高校時代、あることをきっかけに
クラスのお局様(同級生)のご機嫌を損ねたらしく
クラス全員へ「 三好成子を無視すべし!」のお達しが出たことがありました。
一学期始まって早々から 私は誰とも話せない教室で、お弁当も一人で食べるという学校生活が続きました。
ありがたいことに登下校時には、クラスは違っても、同じ中学のお友達がたくさんいたので クラスの中でそんなことがあっても案外平気でした。
その時に何を考えていたかというと 「どうせ 期間限定でしょ?」という事でした。
どんなに続いても三年間だよね?って、シラーっと思っていたので 今から思えばいじめだったんだなぁ?という感じですが 全く気にせず、どちらかというと「楽だなぁ」と思っていたのです。 (そうしないとやっていられなかったのかも知れませんが)
卑屈になることもなく、不思議ちゃんキャラに見られながら付かず離れずの関係で クラス全員無視令は二学期の最後辺りで解除されたのでした。
それ以降も、特別親しい友人を作る訳でもなく楽しみがあるわけでもなく、かといって休む訳でもなく、淡々と三年間を過ごし 卒業したのです。
全く思い出がなく というか お局様のみならず、同級生の名前も顔も覚えていません(-.-)
そんなことがあるのだろうか…?と、思いますが 、これこそ 感情を切っていた というものだと思います。
何も感じない事で自分を守るという防御です。
感情を切っていると、嫌な(ネガティブな)感情を感じないで済むのですが、 楽しい、嬉しいというポジティブな感情も同時に感じないようになるのです。
「どちらか一方にしたいわ~ 」とはならないのが 感情の難しいところなのです。
辛い気持ちを抱かなくても良い代わりに 楽しさも感じられないのですね。
わーぃ、わーぃ、という「生きていて良かったー 」というエネルギーが完全封印された私がその後どうなって行ったかと言いますと 『わーぃ、わーぃ』の人を見ると 『ムカつく』ようになるわけです。
若々しい、弾けるようなエネルギーに触れると、不思議なくらい悲しみに落ちるのです。
反射的にそうなるのです。
自分が禁止している感情なり、行動を 何の躊躇もなくやっている人を見ると無性に腹が立つようななります。
これを心理学では『シャドー』と呼んでいます。
文字どおり、影です。 自分の反対側、見えていない側、反転した側という感じです。 見るだけでムカつく、息苦しいほど悲しくなるという この、わーぃ、わーぃ、の存在は抑圧されたもう一人の私なのです。
感情を切ることで生き延びてきた私にとって、あんなに感情豊かにのびのびと、自由に生きていられる事の意味がわからないのです。
嫌いとかも感じられないくらい奥に押し込めてしまって 自分が何を感じているのかさえわからないのです。
ただ、ムカつく。 ただ、ただ、この人が嫌い。 何をされたわけでもないのに、不愉快。
そういう感情が私の行動範囲を狭くしていました。
ますます意固地になって、人との繋がりをなくしていった私は、自分の感情に縛られて身動き出来なくなっていきました。
私にも、のびのび、わーぃ、わーぃ、していた時代はあったはずです。
それほど気になって、ムカつくのは、 私の中のわーぃ、わーぃ、は 出たくて 出たくて 仕方なくなっているのです。
何かの誤解があってそれはダメだと思い込んだ私の感情。
「そんなこと(わーぃ、わーぃ)をしていたら潰される。 」と、思ってしまったのです。
だから そんなことをしているその人を見ているのが恐いのです。
「きっと潰されるよ。」って 。
「きっと、私のように… 潰されちゃうよ。無視されて孤立しちゃうよ。」
それって誤解です。
その誤解を解くのってどうしたら良いでしょうね…?
私が思う一つの解決方法は経験だと思うのです。
嫌って近づかないのも経験ならば、近づいてみるのも、経験だと思います。
そして、その人が、 自分にとって気に入らない行動(私の場合は、わーぃ、わーぃ) をしていたとしても《何も恐いことは起こらない》ということを確認する経験をしたら、 自分にもその許可が下ろしやすくなるのではないでしょうか?
