年始の挨拶に実家に帰ってきました。
独り暮らしでも気丈な母です。
相変わらず
『俺様』 っぷりを発揮していましたが
母は母でなんとかコミュニケーションを取ろうと頑張っていました。
悪気はないのですけど
自分が一番偉く、強く、素晴らしいと思っていてほしい。
そうであるべきだ。
というところがあって
私は幼い頃から
その期待に応えようとしていたところがあったのだなぁ・・・ということを
再確認しました。
客観的に見れるようになって
実家なのに帰るのが息苦しかった理由が見えると
相手は変わっていないのに
自分にのしかかる重圧みたいなものが軽くなっていくような気になったりしますね。
ずっと子供で
頼りなくて
あなたがいないと生きていけないの。
というスタンスが身に付いてしまっていた私は
いつまでも大人になりにくく
子供のままで問題を切り抜けるといいますか
問題を誰かに代わって解決してもらおうと
してしまいがちになっていたと反省します。
このパターンは
社会に出た時も
目上の女性(それが年下でも立場的に上だと私が思った人)には
表面的にはわからないけれど、心の奥底のほうで
ひれ伏す
下に入る
ということをしてしまうものなのです。
子供のころに身に付けたパターンというのは
本当に怖いものですね。
大人になれていないということで
いろんなところで支障が出ていたようです。
本当にあらゆる所で、です。
その一つに
子供だから稼げない
という無意識も働いていたようにも思います。
とはいえ、
20年間二人の子供を養って来たのですから
全く稼げないわけではなかったのですが
もっと優雅な暮らしをしても良かったはずなんです。
いつもかつかつで
裕福という感じではなかったように思います。
でも、当時の私は、子どもの心を持ったまま働いているのですから
この状況はなかなか大変だったと思うのですが
仕事という面では嫌な思いはしたことがあまりないのが不思議です。
苦しいことや、嫌なことはしたくない
という気持ちのままに
楽なこと、好きなことしかしなかったんです。
早い話
面倒なことを避けて生きて来た
と言えるのでしょうね。
それでも暮らせていたので
幸せなことには間違いはなかったと思うのですが・・・
でも何処かで被害者意識がいつもあって
誰かに助けてもらいたいと、いつも思っていました。
助けてもらうには下に入り込まないといけないと思っていたかもしれません。
なので
自活できるというところまで止まりで
豊かというまでは届いていませんでした。
豊かになってしまったら
助けてもらえないとおもっていたのでしょうか?
今思い返すと
子どもが自活するだけでも精一杯。
豊かさまでは望めなかったんだな・・・と思います。
誰かのために苦しいことも耐えるという
大人の考えがなかったのかも知れません。
自分が楽しい
自分が優先
そんな考えがわいてきます。
そういう、年相応ではない
何かと弱々しさ、頼りなさ、出来ていない感じを出していたり
守ってもらいたがっていたようにも思えます。
そういう部分は、無意識でやっているものではありながらも
何処かで自分は卑怯者であり
不完全である。
という感覚が抜けられなかったので
人様からの
「よく頑張ってきたね」という言葉を全く受け取れなかったのかもしれません。
頑張ったのは頑張ったのですが
子どもが大人のなかに混じって
フルマラソンをしていたような感覚で
それも
途中、バテて
救護車に乗せてもらって
ゴール手前位まで送ってもらってゴールインしたのに
「よく頑張ってきたね」と言われて
ものすごいズルをしたのに…
と思っている
そんな感じでした。
ハンデキャップを振りかざしていたという感覚がしていました。
そのハンデキャップが
母子家庭であるという なんかこう・・・
『かわいそう』を逆手に取っている感じがします。
『かわいそう』だから、ちょっとくらいずるをしてもいいでしょ?
