「普通」は人それぞれ違うっていうお話しです
◆多くの場合はこうしますよね?
何か思うような結果にならなかった時に「普通〇〇するよね?」って思う事があります。こういう時に思う『普通』って何でしょうね?
今まで目にしてきたパターンの中で 一番多く見聞きしてきたものだったり、
幼いころ親から言われてその通りにしてきた習慣だったり
自分の知っている範囲の中での『あたりまえ』と思ってやってきたこと
という感じでしょうか?
●我が家の例
私がずっと不満だった事の1つに朝の挨拶がありました。我が家でなぜか私が「おはよう」と先に言って
子供がそれに反応して「ん!」とか「あぁ…」

そのとき私は思っていました。
『おはようって言ったら おはよう やろがーーーーーぁ!』
って。。。
でも当時は子ども達も不安定な時期で、本当に、事を荒立てたくないという思いが先行していた私です。
心の中では 何か違うよねと思いながら
「おはよう」「あぁ・・・」
をやっていました。
言いようのないストレスも感じていました。
ほんとに 毎朝、思っていましたよ。
『普通、あいさつは子供からするもんでしょ』って。
そう思いながら 逆のことをしているんですからそりゃ~ストレスですよ。
体現していることと思っている事のズレがストレスの量です。
普通の量が大きければストレスも大きくなるってもので…
普通
普通?
ふつう・・・ね。
普通って何なんでしょうね。
どちらから挨拶しても良いんですよね。
「おはよう」の代わりに「ああ」でも「ん」でも反応してることには間違いないんだから良いんですよ。
でも、
私の中では「おはよう」と言えば「おはよう」だったんですね。
自分がそうしてきたから、私の中では普通そうでしょ?になったんです。
当時、親としての自信がなかったから、子ども達からゾンザイに扱われているみたいで 辛かった・・・というだけの事なんですね。
理想は ↓これ( ・∇・)
私(母)の顔を見たら、キラキラした目で
「お母さんおはよう ニコニコ」

思春期の子がそんな挨拶してたら?
どこかで気を遣っているか、「やましい事あ?んか?」ですよね?
これもまた「普通は」でしょうか?
普通って、何かしら頭の中にありそうです。
あの時の私は、返事をして欲しいんじゃなくて、認めて欲しいって思ったんですね。
あの時は、お母さんと言う存在を 認めて欲しかっただけだったようです。
結局挨拶がどうなったかと言いますと、
私が「朝はおはようって言ってほしい」って伝えたら「あ、そうなん?」ってあっさりと朝の挨拶は復活いたしました。
「ま、私、血圧低いみたいやから機嫌の悪い時もあるけど、できるだけ返事するようにするわ」って。
して欲しい事は口に出すのが最短です。
相手がそれに従ってくれるかくれないかはまた別ものではありますが、言ってみないとわからない事が山ほどあるのが人同士なんですよね。
◆普通というのは多くの場合はこうでしょ?ということ?
普通って感覚は 「こう考えているのは私だけじゃないよね?」「多くの場合こう考えるよね?」って言いたい時使いたくなります。私の意見は過半数越えて 正しいのよって 言いたい時に使うように思いませんか?
本当に過半数なのでしょうか?
きっと自分の中で過半数なのです。
ですので
「普通○○だよね?」は
「私は○○と思って育ってきた」という意味なんです。
だって
私の血液型がA型で、日本では多いと言われていても
AB型の人に「うっそ~ 普通Aだよね?」とは言いませんよね?
「うっそー・ペットって普通犬か猫だよね」

とも言いませんよね?
「普通あいさつふるよね?」と思っていたから普通の事を普通にしてもらえない私は普通以下なんだ・・・
なんとなくそんな感覚が自分の中にあって、結局は自己価値の低さが「普通・・・」と思わせていたみたいです。
この世界に普通なんてそうそうあるものではないって思います。
自分独自のものばっかり転がっているんだと思います。
「私はこう思う」「あなたは?」
という、あれもこれもアリの感覚が必要なんだなぁ〜と思います。