一学期始まって早々から 私は誰とも話せない教室で、お弁当も一人で食べるという学校生活が続きました。
ありがたいことに登下校時には、クラスは違っても、同じ中学のお友達がたくさんいたので クラスの中でそんなことがあっても案外平気でした。
その時に何を考えていたかというと 「どうせ 期間限定でしょ?」という事でした。
どんなに続いても三年間だよね?って、シラーっと思っていたので 今から思えばいじめだったんだなぁ?という感じですが 全く気にせず、どちらかというと「楽だなぁ」と思っていたのです。 (そうしないとやっていられなかったのかも知れませんが)
卑屈になることもなく、不思議ちゃんキャラに見られながら付かず離れずの関係で クラス全員無視令は二学期の最後辺りで解除されたのでした。
それ以降も、特別親しい友人を作る訳でもなく楽しみがあるわけでもなく、かといって休む訳でもなく、淡々と三年間を過ごし 卒業したのです。
全く思い出がなく というか お局様のみならず、同級生の名前も顔も覚えていません(-.-)
そんなことがあるのだろうか…?と、思いますが 、これこそ 感情を切っていた というものだと思います。
何も感じない事で自分を守るという防御です。
感情を切っていると、嫌な(ネガティブな)感情を感じないで済むのですが、 楽しい、嬉しいというポジティブな感情も同時に感じないようになるのです。
「どちらか一方にしたいわ~ 」とはならないのが 感情の難しいところなのです。
辛い気持ちを抱かなくても良い代わりに 楽しさも感じられないのですね。
わーぃ、わーぃ、という「生きていて良かったー 」というエネルギーが完全封印された私がその後どうなって行ったかと言いますと 『わーぃ、わーぃ』の人を見ると 『ムカつく』ようになるわけです。
若々しい、弾けるようなエネルギーに触れると、不思議なくらい悲しみに落ちるのです。
反射的にそうなるのです。
自分が禁止している感情なり、行動を 何の躊躇もなくやっている人を見ると無性に腹が立つようななります。
これを心理学では『シャドー』と呼んでいます。
文字どおり、影です。 自分の反対側、見えていない側、反転した側という感じです。 見るだけでムカつく、息苦しいほど悲しくなるという この、わーぃ、わーぃ、の存在は抑圧されたもう一人の私なのです。
感情を切ることで生き延びてきた私にとって、あんなに感情豊かにのびのびと、自由に生きていられる事の意味がわからないのです。
嫌いとかも感じられないくらい奥に押し込めてしまって 自分が何を感じているのかさえわからないのです。
ただ、ムカつく。 ただ、ただ、この人が嫌い。 何をされたわけでもないのに、不愉快。
そういう感情が私の行動範囲を狭くしていました。
ますます意固地になって、人との繋がりをなくしていった私は、自分の感情に縛られて身動き出来なくなっていきました。
私にも、のびのび、わーぃ、わーぃ、していた時代はあったはずです。
それほど気になって、ムカつくのは、 私の中のわーぃ、わーぃ、は 出たくて 出たくて 仕方なくなっているのです。
何かの誤解があってそれはダメだと思い込んだ私の感情。
「そんなこと(わーぃ、わーぃ)をしていたら潰される。 」と、思ってしまったのです。
だから そんなことをしているその人を見ているのが恐いのです。
「きっと潰されるよ。」って 。
「きっと、私のように… 潰されちゃうよ。無視されて孤立しちゃうよ。」
それって誤解です。
その誤解を解くのってどうしたら良いでしょうね…?
私が思う一つの解決方法は経験だと思うのです。
嫌って近づかないのも経験ならば、近づいてみるのも、経験だと思います。
そして、その人が、 自分にとって気に入らない行動(私の場合は、わーぃ、わーぃ) をしていたとしても《何も恐いことは起こらない》ということを確認する経験をしたら、 自分にもその許可が下ろしやすくなるのではないでしょうか?
私たちの感情は経験の積み重ねで出来ています。
誤解も積み重ねで出来ています。
不安だった積み重ねは「大丈夫」だった経験で人生の誤解を解いていきます。
思った以上に地道な作業です。
それでもやっていきましょう。

