我が家が一番荒れていて、暗雲立ち込め、エネルギーを根こそぎ抜かれるような家の中だったころのお話をします。
◆信じるものはだまされる的な怒り
一番ひどかった時期と言うのは、子ども達が思春期に入って、「私って何者?」という哲学に入り込んでいきかけている時です。今までのように、純真無垢で、ひたすら親を信じてくれていた頃とは違い、「思っていたんと違う…」が、親に対しても、この世界に対しても感じ始めた子供たち。
『アレ?』の時代に親なんて大したことないし、っていうか・・・
他の親よりうちの親ってひどいんじゃね?って感じ出すんですよね。
基本、《うちの親》は 《他の親》よりひどく見えます。
・・・・・・・
ポイント:【うちの親は他の親よりダメ親に見える理由】
他の親はあなたに ひどい姿を見せないようにしているからです。
だって、よその他人に良いところを見せようと頑張ってる姿、家の中でも見たことないですか?
一番わかりやすいのが電話。
電話がかかってくると「は~ぁい。○○でございますぅ」って
『誰やねんあんた?』っていうほど余所行きの声してませんか?親って。
《余所行き》っていう言葉もあるくらいですから、内と外では違うんですね。
その、余所行きの他人の親と、油断しまくりのうちの親を比べれば
そりゃ~「いいわね、○○ちゃんのお母さん。優しくて」になりますね。
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さて、本題に戻ります。
親に裏切られたと思った子供たちはそれぞれ、自分の居場所を探してうろうろするんですね。
ココロがうろうろするんですね。
『信じるものは騙される』みたいな出来事も思い出すので、おいそれと人を信用しなくなるし、完璧な人を求めてさまよいます。
一点の曇りもなく信用に値する人を信仰しようとします・・・でもそんなものいませんから、作られた完璧…例えばアイドルとかを信仰し始めます。
アイドルは、よっぽどのスキャンダルが無い限り、イメージ作りのプロですから、良いところしか見ないで済むのですよね。
余所行きの他人さんの親は良いところだけを見せてくれます。その もっとプロフェッショナルバージョンがアイドルですね。
そんなアイドルが家の中にいるはずもなく
(アイドルも、家の中では普通の人だと思うけど)
無防備にしていたら、だまされたり、ひどい目に合うんだわ!って思っていると表情豊かにはできませんね。
一歩外に出ると、『私』もやっぱり余所行き顔をしてしまうものですから(だって、嫌われたくないし、穏便に過ごしたいじゃないですか)
つかれちゃって、家に帰ってまで、そんな余所行き顔出来ません!
ですよね(^_^)
◆不機嫌に装った方が得な気がする。
上機嫌でいると損する気がする。
余所行き顔しなくて済むのは、どんな顔しても、どんな悪い態度であっても『私は嫌われない』と思える場所だからなんですよね。・・・・・・・・・・
ポイント:私は嫌われない。絶対この子達は私を嫌いにならないと思う事で、親って子供に結構酷いことを言っていたりします。
時々、すんごい形相で子供を叱り付ける親御さんを見ますが
そういう、子供が与えてくれている愛に甘えている事から出来るんですね。
まぁ、私もそんな甘えた親でしたが…。
それくらい子供の愛は凄いのです。 その愛にあぐらをかいてしまうのが困ったタイプの親です。
そういう、子供が与えてくれている愛に甘えている事から出来るんですね。
まぁ、私もそんな甘えた親でしたが…。
それくらい子供の愛は凄いのです。 その愛にあぐらをかいてしまうのが困ったタイプの親です。
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親と、子供の逆転の時期というものがあります。
思春期に、親を疑い始める頃から、子供が親に、他では見せないような形相で攻撃してくるんです。
良い事ですね。
親の愛を信じて疑わないのですから…と思えるk思えないかが分かれ道なのですが、多くの場合は思えませんね。
オロオロするし、「親に対して何て言う口のきき方!」と怒ってみたり、困ってみたり、脅したりすかしたり、いろんなことをして元のいい子になりようにコントロールしようとしますが、思春期の子供はそう簡単にはいきません!
