日常生活で、私の周りだけ どうしようもない人が集まってくるように感じるとおっしゃる方がいらっしゃいます。
「どうしようもない」というのは、「迷惑な人」だというのです。
自分にかかる迷惑だけではなく、周りに対しての迷惑をかけるような人が集まってくるというのです。
そういう方に限って「私はこんなに迷惑かけないように気を使っているのに…」と思っているんですね。
「私は…迷惑をかけないように…」なのに、あの人は…という感覚になるというんですね。
電車待ちや、改札で割り込んできたり、こちらの好意をさも当たり前のような態度でやり過ごされたり
人の迷惑顧みないという困った人によく出くわすと言います。
どうしてこんな人ばかり なの?
これは私の何かの因縁 なの?
どうしてこんなにも傍迷惑な人ばかりが私の周りに集まるの?
それは、意識した方向、物が目に入りやすいという心理状態が起因していることがあると思います。
例えば、私が車を買おうと思って青い軽自動車が良いと思った瞬間から
巷には青い軽自動車ばかりの様に見えてきた事がありました。
今までは意識した事もなかったのに、意識に上った途端、世の中に青い車が増えるんです。
そして、「青い軽自動車が多い」という自分の中に出来上がった定説に合う様な物の見方、探し方をする様なのです。
《カラーバス効果》といいます。
気になるものを無意識に探すみたいなことをしがちなんですね。
この世界には無限にいろんなものがあるんですけど、気になるものに意識がいくので、それ以外のものは無視しちゃうんですね。
いったん「なんだよ、意地悪な人が多いんじゃない?」って思い始めると、優しくされた出来事より意地悪された出来事の方を覚えようとするんですね。
《カクテルパーティ効果》というものもあります。
カクテルパーティー効果は、パーティのような人がザワザワしているような中でも自分の名前を呼ばれるとすごくよく聞こえるというような意味合いのことなんですけど…
ちょっと意地悪なことを言っている人がいて、そういうのも聞き逃さなくなっているということもあるんです。
やだな〜って思うのに、意識しすぎて聞こえてしまうなんて…ちょっと辛いですね。
心の作用としては、こういうことがありますよ、という事を知っておいて頂くと
「今の私は嫌な人探しをしてはいないかな?」という見方ができる様になると思います。
そうすると、嫌な人もいるけれど、良い人もいるよね?という様に、《嫌な人以外》という、心の中に新しいカテゴリーが出来るのですね。
さっきの私の青い車探しのお話しでいいますと、青い車が走っていることは確認しながらも、意識を『赤い車はどうだろう?』という見方に、あえて持っていくのです。
車の販売台数は、白と黒が多いと聞きます。なので、青や赤はたまに見る色のはずなんです。
態度の悪いひと、迷惑きわまりない人もいるけれど、それ以外の人の方が確率的には多いはずなんですね。白と黒の車状態の人です。
それ以外のと言うのは、良くも悪くもない人の事なんですけど、その中に数パーセントの特別な感情を持たせる人がいて、今は、困った人意識が向いていて、困った人が多い様に感じているとしたら、あえて良い人探しをしてみるというのもオススメです。
これは、まるでゲームのように意識して探さないと出来ませんが、やっているとどんどん慣れてくるものなのですよ。
さて、ではなぜこのように「迷惑かける人を意識しすぎて」常にイライラさせられて、時には睨み返したり、言い返したりするほどの不快な状況に置かれてしまうのかという事を考えていきましょう。
人は「やっぱりね」と思うような心の状況に現実を合わせようとすると言われているんです。
この考え方を元にしていくと、心の中で、自分自身が大切に扱われていないと思った経験や、自由な発想、楽しい事を押さえつけられて辛かった過去はありませんでしょうか?
本来の自分は、天真爛漫で自由な心の持ち主さんであればあるほど、そこをグッと我慢=抑圧していると、極端な現象として目の前で見せつけられたりしますからね。
割り込みという行動の迷惑行為にイライラするときなどは、自分の存在を無視、もしくは軽く扱うという象徴にように感じるんですよね。
イライラする、怒りが治らないというような事が起きる度に、過去の何かしらの痛みが上がってきているのかな?と思ってみると、何か思い当たることがあるかもしれませんね。
例えば割り込みなどを注意したりきつい視線を送ったときに、「ちっ」と舌打ちしたり、睨み返すと逆ギレされるのは、相手側の罪悪感(自分が悪いという感情)を刺激したかもしれないんですね。
逆ギレする人ほど、実は自分が良くない事をしていると知っていると思います。
なので、逆ギレは注意した人に対してというよりは、自分の悪さが見つかったという相手側の焦りだと思えるようになると良いですね。
そうすると、こっち側としてはちょっとは楽になりますね。
逆ギレも、素行の悪い人がいっぱい集まってくるように感じてしまうのも、人の事を放置しておけないという、その人の愛の部分かなぁ?と思います。
このままではロクな世界にはならないとか、自分以外に傷つけられるひとがいるかも知れないというような、改善しようという気持ちが大きい方のように感じました。
愛を大切にする人であると、周りの人の愛の無い行動が嫌で嫌で、辛くて仕方がなくなるのだと思います。
なので、その辛さを軽減させるためにも「青い車も走っているけれど、赤い車もあるよね。」という感覚になれることが良いのかな?と思います。
それともう一つは…
人は何かの理由があってその行動を起こしている。ということです。
最初から悪い人はいないんですね。
何かで、こうなったんですよね。
元々は愛で、その愛が思うように伝わらなかったか、受け取りきれなかったんですよ。
ちょっと切ないんです。
意地悪している人も、割り込みする人も、「チッ」って舌打ちする人も、睨む人も、ちょっと切ないんです。

ここにもう一つ付け加えるならば、『私は悪くない』と思うようにしましょうね。ということです。
私は悪くない、からといって他の人が悪いのでは無く、単純に「私は悪くない」で良いんです。
どこかに『私が良くないからこういう目に合うんだ』という気持ちがあると、起きている出来事が事実よりも数倍の悪意を感じる と思うのです。
なので、私のせいでこの物事が起きているえあけではないと 確認しておくのも大切なのだと思います。