だって私は 女手一つで頑張っているかわいそうな女なんだもの。
っていう魂胆があって
それが気持ち悪さに繋がっていて
中途半端な私でした。
そこを責めるのは簡単だけど
そうなるには
そうなるだけの理由があるのだとおもいます。
自分にも、そうなる理由があったと理解をすることで
母親に対しても同じように理解しようという気持ちになったりもするものなのだと思います。

実家に滞在している間は
それなりに気を使ったりしたので少し疲れました。
80過ぎて
十分すぎるくらい頑張ってきた母に
今さら考え方を変えてくださいとは言えないような気もしましたし
変わる必要もないのかな?と思いましたからね。
こちらの感覚で
また、子供に返るパターンを繰り返さないように
その部分にちょっと注意を払いながら接していました。
そのためにも
私から母へのお年玉は絶対必要な儀式なのです。
母にお年玉を渡すためだけに帰っているようなものなのです。
親子が ちゃんと逆転しているのですよ、
私は子ども扱いされなくても大丈夫なのですよ。
という証明をしに帰っています。
それをしないといけないような状況が
まだ、そこにあると、私には感じられて
気を抜くと
すぐに、
親の庇護のもとに入ってしまいそうになる自分がいて
実は、すごく怖かったりもしています。
それくらい母のパワーはすごいので
離れるためには
同じくらいのパワーを、こちらも持たなければ…と力が入ってしまうのをかんじます。
もし、
私と同じような、親から離れられない
子ども扱いされてコントロールされると感じてしまわれる方は
親にお年玉をあげるということから始めてみてもいいと思います。
お年玉を
子どもが親に渡すというのは
ある意味
線引きの儀式だと、私は思っていたりするのです。
この逆で
親から資金援助を強要される方も
お年玉を渡すけれど、それ以外のことは
できないことは出来ないとしっかり線引きするための儀式にしてみても良いかも知れません
親子はどこかで線引きをしないと
いつかどこかで恨みつらみになっていくことが多いものだと思います。
親子でありながらも
愛はあるけれど
私は私
あなたはあなた
という
境目は必要だと思うのです。

実家近くの山にある木々、落ち葉、張り巡らした根っこや
揺れる木漏れ日に包まれ癒されて
エネルギーチャージしてきました。
独り暮らしでも気丈な母です。
相変わらず
『俺様』 っぷりを発揮していましたが
母は母でなんとかコミュニケーションを取ろうと頑張っていました。
悪気はないのですけど
自分が一番偉く、強く、素晴らしいと思っていてほしい。
そうであるべきだ。
というところがあって
私は幼い頃から
その期待に応えようとしていたところがあったのだなぁ・・・ということを
再確認しました。
客観的に見れるようになって
実家なのに帰るのが息苦しかった理由が見えると
相手は変わっていないのに
自分にのしかかる重圧みたいなものが軽くなっていくような気になったりしますね。
ずっと子供で
頼りなくて
あなたがいないと生きていけないの。
というスタンスが身に付いてしまっていた私は
いつまでも大人になりにくく
子供のままで問題を切り抜けるといいますか
問題を誰かに代わって解決してもらおうと
してしまいがちになっていたと反省します。
このパターンは
社会に出た時も
目上の女性(それが年下でも立場的に上だと私が思った人)には
表面的にはわからないけれど、心の奥底のほうで
ひれ伏す
下に入る
ということをしてしまうものなのです。
子供のころに身に付けたパターンというのは
本当に怖いものですね。
大人になれていないということで
いろんなところで支障が出ていたようです。
本当にあらゆる所で、です。
その一つに
子供だから稼げない
という無意識も働いていたようにも思います。
とはいえ、
20年間二人の子供を養って来たのですから
全く稼げないわけではなかったのですが
もっと優雅な暮らしをしても良かったはずなんです。
いつもかつかつで
裕福という感じではなかったように思います。
でも、当時の私は、子どもの心を持ったまま働いているのですから
この状況はなかなか大変だったと思うのですが
仕事という面では嫌な思いはしたことがあまりないのが不思議です。
苦しいことや、嫌なことはしたくない
という気持ちのままに
楽なこと、好きなことしかしなかったんです。
早い話
面倒なことを避けて生きて来た
と言えるのでしょうね。
それでも暮らせていたので
幸せなことには間違いはなかったと思うのですが・・・
でも何処かで被害者意識がいつもあって
誰かに助けてもらいたいと、いつも思っていました。
助けてもらうには下に入り込まないといけないと思っていたかもしれません。
なので
自活できるというところまで止まりで
豊かというまでは届いていませんでした。
豊かになってしまったら
助けてもらえないとおもっていたのでしょうか?