子供の周りをなす術もなくウロウロしだす親に『この手があったか!』と、不機嫌で周りをコントロールする事をこの時子供は知ったりもします。
今まで不機嫌な親に気を使って頑張ってきた子供ほど、不機嫌を使って親をコントロールしようとします。
親が教えてきたんです。
親を見て、「あぁ、こうすれば周りが気遣って、思い通りになるんだ」と思います。
なぜなら
自分が子供の頃、親の不機嫌を 何とかしようと一生懸命頑張って来たんですもの「今度はお前(親)が気ぃ使えや!」と思ったとしても、不思議では無いですよね(^_^)
◆不機嫌でいる事のメリット・デメリット知って
好きな方を選べば良いですよ。
不機嫌は、心の癖です。愛され方、構ってもらい方を、そういう様にしか教えてもらっていないという事が大きい場合があります。
不機嫌にもメリット・デメリットがあると思います。
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ポイント:
【不機嫌のメリット】頑張って周りに気を使わなくても済む。周りが勝手に動いてくれるので楽して得を取れる。人が近づきにくい雰囲気を出しているので、自分の思い通りの(人に左右されない)行動がとれる。
【不機嫌のデメリット】自分の周りがどんどん暗くなっている。勝手に詮索されてウザい。孤独になる。一人で頑張っているような、誰も助けてくれないような追い込まれた気持ちになりやすい。
【不機嫌のデメリット】自分の周りがどんどん暗くなっている。勝手に詮索されてウザい。孤独になる。一人で頑張っているような、誰も助けてくれないような追い込まれた気持ちになりやすい。
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私は、どちらかというと一人の時間を大切にしたいタイプなので、キャッキャ、キャッキャした状態ばかりが素晴らしいとは思っていません。
孤独が好きだったり、「この不機嫌を我慢したくないから好きな様に振る舞うわ。」 というかたもいて当然だと思っています。
ですので、
不機嫌でいる事のメリット・デメリットを比較して
自分の居心地の良いところにいれば良いよね?って思っています。
◆私がどんな世界に住みたいか
私が作りたい世界はどの様なものかという事を知るというのが大切です。それはどんな世界であっても、あなたが作りたい世界はあなたに与えられるものなのです。
今いる世界は、私たちの世界観の表れなのだと思います。
今までひとつひとつ、選んできた結果がココにあると言われるのは『こうなりたいと思うけれどもうまく進まなかった』
とか『何になりたいかを考えらえないほど大変な状態だった』・・・等々んp理由はあるにしても、今この状態は、私たち一人ひとりの意識が作っていると言われるのです。
なので、自分自身がどういう世界に住みたいかをまず、理解、自覚することから始めてもいいかな?と思います。
そして、その世界観が、明るく自由で、楽しいものを選んだのであれば、周りもそういう世界観の人たちが集まってくるものです。
言い換えれば、自分が望む世界があるかも知れない、そんな空間に自ら近づいていくのが近道だとも思います。
そんな空気が来てくれるのを待っているよりも、自分から行くというのが必要だと感じます。
◆そうは言っても勇気が要るから動けない私をどうやって変えていくのですか?
怖がっているのは、私だけだと思っていると、勇気が出ません。他の人がにこにこと自由に楽しそうにご機嫌でいるのは、他の人たちみんなが何の努力もなく、そうしているのだと思うから
自分が努力をしようとか、ココをエイッと乗り越えようとかを思いにくくなっているのだと思いますよ。
もともと陽気に見える人も、すぐに人となじめるように見えるる人も、上機嫌でいられるように努力を重ね、今の感じを養ってきたのかも知れませんよね?
その人が、その世界観に居たい、作りたいと思って一歩踏み出して、結果、明るくて陽気で、みんなが良い気持ちでいられる世界で にこにこ出来ているのだと思えばどうでしょう?
ただただあこがれて自分とは違う世界だと遠目に していたり、「あの人は 恵まれているな」というような、自分は恵まれていないという感情に入ってしまう時は、きっと、不機嫌な世界よりも上機嫌な世界の方が好きなんだと思います。
不機嫌な世界観が好ましいのであれば、上機嫌な世界観は気にもならないものだと思うからです。
自分が選んで不機嫌に居るならば、上機嫌でいる人たちを羨ましいとも思わないし、批判したい気持ちにもならないでしょうからね。
不機嫌、上機嫌は自分で選べると思います。
どちらの世界に行きたいか、居続けたいかは私たちの心と、勇気「あの世界に行きたい」という、ちょっとした決断の力と、怖さとの戦いなのでしょうね。
楽しいことって自分から向かっていった方が 良いですね。
待っている時の100倍 見つかりますし、楽しめますからね。
不機嫌・上機嫌は あなたの選択で良いのだと思います。