私たちは、どうしても期待をしてしまう様なのです。
適度な大きさの期待なら
「○○出来たらいいね」
「○○だったら 嬉しい」
と、ワクワクもするのでしょうけれど
過度の期待というものを持ってしまうと
「○○でなければならない」
「○○するべきだ」
「○○してくれるはず」 という それ以外の選択肢がないような感じになっていたりするもののようです。
人生で『不幸だ』と感じる時の一つに《選択肢が無い》という事があります。
私たちは選択肢が多いほど煮詰まらないのだと思います。
(多すぎる選択肢は、それはそれで決められないという悩みにもなりますが…)
この選択肢が限られている「べき」という感覚は、幼いころにつけてしまった 心の傷と言うものが関係している事が多いようです。
幼い頃は一人では何も出来ないので誰かに頼るという事で生きています。
みんなそこから始まります。依存時代と呼びます。
対して、その依存である幼子を支えていく親や大人達は自立側と呼びます。
依存と言われる時代に 自立側の人に抱いた期待 『きっと ○○してくれるはず』 が思うように叶えられず 傷ついていくという事があちらこちらで起きます。
期待しては裏切られる…
なので 期待の底には傷ついた心が潜んでいると言っても良いと思います。
依存の時代に、期待したから、期待通りじゃなかったから 傷ついたのなら もう、頼ってやるもんか!と自立を始めるというのです。
そこで身に付けた方法が 今のあなたの『べき』であり法則となって傷付いたあなたを守ってきてくれたのです。
自分が傷つかないためのいろんな方法、法則だったはずです。
それが「こうすれば幸せになれるはず」という自分なりの法則になっていくのですね。
期待の始まりです。
期待の辛いところは 、恋愛ならば 「愛してくれて当たり前 」「欲しいものを与えてくれて当たり前」という《当たり前》という気持ちになっているので 、手に入ったとしても当たり前なので すごくうれしいという感覚とはちょっと遠くなってしまう様なのです。
仕事という場面では「上司が私にもっと丁寧に仕事を教えてくれるはず。 」という期待もあれば、「部下が自分の思うとおりに動いてくれて当然 」という自立側が感じる期待もあります。
みんな ちゃんと ○○するべきよ。 という感じでしょうか。
私が時々テーマとしている《不登校》というものにしても
「子どもは学校に行くべきだ。 」
「この進路は子供を幸せにするはずだ。 」
「こんなに手助けしているのだから きっと子供は理解してくれるはず。 」
と言った親が子供にかける期待があれば
「学校関係者はもっと生徒ひとりひとりに意識を向けなければいけない」
という、守るべきものへの 『こうあるべき』等々 いろんな場面で期待というものは持ちます。
期待が良い、悪いということではなくて 、そう思ってしまうものだと、まずは理解していく事が大切だと思います。
「期待してはいけない!」も『べき』です。
「人は依存の時に期待しすぎたことで傷つきやすくて、その傷を守るために『べき』を作って、その『べき』で選択肢ぬ減っているんだ…ふぅ〜ん」と、一旦受け入れる事が次なら進むコツなんです。
「じゃあどうすれば良い?どうすれば私の中の『べき』は減る?」
という感覚になったらもう…進んでいます。
さて、次です。
期待はしてしまうよね…を受け入れられたら、人への過度な期待をしていないか?を自分でチェックする事も出来ます。
人に対する期待はまだ気づきやすいのですが
自分自身に対しても 過度の期待というものを持つこともあります 。
コレが次の課題になります。
「自分はもっと出来るはず。 」
「期待に応えなければ。 」
「こんなはずではなかった・・・ 」
これを続けていくと 燃え尽きます。
期待に応えられない自分ばかりが見えてきて 、じゅうぶん出来ているのに まだまだダメだと思い、今を認めることが出来なくなって 無価値感を抱いてしまいます。
逆に 「こんなにすごいんだぞ!」と周りにふれ回りたくなってしまう 事もあるのですが、これも無価値からくる感覚なのです。
自分に対する期待が過度になりすぎると、適度な自分の能力が見えなくなってしまうようなのです。
そして 自分に期待をかけて、頑張りすぎると 周りにも同じように 頑張ることを強要してしまうこともあるようで 、周りにいる人もしんどくなってしまったりするのです。
そして、一人、一人…と、離れていく事になりそうです。
こういう時には 《手放し》と《目標設定》をしていくことがポイントになるだろうと思います。
「こうすればきっと幸せになるはず」 という考えを《手放し》て 、新しい《目標設定》をしていくということなんです。
初めにも書きましたが、 期待をしてしまう心のどこかには 「このやり方でないとだめだ」というものをもっています。
その方法は、人それぞれなのですが 自分が幼いころに、 傷つかないようにやってきた方法です。
親が子供に期待をするのと同じように
「こんなに我慢しているのだから きっと ○○してくれるはず」
という《我慢》という、押し殺して抑圧して、耐えている ちょっとしんどい感情が奥に潜んでいるということがあります。
期待の分量は 我慢の分量なのかな?と、私は思っています。
過度の期待の奥には 過度の我慢があるというように 思います。
そういうものを手放すのは とっても怖い感覚になります。
とっても難しく感じられます。
何度も何度も意識して手放そうとしないと すぐに昔の成功法則にすがってしまう私がいましたから、私の経験からも、そんなに容易いものでは無いのはわかります。
一人ではなかなかできないことも多いと思います。 そんな時 私たちカウンセラーを頼ってみてくださいね。
私たちも 同じように悩み、そこを通り抜けてきたり もしかしたら 今もその部分で(手放すという事)もがき中なのかもしれません。 それほど 昔の傷つかないために作った法則は 自分にとっては大切なものだったのですよね。
