デジタル時計の7時22分という時刻を見る機会がすごく多く感じるのですが実際は、他の時刻も同じくらいの確率で見ているはずなのです。
私たちは、同じように見ているのに、記憶に残るものと捨てられる記憶があるのかもしれません。
意識的にせよ、無意識的にせよ、人の記憶や行動、認識には何らかの訳があるのだと言われています。
ネガティブな記憶とその目的
たとえば、ネガティブな記憶しか思い出せないとしましょう。
辛い過去の出来事を覚えているのにも何らかの目的があるということになります。
なぜ、わざわざ自分を辛くさせるような記憶に固着するのでしょう?
その目的として考えられるのは、自分を罰するためということです。
人それぞれに誤解から持ってしまう罪悪感があり、自分は悪い、罰せられるべきだと思い込むことで、幸せになることを禁止しているのです。
次に考えられるのは、復讐です。
自分を傷つけた誰かに復讐するために、幸せではない自分を見せて罪悪感を抱かせるという方法です。
これを続けている限り、誰も幸せになれませんが、
根底には「本当は私が悪い」という気持ちが隠れている場合もあります。
また、怖くて前に進めないとき、進まなくても良い理由にネガティブな記憶を使っていることもあります。
過去の失敗や恐れを無意識に思い出し、それが未来に同じことが起こるという根拠にしているのです。
記憶の選択と幸福
私たちは、自分に都合の良い記憶を残しているのかもしれません。
今の考えが変われば、思い出す記憶も変化するかもしれませんね。
私は幸せになっても良いのだと思えるようになれば、幸せにふさわしい記憶が残るのではないでしょうか?
「私は幸せに なっても 良い」。
この言葉を聞いて、どのような感情になりましたか?
自分とは程遠い感覚に思われる方もいらっしゃるかもしれません。
少し前の私は、自分が幸せになってもいいなんて思ってもいませんでした。
でも、私がどう変わって行ったのかというと、私の幸せを喜んでくれる人の存在を実感することから始まりました。
幸せへの道
自分以外の人の幸せを喜べるようになり、そういう気持ちになろうとすることが始まりでした。
人は生きていれば、いろんな間違いを犯します。
感じ方も、傷つき方も、喜び方も人それぞれ違って当たり前なのです。
その時々に、一生懸命生きてきたのです。
自分を罰する必要があると感じることもあるかもしれませんが、人は人を愛したい生き物だと思います。
不器用で伝えきれなかったとしても、そこには愛があったということが見えてくれば、誰かを攻撃したり、自分を罰したり、不幸になるにふさわしい自分などという間違った思い込みを取り払うことができるのだと思います。
自分に優しく、そして他人にも優しく。
そうすれば、もっとたくさんの幸せな記憶が心に残ると思います。