同じ出来事も、罪悪感が無いとこんなにも違います
◆ビクッとする(罪悪感がある時)

昔々その昔
思春期の女の子と、罪悪感持ちの母親が暮らしておりました。
ずいぶん前なので、Lineというツールも、面白スタンプもなかったのですが
引きこもり中の娘から時々短いメールが届いたりしていました。
例えば
『お腹すいた』というメールが届いたとしましょう。
無価値感を主食に
罪悪感をおかずに
被害者意識を身にまとい、かわいそうなフリをすることでなんとか保っている私でしたので
娘からの『お腹すいたメール』は↓このような翻訳をしてしまう母でした。
「あなたのせいでこんな生活を強いられている私は 何も食べる資格が無いとでも言うのですか?」
めんどくさ~ぃ変換
とりあえず、メールの出だしは『ごめんなさい』で、どんな文言でも「ごめんなさい」から始まる返信でした。
いつも自分が悪かった、ごめんなさいというフリをして、結局娘を悪人にしていたんですね。
娘を責める人にしていたのですからね。これじゃあいつまでたっても関係性は良くなりませんよね?
でも、当時はそんな風にしか考えられなかったんです。
『ごめんなさい、すぐ帰って作るね』
『ごめんなさい。何か買って帰る、何が良い?』
引きこもっているとはいえ12・3歳の体も自由に動かせる女の子
冷蔵庫に何らかの食材も入っていようものなのに…当時の私の脳内には『出来ないあなた』がいて『一生懸命尽くす母』でいようとしていたみたいです。
それらに勝手に縛られて、苦しい…と泣いていたんです。
でも…
あの時は、誰に何を言われても、今のこの構図しかないと思っていましたし、この構図の中で楽になる方法は『彼女の変化』しかなくて、その変化というのは『いつもご機嫌でいてくれること』でしかなかったのです。
なので、いつもご機嫌とりのようなことばかりしていました。
ご機嫌とりというのは、相手にも通じるようで、愛されているとは感じられないようでした。
愛されていないと感じると、試し行動をしたくなります。
あの時は、保証行為のご機嫌とりをする親と試し行動の子供との「お試し」「さあこれをクリアしてみなさい」の連続でしたね。
そういった訳で、娘からのメールはとっても怖く、着信があれば怖くて見たくないと思う反面、すぐに見て、ちゃんとした答えを出して、ご機嫌を損ねないようにしなければいけない気持ちでいっぱいになっていたんです。今思い出すだけでも息が苦しくなるような日々でした。
「罪悪感だな…」そう気付いてからもなかなか「ごめんなさい」は取れなかったのですが、何だかもう、疲れ果てて…
「もう、最低な親だと思うならそう思ってくれても良い」って自分の未熟さを認めて、ある意味開き直り始めてから変化が起きてきました。
やれる範囲のことはやってきたという、未熟ながらもがんばってきた自分を自分で認めようと思ったんです。
「全然完璧では無かったけれど、それでも一生懸命やったじゃない。」
それを気に入らないというならそれでも良い!というくらいに思ったんですね。
私はできる範囲でできることをやってきたという事と、子供が「嫌だった」ということは別のもので、「嫌だった」「寂しかった」「こうして欲しかった」は「そうだったのね」「嫌だったのね」「辛かったのね」悪かったね。って思っても良いと思うんです。
子供の辛かった思いは受け止めます。その上で、そんなことしか出来なかった自分の未熟さも受け止めます。
その上で、「私はあの時の自分ができる精一杯をやってきたんだ」と言うことを自分に言い聞かせながら罪悪感にはまらないようにとしてきました、
そうやっていくうちに徐々に罪悪感は薄れていくのでした。
◆ニヤッとする(罪悪感がない時)
今ではあんなにビクビクしていた娘からのメール(Line)にニヤッとするようになったりするのです。人生は何とかしたいと思ったら何とかなるものです。






なんだかね
日々気分は上がったり下がったりもするし(気圧のせいかな?)お互いの状況は微妙に変化したりするんですけど、そのほとんどの感情は自分自身が責任を持って処理するものなんですよね。
私があなたの気分を上げたところで、あなたが私の機嫌をとってくれたところで、そんなものは一時的なものなんです。
自分の機嫌は自分で取れるようになっていくって、すごく大切なこと。
だからこそ、相手が機嫌悪そうにしていても、そこはちょっと様子を見ていることができるようになっていきたいですね。
そこには信頼が必要になってくるんです。
お互いに未熟なんだけど、お互いに日々成長していることを信頼し合いたいと思います。
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