昨日の続きです。

私が、この世に持ってきた才能というものがあったとして

それを使って誰かを助けようとしたかったとして

それは
実際に有るとか無いとか
スピリチュアル的な発想の好き嫌いは置いといて
もしあったとしたら

私の才能『生きる』ことであり
『生きている』ことで誰かを助けているのだとしたら

何故
私の回りに『死』がいつもあったのだろう?と思うのです。

多分、母が持っていただろう
「何故死ぬの?」
生きて行くってそんなに難しい事なの?
これは
死と向き合った人でないとなかなかわからない感覚だと思います。

生きているのが当たり前で
何年かに一度、親戚のお葬儀に参列するとか
そういう機会に人の寿命等を実感したり
そっか…
っていう感覚を持たれるかたも多いのかも知れません。

私は
幼い頃から『生きているってどういう事なの?』
という思いがずっとありました。

幼少期に持っていたこの感覚は
私が胎内にいたとき母親が持っていた感情だと思うのです。

なので、幼いころの
生きているということへの不思議な感覚は
母の感情を拾っていたと思われます。

「死なないでね」という思い…願い…祈りのようなものです。

流産、死産を繰り返した母にとって
無事に生まれてくるまでは本当に不安だったと思います。

それから私は
思春期に連続して友人を事故で亡くすという経験をしました。

以前にも書きましたが
三人いつも一緒に登下校していた同級生の友人を相次いで亡くし
私一人になったという経験をしました

中学三年の冬
当時の暖房は、ほとんどの家では練炭火鉢か、石油ストーブでした。
受験勉強中の女の友人が

暖を取っていた練炭で事故死

翌年、男子の友人が
バイクの事故で亡くなってしまいました。

そして私は
その時私は心無い上級生の男の子から
「あと一人」コールを受けながら通学しました。

面白そうにはやし立てる男のこの声が
今でも当時のままに聞こえてきそうなほどですが

漠然と
『友達二人が次々と亡くなって、なぜ私はここで生きているんだろう?』
と考えながら通学していました。

その経験は、生きているってどういう事なの?
を強くしました。

何の前触れもなく
昨日は一緒に笑っていたのに、人は突然死んでしまうことがあるのだと思いました。

その後、

人とものすごく親密になることを
徹底的に避けました。

怖かったのだと思います。

怖かったのだけど、
死に対する興味はどんどん深まって行ったのだと思われます。

見てはいけない
考えてはいけない

というような
禁止されたものほど興味がわくという
心理状態です。

それからも離婚という経験で
ものすごく『死にたい』という衝動にかられ
ものすごく単純な発想で富士の樹海に一人で向かいました。

その時子どものことや、両親のことは頭にありませんでした。

私にとって
長年興味があった『死』に向き合う理由が転がり込んできたのです。

そういう感じがします、今思えば。

生きて向き合う親、子供よりも
意識が『死』に向いていた…
という感じがします。

ひどい話ですけれどね。

「死にたい』とは言えないので
「気分転換に富士山見てくる」と言って
形だけの荷物を持って実家に子どもを残して電車に乗りました。

離婚直前だったために
もと夫の「俺の金使って旅行に行く」という言葉と
母親のなんとも言えない表情が思い浮かびます。

ところが
持って生まれた才能が
私をそう簡単に死なせてはくれませんでした。

・・・続きます

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