アメブロ・イキイキハッピーライフ

に投稿いたしました♪

       


私の以前の職場は

定年退職後の再就職者も多かったので

そこそこの年齢の《おじさま》がたくさんいらっしゃいました。


その《おじさま》たちの話題は

もっぱら

 「嫁に頭上がらん」

話しで

その中には、本当に償いの日々を送っているような
笑えない事情のおじさまもいますが

なんだかんだ言いながら

奥様が大切だから そうやって

座布団の下に敷かれても
怖い怖いと言いながら

「今から帰る」コールをして
奥様の指示した買い物をして

なんだか

はた目には幸せそうに帰宅されます。

そんな《嫁コワイ》オジサマのほとんどは
奥様が大好きで

嫁怖いと言っている自分も大好きなおじさまが多いように思います。

長年生きてきますとね
色んな修羅場も経験したり

武勇伝にもならない様な
数々の失敗談、持ちネタがあるわけなんです。

そんな、叩けば埃の出る、、、
叩けば埃しか出ない自分に
ここまで一緒に来てくれた奥様を

リスペクトしている《おじさま》達ですから

頭が上がらないし
頭が上がらない自分も大好きなワケです。

どれほど嫁に虐げられているか自慢に花が咲いていて

一見愚痴の言い合いなんですけど
実はノロケなんですね。

実際の奥様がどう思われているかは不明ですが 

おじさま達は案外喜んでいたりする様です。

そんなおじさま達を見ているの で

同じ行動をしているにもかかわらず
行動動機が違うと

心の負担や、苛立ちという

受ける感情の中身や大きさが変わってきたりもする様ですね。


罪悪感が強く、懺悔や償いの動機から行動すると

不満がいっぱい溜まってくるし

惨めにも感じたりするので距離を取りたくなったり

その人からどう思われているのかが気になって
ビクビクしてしまう様なのです。

評価がなければ不安になるというのも

補償行為と言われる

自分が悪いから、気に入られる様に何かしなくちゃ

という心理状態を作ってしまうのですね。

これに反して
愛からの行動は

自分がやりたいからやっている

愛からの行動になりますからね。

相手が喜んでくれなくても
それほど落ち込まなくても良いんですよね。

やり方が違ったんだなって、思いやすくなるはずなんですね。

じゃぁ次は何をして喜ばせよう
という発想にもなりやすいと思うんです。

ごめんなさいの気持ちが少ないと

自分が罰せられるという発想が出てこないので

自分が悪いから喜んでくれないのではなくて
やり方が違っただけなんだよね。


だって

大好きなあの人がは
私を罰する人ではないんだもの。

そうなんです

大好きな人を
私を罰する人にしているのは私なのですね。


相手を、愛の少ない人として見ない
という事も

愛からの物事の見方と言えるのだと思います。