今思い返すと
子どもが自活するだけでも精一杯。
豊かさまでは望めなかったんだな・・・と思います。
誰かのために苦しいことも耐えるという
大人の考えがなかったのかも知れません。
自分が楽しい
自分が優先
そんな考えがわいてきます。
そういう、年相応ではない
何かと弱々しさ、頼りなさ、出来ていない感じを出していたり
守ってもらいたがっていたようにも思えます。
そういう部分は、無意識でやっているものではありながらも
何処かで自分は卑怯者であり
不完全である。
という感覚が抜けられなかったので
人様からの
「よく頑張ってきたね」という言葉を全く受け取れなかったのかもしれません。
頑張ったのは頑張ったのですが
子どもが大人のなかに混じって
フルマラソンをしていたような感覚で
それも
途中、バテて
救護車に乗せてもらって
ゴール手前位まで送ってもらってゴールインしたのに
「よく頑張ってきたね」と言われて
ものすごいズルをしたのに…
と思っている
そんな感じでした。
ハンデキャップを振りかざしていたという感覚がしていました。
そのハンデキャップが
母子家庭であるという なんかこう・・・
『かわいそう』を逆手に取っている感じがします。
『かわいそう』だから、ちょっとくらいずるをしてもいいでしょ?
だって私は 女手一つで頑張っているかわいそうな女なんだもの。
っていう魂胆があって
それが気持ち悪さに繋がっていて
中途半端な私でした。
そこを責めるのは簡単だけど
そうなるには
そうなるだけの理由があるのだとおもいます。
自分にも、そうなる理由があったと理解をすることで
母親に対しても同じように理解しようという気持ちになったりもするものなのだと思います。

実家に滞在している間は
それなりに気を使ったりしたので少し疲れました。
80過ぎて
十分すぎるくらい頑張ってきた母に
今さら考え方を変えてくださいとは言えないような気もしましたし
変わる必要もないのかな?と思いましたからね。
こちらの感覚で
また、子供に返るパターンを繰り返さないように
その部分にちょっと注意を払いながら接していました。
そのためにも
私から母へのお年玉は絶対必要な儀式なのです。
母にお年玉を渡すためだけに帰っているようなものなのです。
親子が ちゃんと逆転しているのですよ、
私は子ども扱いされなくても大丈夫なのですよ。
という証明をしに帰っています。
それをしないといけないような状況が
まだ、そこにあると、私には感じられて
気を抜くと
すぐに、
親の庇護のもとに入ってしまいそうになる自分がいて
実は、すごく怖かったりもしています。
それくらい母のパワーはすごいので
離れるためには
同じくらいのパワーを、こちらも持たなければ…と力が入ってしまうのをかんじます。
もし、
私と同じような、親から離れられない
子ども扱いされてコントロールされると感じてしまわれる方は
親にお年玉をあげるということから始めてみてもいいと思います。
お年玉を
子どもが親に渡すというのは
ある意味
線引きの儀式だと、私は思っていたりするのです。
この逆で
親から資金援助を強要される方も
お年玉を渡すけれど、それ以外のことは
できないことは出来ないとしっかり線引きするための儀式にしてみても良いかも知れません
親子はどこかで線引きをしないと
いつかどこかで恨みつらみになっていくことが多いものだと思います。
親子でありながらも
愛はあるけれど
私は私
あなたはあなた
という
境目は必要だと思うのです。

実家近くの山にある木々、落ち葉、張り巡らした根っこや
揺れる木漏れ日に包まれ癒されて
エネルギーチャージしてきました。