分の為だけに存在してくれる人
を探し続けている…
という事にある時、気づいたのです。
同じように
パートナーも、私だけのために存在していて欲しいと思っていたのではないかと考えてみると、
思い当たることがいっぱいありました。
気付くだけで変わっていける事ってあるんです。
それが当たり前だと思っている事が
当たり前ではないかもしれないと思うことが出来るだけで
視野が広がるんですよね。
気づいてから振り返ってみると
笑っちゃいそうな考え方、感覚も
当時は本気でそう思っていたんですからね。
この、一人っ子物語も
ひとりっこがみんなそうだという事ではなくて
私がそうだった・・・という お話ですのでね^^
人それぞれに育った環境でいろいろあるんだという事を理解してもらえると良いかな?と思います。

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