適度な大きさの期待なら
「○○出来たらいいね」
「○○だったら 嬉しい」
と、ワクワクもするのでしょうけれど
過度の期待というものを持ってしまうと
「○○でなければならない」
「○○するべきだ」
「○○してくれるはず」 という それ以外の選択肢がないような感じになっていたりするもののようです。
人生で『不幸だ』と感じる時の一つに《選択肢が無い》という事があります。
私たちは選択肢が多いほど煮詰まらないのだと思います。
(多すぎる選択肢は、それはそれで決められないという悩みにもなりますが…)
この選択肢が限られている「べき」という感覚は、幼いころにつけてしまった 心の傷と言うものが関係している事が多いようです。
幼い頃は一人では何も出来ないので誰かに頼るという事で生きています。
みんなそこから始まります。依存時代と呼びます。
対して、その依存である幼子を支えていく親や大人達は自立側と呼びます。
依存と言われる時代に 自立側の人に抱いた期待 『きっと ○○してくれるはず』 が思うように叶えられず 傷ついていくという事があちらこちらで起きます。
期待しては裏切られる…
なので 期待の底には傷ついた心が潜んでいると言っても良いと思います。
依存の時代に、期待したから、期待通りじゃなかったから 傷ついたのなら もう、頼ってやるもんか!と自立を始めるというのです。
そこで身に付けた方法が 今のあなたの『べき』であり法則となって傷付いたあなたを守ってきてくれたのです。
自分が傷つかないためのいろんな方法、法則だったはずです。
それが「こうすれば幸せになれるはず」という自分なりの法則になっていくのですね。
期待の始まりです。
期待の辛いところは 、恋愛ならば 「愛してくれて当たり前 」「欲しいものを与えてくれて当たり前」という《当たり前》という気持ちになっているので 、手に入ったとしても当たり前なので すごくうれしいという感覚とはちょっと遠くなってしまう様なのです。
仕事という場面では「上司が私にもっと丁寧に仕事を教えてくれるはず。 」という期待もあれば、「部下が自分の思うとおりに動いてくれて当然 」という自立側が感じる期待もあります。
みんな ちゃんと ○○するべきよ。 という感じでしょうか。
私が時々テーマとしている《不登校》というものにしても
「子どもは学校に行くべきだ。 」
「この進路は子供を幸せにするはずだ。 」
「こんなに手助けしているのだから きっと子供は理解してくれるはず。 」
と言った親が子供にかける期待があれば
「学校関係者はもっと生徒ひとりひとりに意識を向けなければいけない」
という、守るべきものへの 『こうあるべき』等々 いろんな場面で期待というものは持ちます。
期待が良い、悪いということではなくて 、そう思ってしまうものだと、まずは理解していく事が大切だと思います。
「期待してはいけない!」も『べき』です。
「人は依存の時に期待しすぎたことで傷つきやすくて、その傷を守るために『べき』を作って、その『べき』で選択肢ぬ減っているんだ…ふぅ〜ん」と、一旦受け入れる事が次なら進むコツなんです。
「じゃあどうすれば良い?どうすれば私の中の『べき』は減る?」
という感覚になったらもう…進んでいます。
さて、次です。
期待はしてしまうよね…を受け入れられたら、人への過度な期待をしていないか?を自分でチェックする事も出来ます。
人に対する期待はまだ気づきやすいのですが
自分自身に対しても 過度の期待というものを持つこともあります 。
コレが次の課題になります。
「自分はもっと出来るはず。 」
「期待に応えなければ。 」
「こんなはずではなかった・・・ 」
これを続けていくと 燃え尽きます。
期待に応えられない自分ばかりが見えてきて 、じゅうぶん出来ているのに まだまだダメだと思い、今を認めることが出来なくなって 無価値感を抱いてしまいます。
逆に 「こんなにすごいんだぞ!」と周りにふれ回りたくなってしまう 事もあるのですが、これも無価値からくる感覚なのです。
自分に対する期待が過度になりすぎると、適度な自分の能力が見えなくなってしまうようなのです。
そして 自分に期待をかけて、頑張りすぎると 周りにも同じように 頑張ることを強要してしまうこともあるようで 、周りにいる人もしんどくなってしまったりするのです。
そして、一人、一人…と、離れていく事になりそうです。
こういう時には 《手放し》と《目標設定》をしていくことがポイントになるだろうと思います。
「こうすればきっと幸せになるはず」 という考えを《手放し》て 、新しい《目標設定》をしていくということなんです。
初めにも書きましたが、 期待をしてしまう心のどこかには 「このやり方でないとだめだ」というものをもっています。
その方法は、人それぞれなのですが 自分が幼いころに、 傷つかないようにやってきた方法です。
親が子供に期待をするのと同じように
「こんなに我慢しているのだから きっと ○○してくれるはず」
という《我慢》という、押し殺して抑圧して、耐えている ちょっとしんどい感情が奥に潜んでいるということがあります。
期待の分量は 我慢の分量なのかな?と、私は思っています。
過度の期待の奥には 過度の我慢があるというように 思います。
そういうものを手放すのは とっても怖い感覚になります。
とっても難しく感じられます。
何度も何度も意識して手放そうとしないと すぐに昔の成功法則にすがってしまう私がいましたから、私の経験からも、そんなに容易いものでは無いのはわかります。
一人ではなかなかできないことも多いと思います。 そんな時 私たちカウンセラーを頼ってみてくださいね。
私たちも 同じように悩み、そこを通り抜けてきたり もしかしたら 今もその部分で(手放すという事)もがき中なのかもしれません。 それほど 昔の傷つかないために作った法則は 自分にとっては大切なものだったのですよね。