煮詰まって、ぐるぐるして、抜け道が見つからないような時に、こんなふうに考えることが あります。
『今が 何一つ変わらないと 思い込んでいないだろうか?』
漠然とした不安感に襲われた時も同じように自分に問いかけるのです。
自分自身のこともそうですし、自分の置かれている環境も世の中の価値感でさえもこのままで、全く変化しないと思っていたりすることで、悩みとして存在していたり 絶望のような気持になったりしていないだろうか?ということを考えてみるのです。
その問題は、本当にそこまで思いつめるほどの・・・
生きていくのが苦しくなるほどの悩みなんだろうか・・・?
ということを、あえて考えてみることでぐるぐるから抜け出そうとするのです。
今ある悩み(今、悩んでいること)は もしかしたら、今が変わらないという観念で 私の中で、悩みとして存在していたりはしないだろうか?
先日、友人から 送られてきた画像を見ていて、あらためてそのようなことを思ったので
そのことについて書いてみたいと思います。

今年50歳になる友人ですが、富山にある氷見昭和館というところに行ってきたよ~と
数枚の写真を送ってくれたのです。
そこには昭和34年生まれの私には とっても懐かしいものがたくさん写っていました。

私が育ったころの当時では最先端の電化製品.。゚+.(・∀・)゚+.゚
電話は本体横についているハンドルをぐるぐる回して交換手が出て、相手先の番号を言うとつないでくれたなぁ・・・とか
洗濯機の脱水機能は 2つのゴムのローラーの間を通して絞るというもので、歯磨き粉のチューブはアルミだったから、その脱水ローラーにはさんで 絞り出したりもしてたなあぁ・・・
とか、懐かしい、懐かしい。
それが最新機能。
それに感動していたあの頃。
ウルトセブンというテレビ番組の中で、隊員同士が腕につけた時計型のテレビ電話で交信しているという
夢のまた夢の SFの世界でしかなかったアイテム。
それが今、現実に 有る!
それも、もっと高性能なのですからね、驚きです。
そんな時代に育っている私にとって時代は、自分が思っている以上に進化していくものなのだろうなぁ?と思えるのです。
私の想像をはるかに超えて 今が進化を続けているのを見ていると、なんだか今、悩んでいることの半分以上が、悩みが悩みでなくなるのではないかと思ったりする時があるのですよ。
私の話で例えると、仕事の都合やいろんなことで、あの田舎では生計が立てていけないと思って田舎に、親を残して出てきたけれど

今はネットや、交通機関の発達で、どこにいても、生計を立てていくことが可能になってきています。
いろんな人の努力や能力の賜物で「今の状態で何ができるだろう?」ということの選択肢が増えてきましたよね。
漠然とした不安というものの正体を 突き詰めていくと、今が 今のままで何一つ変化しないのだと思うことで悩みが悩みとして成立していることもあるのではないかな?と思います。
だとしたら、今出来ることを、目の前にあることをひとつづつやっていくあいだに、時代の進化が問題と思っていたものを問題ではなくならせてくれることもあるのかなぁ?と、友人が送ってくれた昭和の香り漂う写真を見ていて思ったのです。
昭和の真ん中くらいをご存知の方にはちょっとなつかしかったのではないかな?と思います。
そして、平成、令和生まれの方には昭和30年代の方がSF小説のようなものかも知れませんね。
同じように私にとって両親の育った戦時中は未知の世界です。
私たちにとって、この世界が全てで
私たちは、自分が生きている この 時代しか理解していないのですよね。
世の中の流れは 想像をはるかに超えて変化をしています。
そう考えると、未来は未来でなんとかやっていけると大きく構えていてもいいのかな?と思ったりもしているのです。



