【腑に落ちる】という言葉があります。
今まで「そういう事よね」って理論や理屈(頭)で知っている事がストンと【腑(ココロ)に落ちる】感覚です。
◆知っているだけではなぜダメなの?
こんなお話をしてくださる方がいらっしゃいました。知っているという点では.心の話はカウンセラーや法話をしてくださるお坊さんも知っておられるはずですよね。
私の友人にもお坊さんがいます。
その彼が言っていました
そうなんです。
人の事はわかるけど、自分の事は本当にわからないものなんです。
私も、個人的に問題が起きた時にはどうしていいかわからなくなることもあります。
そういう時は『クライアントさんが持の問題を相談してくださっていたとしたら、私はなんと答えるだろう』と言うようにあえて考えます。
自分とは切り離して考えないと『でも、だって・・・』が出てしまって、出来ない理由がどんどん思いつくものなのです。
それはやっぱり
恐れ
なのですね。
新しいことをするのは怖いです。
何が起きるかわからない世界はやっぱり怖いですからね。
その世界へ行かないで済むのなら、そっちの方法を取りたいと思ってしまうものなのだと思います。
例えばフィギュアスケート

本をどれほど読んでも、映像を見続けても、スケート選手の様に滑れませんよね?
全く初めての人なら氷面に立つだけでも難しいと思います。
その怖さを 楽しいとか、興味が上回った人が、氷の上をすいすい滑るようになれるんだと思うのです。
昔、子供が幼稚園児くらいの時、ローラーブレードというローラースケートの滑車が縦一列になったシューズを履いて、あっという間に滑ることが出来たという思い出があります。
私は(もともと運動神経が悪いのですが)頭で考えて、理屈で滑ろうとしたのか、全く、立つことも出来なかったことがありました。
頭で考えるという事の中には「転んだら痛い、怖い」という
過去の経験からのネガティブな感情が入り込んでいたと思います。
スキーへ初めて行った時もそうです。
私はリフトを降りてすぐ転んで、そこから全く動けなくなったにもかかわらず
子供たちは、スキー場のお兄さんに教えてもらったと思ったら、あっという間に滑り下りては登って、を繰り返すことが出来ました。

一方私は、立ち上がれない事が悔しかったり、それ以前に怖かったり
また転ぶんじゃないか。。。痛かったし・・・と思うと
「もう、ここで子供を見ているだけにしよう。だって子供がスキーしたいっていうから来たんだし・・・私はスキーには向いていないんだわ」って、滑れない理由、滑らなくても良い理由を探していたのでした。
頭で考えるというのは、こう言うことをしていると思うのです。
方法はわかるけど怖い
そんなこと理論的に出来るはずがない
過去にそれに似たことで痛い目に合った
等々・・・出来ない理由がなぜかしみ込んでいるようなのです。
それと比較して子供たちは、転ぶと痛いという記憶がまだないか、楽しいことの方に意識をシフト出来ているという事なのでしょう。
何かあったら助けてくれる人がいるという安心感もあったと思います。
怖いもの知らずという言葉があるように、私たちは恐れさえなければ思うように、どんどん進んでいけるのだと思うのです。
恐れは、私たちを守るものでもありますが、私たちを縛り付けるものでもあります。

◆知っているけど知っているだけでとどまらせない
知っているけど上手に使えない時は、大なり小なり 恐れが潜んでいると思います。私の中に、前へ進むときに感じる怖さ、恐れがあるとしたらいったいどんなものがあるんだろう?」って考えてみてくださいね。
『あるとしたら?』の考え方で、何が私を進ませないんだろうって考えることで知っているけど実行に移せない理由を見つけて、頭の中にある知識を使えるようにしていきたいですね。
実行して、使って初めて癒しに繋がるのですよね。
知っているというだけで何もかわらないんです。
実行してみて初めて、腑に落ちるというあのストーーーーンとおさまるところにおさまると言いますか
何か開眼すると言いますか・・・
「そういうことか」

私もたくさんそういう経験をしてきました。
皆様にもそういう「そういうことか!」をいっぱい経験してほしいと思います。

生きとし生けるものが幸せでありますように。


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